戦時中の血液製剤の話

・アメリカの乾燥血漿とアルブミン溶液 ・血液型を利用したドイツの人種差別 ・ソ連の死体血輸血 ・ドイツやソ連の血液代替薬剤 とかの雑多な話 続きを読む
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深海さかな @dzurablk_kai

まず、乾燥血漿の時点で50人分の血液を一緒に処理するので、細菌汚染のリスクが高くなる 加えてその血漿から更に精製するアルブミンともなると、汚染のリスクはとても高く、開発に協力した企業の一つは四分の一のサンプルを一度に失う憂き目に遭ったりしたことも

2019-02-16 12:38:40
深海さかな @dzurablk_kai

加えて、一単位の血漿は二単位の血液から作れるのに対して、一単位のアルブミン製剤を精製するには三.六単位の血液が必要だった だがそんな困難を乗り越え、アメリカはアルブミン精製事業を『軍事機密』として為し遂げた その影にあったのが、乾燥血漿の実用化にも尽力したエドウィン・J・コーン

2019-02-16 12:39:10
深海さかな @dzurablk_kai

タンパク質の研究者として偉大な業績を上げたコーン博士についての、分かり易い記事 gelifesciences.co.jp/newsletter/bio…

2019-02-16 12:40:18
深海さかな @dzurablk_kai

当時のアルブミン製法についても 現在も同じ技法が使われてるんですね エタノールを加えて遠心を繰り返す様は、核酸抽出法のエタノール沈殿みたい・・・w ketsukyo.or.jp/glossary/ka14.…

2019-02-16 12:41:01
深海さかな @dzurablk_kai

ちなみにこのハーバード出身のコーン博士 1957年にはセルロース・アセテート膜電気泳動法も開発してるみたいですね

2019-02-16 12:42:06
深海さかな @dzurablk_kai

このアルブミン溶液が初めて効果を発揮したのが、何を隠そう日本軍の奇襲作戦で甚大な被害を蒙った真珠湾 ペンシルヴェニア大学の著明な外科医、イジドー・S・ラヴディンが海軍の命令で奇襲から数日後のハワイへ飛ぶ折、彼はコーンにアルブミン溶液を提供してくれるよう依頼

2019-02-16 12:51:24
深海さかな @dzurablk_kai

真珠湾攻撃の一報が入った時点で研究所でコーンの助手達がかき集めていたアルブミン溶液の在庫全てを手に、ラヴディン医師は2500名近くが死亡、1000名余りが負傷した数日後の真珠湾へ 真珠湾奇襲の直後は負傷者の治療をする余裕などあるはずもなく、現地の軍医達は負傷者にとりあえずモルヒネを打ち、

2019-02-16 12:56:54
深海さかな @dzurablk_kai

過剰投与を防ぐためにモルヒネを投与した負傷兵らの額に赤チンで印をつける作業に追われていたが、ラヴディンが到着した四日目には負傷兵への治療が開始されていた そこで彼は輸血の効果があるかもわからないほど最も重度の火傷を負っている兵士7名を選び、アルブミン液を投与

2019-02-16 13:02:24
深海さかな @dzurablk_kai

その結果は、ラヴディンの報告の一言「全ての患者に全般的な臨床症状の改善が認められた」が全てを物語る 真珠湾では計87名にアルブミン溶液が投与されたが内4名に軽い副作用が出ただけで、大いに満足できる結果だった この経緯により、ここにアルブミン量産体制が敷かれることが決定されたのである

2019-02-16 13:06:08
深海さかな @dzurablk_kai

ちなみに、アルブミンの精製にはとても手間と時間(およそ一週間)がかかったので、アメリカ国内でも代替アルブミンの開発が始まった ここでも陣頭指揮を執ったのはコーン博士

2019-02-16 13:07:25
深海さかな @dzurablk_kai

ノックスゼラチン社がゼラチン溶液を提供したり、カリフォルニア果実栽培協同組合が柑橘類の皮下に含まれるペクチンを提供したりしたものの首尾は上がらず そこで白羽の矢が立ったのがウシのアルブミン

2019-02-16 13:07:50
深海さかな @dzurablk_kai

ウシアルブミンは現代でも血液型判定の検査試薬に使われてたり 血液から造られる母乳においても牛と人間の乳の味は似ていると言われるが、現にウシの血漿は人間の血漿と組成が似ていて精製すると人間のそれとほとんど変わらないアルブミンが取り出せた おまけにウシ血なら屠殺場でいくらでも手に入る

2019-02-16 13:30:16
深海さかな @dzurablk_kai

41年4月からハーヴァード大学で始まったウシアルブミンを人間に輸注する実験は当初は成功を収め、後に受刑者や医学生ボランティアを対象に3000名近くの志願者へウシアルブミンを投与するに至り、並行して量産体制も整えられつつあった ・・・が、ここで問題が生じた

2019-02-16 13:33:05
深海さかな @dzurablk_kai

翌年42年7月、ウシアルブミンを投与された62歳の男性に発熱、貧血、皮膚の変色にミミズ腫れなどの免疫反応が現れる 当初は製剤の細菌汚染やタンパク質の変性が問題と考えられたこの副作用はしかしながら、マサチューセッツのノーフォーク刑務所で輸注を受けた66名のうち21名にも同様の症状として現れた

2019-02-16 13:35:54
深海さかな @dzurablk_kai

ノーフォーク刑務所でウシアルブミン輸注を受けた受刑者のうち、一名は免疫反応により死亡するに至る コーンの実験で死者が出たのは、このケースだけだった 彼は全責任を負い辞任しようとしたが、海軍を始め他の研究者たちは研究続行を主張 だがコーン博士はウシアルブミンの実験を全て中止させた

2019-02-16 13:40:25
深海さかな @dzurablk_kai

そうそう、代替血液といえば、ソ連での研究についても触れておかなければ

2019-02-16 13:44:05
深海さかな @dzurablk_kai

あまりイメージできないかもしれないが、直接腕から腕へと輸血する方法が普通だった黎明期の輸血医療において、「予め瓶などに保存しておいた血液を必要に応じて払い出す」というシステムを最初に発明したのは、実はソ連だったりする その立役者がセルゲイ・ユーディンという医師

2019-02-16 13:57:29
深海さかな @dzurablk_kai

アメリカのリチャード・ルーイソンが1915年に発表したクエン酸ナトリウムという抗凝固剤を使う方法(これは現代においても献血の現場で使われている) これを応用しソ連では血液を瓶に貯留することで「重傷者が運び込まれる度に輸血者を募らなくてはならない」という重大な問題を改善することができた

2019-02-16 14:02:22
深海さかな @dzurablk_kai

ただし、ソ連が保存したのは瓶詰めの血液だけではなかった 彼の国では、「新鮮な死体から血液を抜き取り輸血ないし保存する」という手法も、第二次大戦ごろまで使われていたのである この手法もユーディンが1930年に初めて行ったもので、その後アメリカやカナダでもひっそりと実験されていたらしい

2019-02-16 14:05:21
深海さかな @dzurablk_kai

アメリカでの死体血輸血に関しては、メアリー・ローチ著の『珍軍事研究』にも、米西戦争時のハーマン・ミュラー医師による死体血を自らに輸血してその安全性を確認した旨が書かれていたなあ twitter.com/dzurablk_kai/s…

2019-02-16 16:32:00
深海さかな @dzurablk_kai

『珍軍事研究』、米西戦争で行われたハーマン・ミュラーなる人物による、死体からの輸血の実験もちらっと触れられていたんだが 死体血輸血というと帝政ロシアのイメージが強かったので、改めて『血液の物語』を読み返してみたところ 確かにあったわ、アメリカでの死体血輸血の実験の記述もw pic.twitter.com/spHu32eFfJ

2019-02-11 11:23:33
深海さかな @dzurablk_kai

アメリカの死体血輸血の実例 ・1935年、シカゴの医師2名(氏名は不明)、二年間で35例ほど実施 ・1961年および1964年、ポンティアック総合病院(ミシガン州)のジャック・ケヴォーキアン医師による七例(彼は後に末期患者の自殺を幇助し『ドクター・デス』と呼ばれるようになった)

2019-02-16 21:56:27
深海さかな @dzurablk_kai

とはいえ、アメリカ国内では(当然といえば当然であるが)患者や家族からの反発を恐れ、死体血輸血に関しては伏せていたらしい 1960年頃にはドナルド・F・ファーマー医師が、当時を回顧する文章を発表し「死体血は生者からの輸血と同様に安全だった」と発表している

2019-02-16 21:59:26
深海さかな @dzurablk_kai

こういった死体血輸血に関しては急死した遺体からの輸血が専ら用いられたらしい 一般的に人間は死亡すると血液循環が停止し末梢から血液が凝固を始める そのため解剖では心臓の内側から血液を採取するんだが、急死した場合は固まった血液を再度溶解させる線溶系がまだ生きているために採血が可能らしい

2019-02-16 22:05:03
深海さかな @dzurablk_kai

再びソ連の話に戻すと、ユーディン医師は急死した人間の遺体を自らの勤めるモスクワ、コルホーズ広場近くのスキルホソフスキー研究所(通称スキルフと呼ばれる救急病院)へ運び、死体血の採取を始めた 急死した遺体の死因は心臓発作や脳卒中、事故死などが多かったが、最多は路面電車で撥ねられたもの

2019-02-16 22:44:36
深海さかな @dzurablk_kai

死体からの採血は、仏を手術台に縛り付けて頭側を下に傾けつつ、頚静脈にガラス管を差し入れるという手法が取られたらしい 大腿静脈から生理食塩水を注入することで、可能な限りの血液を搾り取ったと

2019-02-16 22:49:33
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