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RT @memeyogini 東松氏発言「組写真は文章と同じ。写真と写真を組み合わせても多様性や意味の広がり。撮影年度も全部バラバラにして展示。写真の匿名性、アノニマスが出てくるのを見えなくする。 最終的には観る人の感性で生まれ、完成する。見る人に自由に感じて貰うための方法。」
2011-04-24 01:48:08![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
RT @memeyogini 東松氏発言その3:写真は選択の連鎖で成り立っているもの。 カメラの機種やフィルムを選び、撮影場所、被写体、テーマ、カメラアングル、シャッターチャンスも選び、撮影後は、数枚選んでプリントする。その後写真展、グラビア、写真集など発表媒体を選択する。
2011-04-24 01:49:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
東松氏発言RTは全て写真の性質の話。(ざっくり言えば)コレは全てホンマタカシ氏が今回のオペラシティの展示で提示している問題でもあるよね。ホンマタカシ氏の場合は自身が雑誌で活躍してたこともあって、もっと踏み込んだ形で、かつ複雑に示しているけれども。
2011-04-24 02:18:57![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真の本質的な部分に関して、同じ様に感じた。 @tani1c: 東松氏発言RTは全て写真の性質の話。(ざっくり言えば)コレは全てホンマタカシ氏が今回のオペラシティの展示で提示している問題でもあるよね。ホンマタカシ氏の場合は自身が雑誌で活躍してたこともあって、もっと踏み込んだ形で、
2011-04-24 02:48:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@tani1c 取捨選択のバリエーションが半端ない。そこに1番驚いた。単体の写真というよりは、展覧会そのもの迄を含めての行為を写真とする。など。re constructionがその実態を顕著に表していたね。
2011-04-24 02:54:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
さらに言えばその姿勢は自身が活躍してきた雑誌という媒体や、無自覚にイメージを享受する観覧者へのアイロニカルな態度を示していたと思う。 RT @hagyun @tani1c 展覧会そのもの迄を含めての行為を写真とする。Re constructionがその実態を顕著に表していたね。
2011-04-24 03:29:41![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
まさに「写真」ではなくて「写真という行為」だろうね。その辺り、ティルマンスとの共通点/相違点についても考えてみたいところ。 RT @hagyun @tani1c 単体の写真というよりは、展覧会そのもの迄を含めての行為を写真とする。
2011-04-24 03:31:17![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ホンマタカシ展示について補足すると、アーカイブの中から選ばれていた写真は今まで写真集の表紙や雑誌などでよく目にされてきた象徴的な写真かと思われる。それもRe-constructionする上で緻密にコントロールされていて通常のセレクションとは少し異なる意味が表出してくる。
2011-04-24 03:50:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
紙媒体っていったら写真のプリントもそうだしな。雑誌も頁をめくる動作まで入れたら空間的だし、紙媒体って言い方は危ういもんだな…
2011-04-29 19:04:17![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もっとも肝要なマガジンワークの軌跡が、トーキョー&マイドーターやMなどに展開されてはいるものの、まだまだあの冊子のなかにブラックボックス化されていて(白黒にされてたし)
2011-04-29 19:07:51![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
90'smidまでのメディア全盛期を、批判しているわけか。マクドナルドのシルクスクリーン印刷は、写真から場所性を消去する事を後押ししていた。写真が生み出す装飾された場所性を批判していた。 RT @tani1c: さらに言えばその姿勢は自身が活躍してきた雑誌という媒体や、
2011-04-24 09:14:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
それから、未だハッキリしないのがその周囲に配置されたハイウェイの写真&テキスト。あの空間でのあのマックの展示との関係性は疑いようもなく存在するはず。 RT @hagyun: マクドナルドのシルクスクリーン印刷は、写真から場所性を消去する事を後押ししていた。
2011-04-24 14:08:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
大きな筋は郊外論によって、成立するのでは。郊外の気づきから郊外に対するリサーチ、動物と人間の共存する郊外。そして、動物そのものへの視座。最後の作品hopeが1番難解に感じた。どの様に考えた? RT @tani1c: それから、未だハッキリしないのがその
2011-04-24 16:09:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
おぉそこは見逃した。図録で確認してみる。 RT @tani1c: そうだね。実際あの中に使われていた写真は同じ写真をトリミングする箇所を変えて何度も反復して使われていたよね。 RT @hagyun: 90'smidまでのメディア全盛期を、批判しているわけか
2011-04-24 16:10:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
配置は気持ちよいなーと思った。いつものオペラと逆方向ゆえの感覚的な戸惑いはありつつも。最後が暗がり+音〆なのは同所でのティルマンス展を想起させる
2011-04-29 20:21:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
(さらに補足)ギャラリー展示したときの"trails"は絵画の展示はなく、視点を少しずらした写真2枚で展示されており、写真についてのみしか言及されていなかった。今回絵画が加えられることで写真の枠をはずし、「写真という行為」や「図像」へと範囲を押し広げていたところが非常に興味深い。
2011-04-24 03:56:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
(さらに×2補足)これはおそらく@hagyunの言うようなgoogle的なものを意図しての展示であって、雑誌やシルクスクリーンなどの各シリーズ展示があることでその意味はさらに強調されてくる。そのような意味で、全体が「写真という行為」で満たされていたと思う。
2011-04-24 04:06:08![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
映像の部屋は入った瞬間、暗すぎて、どうしたらよいのか分からんかった。しばらくして慣れたけど。最初は人がまわりにいるのかどうかも感知できなかったから、後ろから人が来てもいけないし、前に進んで人にぶつかってもいけないしで、
2011-04-29 20:25:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ホンマタカシ、オペラシティ含め現在9カ所(たしか)で展示してるのか。会期はズレてるけど金沢でもやってた。散在する島宇宙。もはや全体が把握できない。いよいよヤバイな…
2011-04-27 17:39:54