「本能寺の変」は色々な偶然で初めて成立したので陰謀説は根本的に成りたたない、という話〜『急に信長が来たので(QNK)』

織田信長、ほぼ護衛なしで京に滞在。嫡男の信忠、京に滞在(予定変更)。明智光秀、京で軍を招集し指揮することが可能(予定変更)…、こんな偶然がなぜか一気に重なった。そんな突発事案な以上、「裏で綿密な計画を練った陰謀があった」というのは、考えると面白いしロマンチックだけど、ねえ?と
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桐野作人 @kirinosakujin

山崎の合戦ののち、羽柴秀吉や神戸信孝は明智光秀の首級(のちには胴体も)をはじめ、3000級に及ぶ明智方の首級を本能寺の焼け跡に晒しています。これは逆賊光秀一派を成敗し、亡君信長の復仇を果たしたという政治的な宣伝でもあったでしょう。光秀の首級は見知っている人には、ある程度判別できたと

2019-02-05 13:50:00
桐野作人 @kirinosakujin

思われます。それとあまり知られていない点ですが、光秀は外聞、世間の評判を気にしたのか、政変から数日後、京都五山や大徳寺、妙心寺などに献金(銀100枚)しています。大徳寺宛てには「為冥福」とあり、ルイス・フロイスは「この僧院(五山)に各々七千クルサドを贈って、信長の葬儀を行はせた」

2019-02-05 13:50:01
桐野作人 @kirinosakujin

と述べています。つまり、光秀は信長を討ったものの、元主君なので、表向きは一定の敬意を払ってみせ、五山などに供養料という名目で寄進をしています。謀反の評判を打ち消す意図もあったかと。「供養」するつもりだったなら信長の首級を晒すという行為をとらなかったことと矛盾しませんね。

2019-02-05 13:57:41
桐野作人 @kirinosakujin

あと、有名な愛宕百韻「時はいま天が下知る五月哉」のうち、番組では「天が下」が「雨が下」と紹介していました。これは収録途中で、私が「天が下」だと指摘したのですが、訂正されていませんでしたね。「雨が下」には「天下」の意味はありません。

2019-02-05 14:01:06
k2. @t_souan

そのおかげか?妙心寺仏殿には立派な光秀の位牌が安置されているみたいです(妙心寺史) twitter.com/kirinosakujin/…

2019-02-05 15:24:24
桐野作人 @kirinosakujin

@t_souan 妙心寺には光秀の遺児が入寺してましたね。そういえば、いわゆる明智風呂の所に徳善院こと前田玄以の位牌もありましたね。大徳寺は光秀の寄進をもとに方丈と南門を建立してますね。南門は明智門と呼ばれたとか。

2019-02-05 15:35:41
INVISIBLE DOJO @mdojo1

物語上で「すべて偶然に、格好の条件が揃ってしまった」というのは案外書きにくい。/その『ご都合主義的にしか見えない偶然の連鎖』を逆手に取った「本能寺の変」の作劇法に感心 / “「事件Aに必須なB、Cも偶然あったなんて、ご都合主義!」を回避する「B、Cのお陰でAを決…” htn.to/3n4PdKuxry

2021-11-06 09:11:37
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