時計屋シリーズ8~金継の話~

俵屋宗達だったかもしれません。
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まとめ 時計屋シリーズ7~墓暴きの話~ 架空の禅宗です 1464 pv 6

本編

帽子男 @alkali_acid

小さい頃聞いて以来、ずっと記憶に残っている話がある。細部は忘れてしまったが、筋書だけは、はっきりと脳裏に焼き付いている。 封建時代のある粋人、本阿弥光悦だったか古田織部だったか、ともかく著名な宗匠のもとへ弟子が美しい器を得たといって見せに来るというもの。

2018-11-10 21:56:02
帽子男 @alkali_acid

宗匠は器を受け取ってしげしげと眺めて言う。 「これは不完全」 弟子が驚くのをよそに、わざと手から落として割ってしまい、あらためて告げる。 「また後日いらして下さい」

2018-11-10 21:57:24
帽子男 @alkali_acid

弟子が納得しがたい思いで時間を空けてから再訪すると、宗匠は割れたはずの器を差し出す。 身を乗り出して凝視すると、亀裂はきれいにふさがり、黄金で継いであった。 ひとたびは砕け、無惨に散ったかたちが、新たな、より優れた美を得て蘇ったのだ。

2018-11-10 22:00:15
帽子男 @alkali_acid

すばらしい物語だった。 大人になってから、何点か昔の金継ぎを手に入れて眺めてみたが、けれど最初に話を聞いた時に感じた震えるほどの歓喜と渇望は抱けなかった。 なぜなのか理由を考えた。 やがて、ただ先人の業によってできあがった品を、そばにおくだけでは意味はないという答えに辿りついた。

2018-11-10 22:04:26
帽子男 @alkali_acid

自ら壊し、直すという行為が肝要なのだと。 では、はたして金で継ぐべき美しい器はどこにあるのか。 周囲をうかがっても、そうするに足る何かは容易に見つからなかった。

2018-11-10 22:06:38
帽子男 @alkali_acid

住職を継いで数年が経ってから、とある葬儀の席でやっと探し当てた。 尤も読経は別寺の僧侶が呼ばれていたので、弔問に訪れた立場ではあったが。 黒いセーラー服を着た、中学校に上がりたてぐらいの少女が、氷の人形のように凍てついた表情で喪主の座についていた。

2018-11-10 22:11:32
帽子男 @alkali_acid

「あの年でもうお役目をされているそうな」 隣の客が耳打ちする。 「すえたのもしい」 「恐ろしくすらあります」 「避けえぬことを恐れて何になりましょう」

2018-11-10 22:12:51
帽子男 @alkali_acid

三好夕花(みよしゆうか)。 それが割るべき器の名だった。

2018-11-10 22:13:40
帽子男 @alkali_acid

三好の家は古くから"霧の都"の外れに在り、鐘の音に曳かれあの世のものとなった人を黄泉に送るつとめを果たしてきた。 夕花は唯一の跡取りで、家業には天稟を示した。 先にあの世のものとなった分家の夫婦を、いずれも豪のものであったというのに、幼い身でただ一人で黄泉送りしおおせたという。

2018-11-10 22:17:45
帽子男 @alkali_acid

しかし、みなしごとなった分家の子供を引き取ってからは、霧の中に馬を駆るのも控えがちとなり、屋敷にひきこもるように暮らしていた。 戦争をまたいで、霧の都のしきたりも崩れ、変わりつつあった。 三好の家そのものが主導したといってよかった。

2018-11-10 22:19:54
帽子男 @alkali_acid

門外不出であった黄泉送りの業を、市の警察に伝授し、順繰りに役目を引き継いだ。 今や武者装束と太刀と弓の代わりに、制服と洋刀と拳銃が活躍する時代だった。 三好の馬を預かってきた吉岡の牧も、市と契約するように変わった。

2018-11-10 22:23:38
帽子男 @alkali_acid

好都合だった。三好と同じ、いやさらに古くから続く鐘守寺の貫主としては、さまざまな面で近代化を後押しした。 そうしながら、折に触れて夕花に近づき、手なづけようとした。 年の差はずいぶんあったが、理永は老いを知らぬ美貌であったし、女に、少女をからめとるのに苦労した覚えはなかった。

2018-11-10 22:27:27
帽子男 @alkali_acid

だが思わぬ邪魔が入った。 夕花が黄泉送りをした三好の分家の子供が、まるでうるさい番犬のようにいつもついてまわり、ことあるごとに寸足らずの衝立となるのだ。 うわべには女童にしか見えない男児は、しかし強い光を瞳に宿してじっと有髪の僧侶を見つめ、無言のうちに威嚇した。

2018-11-10 22:29:43
帽子男 @alkali_acid

三好肇(みよしはじめ)。夕花といつも二人つれだって歩いているところは可憐な姉妹のようだが、実際は年長の娘を手折るためには、いささか面倒な障害ではあった。

2018-11-10 22:31:46
帽子男 @alkali_acid

といっても焦りはしなかった。 継ぐべき器を割るのに手間をかけるのは当然。まずは霧の都を整える仕事に心を砕いた。 夕花を壊して直したあと、ともに過ごすべき場所もまた、器のように美しくあらねばならないのだから。

2018-11-10 22:33:58
帽子男 @alkali_acid

知音会という寄合を通じて、地元の郷士や官吏、代議などの利と誉をくすぐって働きかけ、霧のおかげで空襲を逃れた街並みを、さらに磨き上げながら、一方で鐘守寺に安置してきた本尊も十全に生かした。

2018-11-10 22:37:04
帽子男 @alkali_acid

理永は、寺の名の由来ともなった鐘の鳴らし方を心得ていた。完全にではないが。学識と直観でもって先代までが達せなかった境地に至り、あの世のものについての理解もあるいは、ただ刀矢をもって討つのみの三好を凌いでいたと言えようか。

2018-11-10 22:40:27
帽子男 @alkali_acid

だがほかに打ち明ける訳にはいかなかった。 金継の楽しみを進めたければ。

2018-11-10 22:41:18
帽子男 @alkali_acid

だから気取られぬよう、あの世のものを、少しずつ少しずつ増やした。 実験を重ねながら、徐々に、徐々に、市の中央警察署が抱える騎馬警官隊では手が回らぬほどに。三好の家が再び霧の中に出ねばならなくなるように。

2018-11-10 22:42:43
帽子男 @alkali_acid

行政を通じた懇請を受けて、夕花は再びあらわれた。鍛錬を欠かしはしなかったようで、水際立った技量で司直がて手こずるあの世のものを黄泉送りしてのけた。しかも、かたわらにはあの少女とまがう少年、肇がついていた。 二人は、あの世のもの以上にこの世のものならぬ麗しさと凄まじさを放っていた。

2018-11-10 22:45:15
帽子男 @alkali_acid

活躍の仔細を伝え聞いて、胸にうずきを覚えた。 成長しつつある肇もまた、単なる障害として除くにはもったいなく感じられたのだ。故に絵図をいささかあらため、割った器を継ぐうえでの彩として取り入れる運びとした。

2018-11-10 22:48:42
帽子男 @alkali_acid

当初はうっとうしく思えた分家上がりの子供も、そう決めると好ましくなってきた。 まずよく働く。本家の党首に傷ひとつつけまいと、黄泉送りの際は華奢な身を挺して前衛に立ち、あの世のものの怒りと恨みの一切を引き受ける。それでいてめったに怪我もしない。

2018-11-10 22:51:49