叱ることと怒ること
- koukaku0811
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「ありがとう」と「ごめん」を言うことの大切さがよく説かれますが、「ありがとう」と言うことよりも、「ごめん」と言うことの方がはるかに難しいように感じます。 たとえば自分の保身を思って演技して、口先だけで言うにしても、「ありがとう」では比較的演技がしやすいように思われますが、
2018-11-24 18:26:05「ごめん」の方はそもそも演技自体し辛く、しかもうまく演じれば演じるほど、心に苦痛を感じざるを得ないと思いますし、嘘もばれやすいと思います。 小学4年生の時の先生のお名前は「修次郎」でしたが、その先生が「「修」という字は、何か間違えたらすぐに修正して謝れる人になるようにという願いを
2018-11-24 18:26:05込めて、母がつけてくれたんや」と語っていらっしゃいましたが、その時は私も「ほんまかいな」と冗談半分に聴いておったものの、もし本当だとすれば素晴らしい願いだと思いました。 その先生に私が怒られた時のことです。何で怒られたのかは全然思い出せないのですが、とにかく怒られておりますと、
2018-11-24 18:26:05先生が一通り言葉を終えられたタイミングで私は「でも~君だってやってました!」と言って、自分だけが怒られることの不条理を先生にぶつけました。すると先生が私をまっすぐ見据え、「おーちゃん(私のことです。)はいっっつも人のことを先に言う。人のことを言うのは後や!自分がまず謝った後や!
2018-11-24 18:26:06おーちゃんの気持ちはわかるけど、~もやってたことも本当なんやろうけど、そのこととおーちゃんが悪いことをしてそれを反省することとは関係ない!まずは自分や!自分がしっかり反省して、それから人や!!」と、仰いました。幼心にショックでした。核心を突かれた思いでした。この時先生は単に怒った
2018-11-24 18:26:06わけではなく、きちんと叱ってくださったのだなと、今となっては痛み入ります。 怒ることと叱ることとは似て非なるものだと痛感します。私などは明らかに怒りがちだと感じます。仏教者として恥ずかしいです。怒られるだけでは人はいつか反発するか、ゆがむでしょう。きちんと叱れる者だけが、本当の
2018-11-24 18:26:06意味で厳しくできるのであると思います。そしてそのような厳しさに触れて成長する者は、必ず優しい人になると思います。 叱れる人こそ真の教育者なのでしょう。私などはその足元にも及びません。 一見穏やかな口調でも、人を激しく刺すことがあります。一見激しい口調でも、かえって人を励ます
2018-11-24 18:26:06ことがあります。叱咤激励という言葉もありますが、本当の意味で叱ることは、叱られた人の背中を押すことでなければならないのでしょう。 そんな人間になりたいなと、ほんとに思います。
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