実はTwitterっぽい『枕草子』は「自分のため」よりも「誰かのため」に書いたからこそ世界の美しさや愛嬌が映えた説

読んでみるか枕草子
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たられば @tarareba722

【原文】  清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。  さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと 足らぬこと多かり。

2018-11-15 16:11:52
たられば @tarareba722

かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。  そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

2018-11-15 16:12:07
たられば @tarareba722

【現代語訳】  清少納言という人こそ、得意顔で偉そうに振る舞っていた人です。  あれほど利口ぶって、さかしらに漢字を書き散らしているくせに、間違いは多いし。  このように、自分は他人よりも特別優れていると思い込みたい人は必ず見劣りするものだし、

2018-11-15 16:12:38
たられば @tarareba722

将来悪いことが起こるだろうし、風流ぶるものだから、ひどくもの悲しくつまらないときでも、しみじみ感動してみせたりして、そのうえいつも「なにか面白いことはないか」と嗅ぎ回って、自然と誠実でない態度になってゆくのでしょう。  そんな不誠実な人間が行き着く先は、どうせろくなもんじゃない。

2018-11-15 16:13:35

清少納言と紫式部が顔を合わせた記録はない

たられば @tarareba722

清少納言と紫式部は「会った」という記録が残っていなくて、また時系列の問題で清少納言は『源氏物語』も『紫式部日記』も読んでいない可能性が高いのだけど、ただそれでも調べれば調べるほど『枕草子』や清少納言の性格は、紫式部にとっては鼻のつく、腹が立ったんだろうな…という思いを強くする。

2018-11-16 14:12:03
たられば @tarareba722

というのも、紫式部作品の世界観そのものとも言っていい「もののあはれ」という概念があって、紫式部自身が詠んだ和歌にもこの考え方や感じ方をとても重視していたように思える箇所がたくさんあって、いっぽうでじゃあ清少納言はこの「もののあはれ」について、どういうふうに考えていたかというと。

2018-11-16 14:15:28
たられば @tarareba722

「もののあはれ(人の悲しみ)を知らせてくれる顔といえば。 鼻を垂らして休む間もなく鼻をかみながらしゃべる声。あと、眉毛を抜いているときの顔」 これ絶対「もののあはれ」自体を(そしてそれを大事にしている人もついでに)バカにしてますよね。清少納言先輩のこういうところ、大好きです。

2018-11-16 14:17:47

2018年の年の暮れも「枕草子」

たられば @tarareba722

和歌は31字の中に「世界」を閉じ込めようとした試みであり、和歌集とはそれを束ねて「その時代の文化」を丸ごと描写しようとした試みで、政治的理由によりそれが許されなかった清少納言は、だからこそたったひとりで当時まったく新しい形式を使って、この文明を記録すべく『枕草子』を書いたのだと。

2018-12-21 02:09:51
たられば @tarareba722

そういう話を酔っ払ってまくし立てました。。。なんかすまん。 1300年の日本文学で最大の功労者はというと、藤原定家だと思いますというような、お前もうちょっと盛り上がりとか考えろよというような話もしました。でも定家すごいんですよ。なぜ百人一首に藤原定子のあの辞世が入ってないかというと。

2018-12-21 02:13:23

2019年の新年一発目も『枕草子』トーク

たられば @tarareba722

『枕草子』に「近くて遠いもの」という章段があって、そこに「大晦日と元日」、「親戚」とさらっと書かれているの、この季節には特に、あ、、なるほどって感じがしますよね。ちなみにそのすぐあとに「遠くて近いもの」という章段があって、そちらは「極楽、舟の道、男女の仲」と、さらに深い。

2019-01-01 23:13:18
いしだ ひろこ @takhir45

@tarareba722 近くて遠いもの……にスゴく納得。 そして、遠くて近いモノに極楽かぁ… 清少納言にとって、中宮定子さまの時代は、在りし日の極楽浄土だったと思い…しみじみする箱根駅伝中継を聴いているワタシ……

2019-01-02 09:13:59

『枕草子』に見る平安中期の宮廷人にとっての春の欠落

たられば @tarareba722

平安中期の宮廷人にとっては「春」といえば絶対的に桜であり霞でありウグイスで、「秋」といったら萩や紅葉であるはずで、まして清少納言周辺の文化的知性であれば、「夏」の言及でホトトギスを外すことはありえない選択なのに、『枕草子』の第一段にはいっさい「それら」には触れられておらず、

2019-01-03 22:51:17
たられば @tarareba722

『枕草子』を最初に読んだ宮廷人たちは、まずその「欠落」に対して「えっ?」と困惑しただろうし、(ご承知のとおり)政治的な負け組であった清少納言にとって、愛する定子中宮のために唯一の著作であるこの作品をより多く語り継がせるには、その「えっ??」をフックにして広まることを狙ったはずで、

2019-01-03 22:52:13
たられば @tarareba722

この『枕草子』を遺すことで、定子後宮の文化的水準の高さを後世に知らしめる、という清少納言の「たくらみ」は、作者が想定した以上に大大大成功したと言えるのですけども、ただ清少納言をもってしても読みきれなかったのは、おそらく彼女は「なんで春なのに桜がないの?」とかいう問いかけに対して、

2019-01-03 22:52:57
たられば @tarareba722

小粋な「返し」を百や二百は用意していたはずだけど(そしてそこから中宮のすばらしさを語る準備も万端だったろうけど)、まさか千年たったら(自分のせいで)「春」といったら(桜や霞やウグイスより先に)「あけぼの」となる、つまり「欠落」がすっかり埋まるとは思わなかったろうなということです。

2019-01-03 22:54:06
たられば @tarareba722

というわけで2019年もよろしくおねがいします。(了

2019-01-03 23:10:45