【書き起こし】特集「?なぜ人と人は支え合うのか?『こんな夜更けにバナナかよ』の映画化でも話題のノンフィクションライター渡辺一史さんと障害と福祉の観点から考える」2018年12月6日(木)放送分 TBSラジオ 荻上チキ・Session-22 #ss954

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橋本 至 @kid75

渡:タイトルになっている「こんな夜更けにバナナかよ」というのは、真夜中にコンビニでアルバイトをしながら北海道大学に通う学生がボランティアに入っていたんですけど、鹿野さんが夜寝てくれると自分もちょっと仮眠をとれると。

2019-01-25 21:06:31
橋本 至 @kid75

ところが先ほど読んでいただいたように、鹿野さんはなかなか眠れない。それは病気もあるんですよね。寝返りもうてない病気なので、体が痛くなると起こして体位変換してもらわないといけないので、なかなか深い眠りに入れないというのがあるし、

2019-01-25 21:06:31
橋本 至 @kid75

鹿野さんが言うには「死んだら二度と目が覚めないんじゃないか、という恐怖がある」ということもあるのですけど、まあ寝てくれないと。やっと寝たと思ったらまた目を覚まして、「お腹が空いたからバナナ食べたい」って言って。

2019-01-25 21:06:32
橋本 至 @kid75

頭ではそういうことをサポートするためにボランティアに来ていると思いながらも、ムッとしながらバナナの皮をむいて食べさせたと。で、1本食べ終わったからさあまた寝るぞと思ったら、背後から「もう1本食べたい」という声が届いた時に、ここまで容赦なく自分の欲望を貫き通す鹿野さんに、

2019-01-25 21:06:32
橋本 至 @kid75

もう参りましたという感じで、なんかこうゾーンに入るというんですかね、そういう心境を語ってくれたボランティアのエピソードをタイトルにしたんですけどね。私にも、バナナではないんですけどそうめんの体験があって。 荻:「こんな時間にそうめんか」とか。 南:茹で方を指示したりとか。

2019-01-25 21:06:32
橋本 至 @kid75

渡:鹿野さんの言うとおりにそうめんを茹でて、めんつゆを薄めて持っていったら、めんつゆの味が濃いだの薄いだのってことで何度もやり直しをさせられるわけですよ。最後に言われたことが「渡辺さんはまだまだ俺の味を分かっとらんなあ」って言われた時に、なんかもう「このおやじは」みたいな。

2019-01-25 21:06:32
橋本 至 @kid75

でもそこで私が思ったのは「みんなこういう思いをしてんだな」っていうのと同時に、口先では自分はすごく寛大で優しい人間であるかのように普段は思っていたんだけど、たかだかこんなことで腹を立てるんだろうかみたいなことを、やっぱり思うわけですよね。

2019-01-25 21:09:55
橋本 至 @kid75

だって動けないわけですから。動ける健常者であれば「きょうはちょっと我慢しておくか」ってことができるかもしれないし、自分で自分の一番合う好みの味に味付けしたりもできるわけですけど、動けない鹿野さんにとってはとにかく自分の納得いくまで要求し続けないと、

2019-01-25 21:09:55
橋本 至 @kid75

主体的に自分の人生を生きることができない。それは自立生活の生命線でもあるんですよね。施設とか病院にいれば、出されたものを食べるしかないですよね。病院食って評判が悪いけど、出されたものを食べるしかない。そこで文句を言うとまたいろいろなややこしい問題が生じたりしますけど。

2019-01-25 21:09:56
橋本 至 @kid75

荻:昔から、障害者あるいは病人というのは、選択をする主体ではなくなっているようにみなされてきたんですよね。

2019-01-25 21:09:56
橋本 至 @kid75

渡:ところが自立生活っていうのは自分の人生を、ここは自分の家なんだ、だから自分の家である限り自分の納得するまでやり直しをしてもらう。鹿野さんはもともと内気で神経質で引っ込み思案な人だったらしいんですけど、障害が多くなるに従って、そういうふうにどんどん人との摩擦を恐れない、

2019-01-25 21:09:56
橋本 至 @kid75

とにかく自分の人生を自分で生きるという、この家の主人は自分だという、そういうたくましさを感じて。やっぱりそこでボランティアが自問自答するかどうかですよね。そこで単に「なんでこのわがままなおやじのボランティアをしなきゃいけないんだ」と思って去っていく人もたくさんいたわけですけども、

2019-01-25 21:09:57
橋本 至 @kid75

「これはわがままなんだろうか、あるいはこんなことで腹を立てている自分がちょっと情けないんじゃないか」とか、そういう自問自答を始めるボランティアは長く続けて、そして驚くほど変わっていく、そういう契機になるんだろうと。振り返るとですけどね。

2019-01-25 21:09:57
橋本 至 @kid75

荻:だから例えば夜中に「これ食べたいから買って来て」って言われたときに「なんてわがままな」と思うのですが、そこには少なくとも2つの思い込みがあるわけですよね。1つは「障害者だったら、私が献身的に振舞う側なんだから感謝されるべきなのに、なぜ指示を受けなくてはいけないのか」という

2019-01-25 21:13:18
橋本 至 @kid75

暗黙の権力関係をそこに想定していると。もう1つは「障害者は選択の主体ではないはずだ」という思い込みがあって、例えば我々は生きていると「あっ、お腹空いたな」というときに「なんてわがままな胃袋だ」と怒ったりはしないわけですよね。

2019-01-25 21:13:19
橋本 至 @kid75

自分で足を使って買い物に行って、どれにしようかなって買って戻ってきてということをやるわけですが、障害があった途端に、食べ物を選ぶ、今家にない、だから「買って来て」と言うことが「わがまま」ということになってしまうわけですよ。

2019-01-25 21:13:20
橋本 至 @kid75

でも、本来であれば他の人たちは「きょうはこの気分じゃないからちょっと遠くの駅まで買いに行っちゃおうかな」とか「あー、このタイプの食べ物じゃなくてこっちのカップラーメンがよかったのに」ということで、別の物を買ってしまったら「あーっ、間違えた間違えた」。

2019-01-25 21:13:20
橋本 至 @kid75

でも頼んだ人が間違えたら「なんで間違えたんだ」と言いたくなる気持ちもある。

2019-01-25 21:13:21
橋本 至 @kid75

渡:そうなんです。だから要するに良かれと思ってしてくれたことをそのまま受け入れていたら、それは施設や病院にいるのと同じなんですよね。良かれと思って買って来てくれた、本の中のエピソードでいうと、よこやまじゅりちゃんていう若い女の子のボランティアが、鹿野さんの誕生日プレゼントにね、

2019-01-25 21:13:21
橋本 至 @kid75

鹿野さんはタバコを吸う人だったので……これも一悶着あったんですけど……灰皿をプレゼントしたんですよ。そうしたら「この灰皿ちょっと気に入らないから、これこれこういう灰皿に交換してきてくれないか」って言われて、

2019-01-25 21:13:22
橋本 至 @kid75

そのじゅりちゃんはもう思わず「なんというわがままなおやじなんだ」って言って泣いてしまったんですけど。ようするにその「良かれ」に従っていたら、自分の主体的な人生は生きられない。あくまで自分を貫く。

2019-01-25 21:13:22
橋本 至 @kid75

良かれと思ってした人にとっては、やっぱり「わがままな」ってそこで対立するのは不可避なんですよね。必ずこの対立は起こるんですよね。

2019-01-25 21:13:23
橋本 至 @kid75

荻:思いが衝突するわけですからね。それは片方が思い込みかもしれなくて、片方は具体的な生活のニーズ、そうしたものがぶつかったときにどう折り合いをつけながら生きていくというゴールに向かって進んでいくのかということが問われるわけですね。

2019-01-25 21:16:36
橋本 至 @kid75

渡:そうですね。鹿野さんは普通に生きたいだけなんですよ。 南:生活ですもんね。 渡:そう。健常者がやっていることと同じというか、自分の食べたいものを食べたいし、ここは自分の家なんだから。ただそれはよかれと思ってやってくれた人にとっては、自分を否定されるかのような……。

2019-01-25 21:16:36
橋本 至 @kid75

だから私もそのそうめんの件で、些細なことなんだけどなぜか自分を否定されたような、「渡辺さんはボランティアに向いていない」と言われたかのような、やっぱりそこまで腹を立てたりするわけですね。でもそれはただ、鹿野さんの味をこれから学んでいけばいいわけで、切り替えられるというか、

2019-01-25 21:16:36
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