「初詣」という名称はかなり新しいのですが、江戸時代には初詣の元になった「恵方詣」という風習が存在しており、小林一茶の句「足の向く村を我らが恵方かな」高桑闌更の句「我が恵方多し松しまいつくしま」などが残っています。
2017-01-03 16:03:42なお恵方詣は全国的にどこでもやっていたかというとそうでもない。三河吉田藩の『三河吉田風俗問状答』には「私のところでは恵方詣をする人はまれです。稀なことですから風習ではありません」と書かれています。どうもこの藩は「年神様の棚も祀らない人がある」とあり正月の風習が簡素だったようです
2017-01-03 16:17:45越後長岡藩(河井継之助の所)は「恵方詣は必ずします。八幡・蔵王・愛宕・秋葉・諏訪などに15日までに必ず参拝します、農村部は鎮守様です」とあり、おせちも三河遠江より豪華なのだが、やはり栄えていたのだろうか?
2017-01-03 16:26:18そこはちょっと違う。初詣については、恵方巻きよりはるかに多くの史料がある。 まともな流布がコンビニ以前に遡れない恵方巻きごときと一緒にしてはいけない。 幕臣の屋代弘賢が江戸諸藩に命じて風習を回答させた『諸国風俗問状答』に複数の例がある。初詣明治起源説は私も昔は信じたが誤解。 twitter.com/osaka_sirokich…
2019-01-12 20:00:01『諸国風俗問状答』の奥州白河藩の回答 「正月の恵方詣はどうしていますか」 「農村では元日に鎮守様にお参りし、その後檀那寺にお参りしています。 町人は元日は大晦日の掛取りの疲れで戸を閉じており松の内に鎮守の鹿島宮にお参りします。 藩士は、決められた日時はなく、各自でお参りします」 pic.twitter.com/mH9mWOqUCe
2019-01-12 20:05:39ただし、初詣をしていない藩もある。三河吉田藩は家の中で手厚く祀っていたが、神社に恵方参りをする人は稀、と回答している。 越後長岡藩は絶対に15日までに恵方参りをすると断言している。 大和高取藩は伊勢神宮に喧嘩をしながら二年参りを年末からやっていると回答。近国群聚とある。
2019-01-12 20:12:58若狭小浜藩は「恵方参りはしないが、氏神にはお参りする。ただし日にちは決まっていない」。峰山藩は「恵方参りを普通に正月2日、3日にしている」、備後浦崎村は「全員で元日未明から産土神にお参りするが恵方参りはしない」
2019-01-12 20:21:29淡路国の回答は興味深い。「恵方参りはあまりしないが、するひともいる。元日に鎮守様や先祖の墓参りをするのは、どこも同じ」「餅花も江戸と変わりません」とあり、既に初詣が一般化しているようだ。
2019-01-12 20:26:06