ただの人間でも顔をエルフに整形したらモテモテになって大成功した話
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侍医はもう、男爵でなくなった子供にろくにものを食わせなかった。 トムはしかたなくすきっ腹を抱えて、荷馬車が止まるたび、藁のあいだから、きょろきょろと辺りを見回した。食べるものなどそうそうはなく、あればすぐに連れの男が盗んで平らげてしまうのだが。
2019-01-20 21:50:19まれに道と道の交差する場所などで、誰も触ろうとしない、ねじくれた灌木になった萎びた木の実などが生えてはいた。しかし、たいてい毒々しい小さな虫が周りを飛び回っていて、うかつに指を伸ばすと刺されるのだ。 トムは何度か手の甲を腫らしてすすり泣きながら危険を知った。
2019-01-20 21:53:04エルウィンデルでいたころの、貧しいなりに食事にありつけていた城館での暮らしとはまるで違った。 農民の子として育っていたがら、しゃにむに虫を追い払って木の実をもいだかもしれない。けれどもなまじ貴族の扱いを受けてきたので、すぐ心がくじけてしまう。
2019-01-20 21:55:29かわりに貧乏ゆすりをしながら、覚えさせられたエルフの歌を口ずさんでいると、虫がうなりをさせながら、遠ざかっていった。音にうんざりしたのかもしれない。トムはきょろきょろしてから実をとってかじった。ひどく苦かったが、無理矢理飲み込んだ。
2019-01-20 21:57:05すぐに高熱が出た。 「死人の実でも食ったのか」 侍医はうっとうしげにつぶやいた。 「道と道の交わるところは魑魅魍魎の領分だ。ああいうところには葬り先のない野垂れ死にのむくろを埋める。そこには死人の木が生えて、毒のある実をならすのさ。食えば死ぬか助かっても半分あの世に囚われる」
2019-01-20 21:58:52男は舌打ちして、うなされる子供を藁でおおった。 「…迷信だ。俺はそんなものは信じない。俺は本物の学問を学んだ。賢者の道を…くそ…見事にエルフをこしらえたのに。田舎貴族なんかに見抜けるはずがなかったのに…おい、死ぬなよ。死んだら売れなくなる」
2019-01-20 22:00:30トムはどうにか助かった。だが幻聴や幻覚は前よりひどくなった。 侍医は傷ものの商品に不安げな眼差しを投げつつ先を急ぎ、やっと人買いの市場についた。
2019-01-20 22:01:34人の売買は公には王の法によって禁じられていたので、こっそりと街はずれに市場が立った。 侍医はトムをひきずっていき、なじみの人買いに突き出した。 「このガキはエルフの血を引いてる」 「しみやそばかすだらけの肌に、砂色の髪、斑の入った灰色の瞳。おまけにやせっぽちだ。病気もしたな」
2019-01-20 22:04:45「ほかの奴等にとられないように俺が変装させてるだけだ。時間をくれれば」 「よせよせ。あんたの噂はもう広がってるよ。いかさま師の旦那。素材としちゃ悪くなかったかもしれん。いいのを選んだのは認める。だがここまでいじって汚しちまったら、愛玩用には売れんよ」
2019-01-20 22:06:32「金がいるんだ」 「せいぜい下働きだな。器用な方か?」 「歌える。おい」 侍医が蹴ると、うつらうつらしていたトムは覚えたエルフの古歌を吟じた。だがお世辞にもうまいとは言えなかった。 「だめだな。声もそんなによくない。教会でも買わんだろう」 「くそ。いくら出す」 「銅貨十枚だ」
2019-01-20 22:08:24「ふざけるな銀貨五枚にはなる」 「欲をかきなさんな。旦那とは付き合いがあるから穏便に済ませようというんだ。貴族を怒らせたいかさま師の一味と取引したとばれたらこっちだって危ういんだぞ」 「足元を見るんだな。俺はおまえなんかよりずっと学があるんだぞ」 「そのせいでお尋ね者じゃないかね」
2019-01-20 22:09:52侍医。否、いかさま師は結局いくばくかの金を掴んで出て行った。 人買いは眠気で倒れそうなトムを見下ろした。 「やれやれ。こんなもの売れるかね」
2019-01-20 22:11:32数日のあいだ、トムは人買いの小屋で暮らした。虫と鼠だらけで不潔ではあったが、野菜くずの汁物で腹だけは満たした。何もすることがなく、指でエルフ文字を描き、エルフ語の発音を練習して過ごした。以前はそうしていれば大人は褒めてくれたのだ。
2019-01-20 22:13:20やがて客が来た。いかさま師よりもずっと年寄りで、より長くもつれたひげをした男だった。 「皮が買いたい。子供の皮だ」 「あまり質がいいのはないよ」 「背中の皮が十枚欲しい」 「あるのは七枚だけだ…かわりに生きた子供をつけよう」 「生きた子供なんぞいらん!」
2019-01-20 22:14:46「靴屋の旦那。あんたまた弟子に逃げられたんだろ。街一番の職人が下働きなしじゃ恰好がつくまい」 「うるさい!」 「とにかく、子供の皮七枚と生きた子供一人、これでいつもの値段で買ってくれ。じゃなきゃ商いはなしだ」 「生きた子供なんぞいらん!」
2019-01-20 22:16:40だが靴屋は結局、トムを引き取った。 「おいお前。名前は」 「トム」 「トムか。よし。皮を持て。なにふらついてる。このぐらいは持てるだろうが。じゃなきゃ買った意味がない」
2019-01-20 22:17:33街は見たこともないほど大きな建物と、人と、ものにあふれ、ありとあらゆる匂いがして、ありとあらゆる音がした。 靴屋の工房をかねた家は下町の奥まった片隅にあり、めちゃくちゃに散らかっていた。 「お前は今日からここで働くんだ。役に立たなかったら潰して皮にしてやるからな」
2019-01-20 22:20:12◆◆◆◆ 靴屋の親方は偏屈で乱暴で、癇癪持ちだったが、食いものだけは山ほど食わせてくれた。腕が良いのか、仕事の依頼はひきもきらさず、しかも身なりのよい客が多かった。しばしば大店の丁稚や、門閥の家僕などが訪れては採寸のために屋敷まで老職人を連れて行った。
2019-01-20 22:24:05仕事が立て込んでくるときの食事に、近所の酒場に肉団子や汁物を買いにいくときはましだった。だが野良犬や浮浪児の群が横取りしようと狙って来るし、もしそうなれば親方はまた下働きをさんざんに蹴とばすのだ。
2019-01-20 22:27:30もっとしくじれないつとめがった。酒場の隣の薬種屋で蟻蜜の塊を買うのだ。蟻蜜などというのは、滋養強壮によいというが、よほどの金持ちでもなければ舐めたりしないものだ。だが靴屋は自分でそれを喫するのではなく、部屋の隅に焼き物の器に盛って置いておけという。
2019-01-20 22:30:56トムもあれこれ見聞きして少しは知恵がついてきたので、そんなことをすれば鼠やごきぶりに齧られてしまうと思ったが、口答えなどできるはずもなく黙って言いつけ通りにした。
2019-01-20 22:32:31肝心の靴づくりの技は何も教わらなかった。 親方が節くれだった指で巧みに鋏や針を動かすのは目を奪われたが、しばらくうかがっていると決まって怠けるなと怒鳴りつけてくる。 トムもだからあまり用もなく工房に近づかないようにしていた。
2019-01-20 22:36:04