講演会「法廷と科学」簡易レポ
- patraschePt
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法廷という場において、科学検証が物的証拠として使われることが多いわけですが、法廷の場ということを考慮せずに考えると、科学的に言えることというのは、決定的な根拠がない限り断定的に言える内容はほとんどない。
2011-05-03 22:16:53たとえば、容疑者のDNAとサンプルのDNAが一致する確率を提示するのであって、その科学的判断は決定的ではない。もしかしたら一致しない部分もあるかもしれないからだ。断定はできない。
2011-05-03 22:18:41科学者としては、不確定な根拠で事実を断言したくない。真実を求める者だからだ。だが、法廷は真面目な科学論争の場ではないので、あいまいに答えるのは許されない。科学検証の結果を法廷の場で述べたものはみな、「ニ度とやりたくない」と語るという。
2011-05-03 22:47:45また、裁判官に専門的知識がないのは問題があるのではないかとの指摘もあるが、裁判官に専門的知識を要求することはできないのが日本の法廷の仕組みである。
2011-05-03 22:49:28なぜなら、知識を持っていたとしても、その個人的な知識は利用できないからだ(裁判官の私知)。事実認定に関して、証拠から公正な判断をしなくてはならない法廷においては、裁判官の個人的知識は不公平要素であるのだ(証拠主義)。
2011-05-03 22:51:59判例の中には、科学的判断を法廷が覆した例もある。たとえばルンバール訴訟では、被害者の死因と容疑者の行為に科学的因果関係は認められなかったが、法ではその因果関係を認める判決をくだした。これはつまり、科学的判断以上に社会的常識を考慮した判決であったことを示唆しており、
2011-05-03 22:55:10必ずし科学的判断が正しいということではないこととして、今の法廷でもその精神が生きている。 裁判での科学鑑定において、一点の疑義も許されない自然科学の証明は存在しないのである。
2011-05-03 22:57:29要点をまとめると、科学は真実の追求を、法は正義の追求を目的とするのである。法を扱う法廷では、正義を確立させるために真実が必要だから真実を科学に求めるのであり、そこには当然価値観が含まれてくるので、科学にこたえられない問題(トランスサイエンス)が出てくるのである。
2011-05-03 23:00:50つまり、真実を求めるという原理にのっとったままの科学では、法の場においてはあまり役に立たない。十分に力を発揮できない。だから、法で化学を取り扱う上では、科学には、新たに別の原理が必要なのではないか?と今日の講演会の話し手の先生は考えていらっしゃるようである。
2011-05-03 23:03:23