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安藤百福(「まんぷく」モデル)は、発明ではなく「投資と宣伝」の天才だった〜近代食文化研究会さんの検証/さて「歴史秘話ヒストリア」はどう放送?
(2019年02月06日~13日)
(2019年02月13日~22日)
そしてこのまとめに続きます。
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安藤百福は”特許ハック”を用いて、短期間ではありますが独占状態を演出し、その機会を最大限に活かしました。もちろん合法的手法で。 私は皮肉ではなく、心からこの時期の百福の神がかり的な投資センスを称賛します。素晴らしき起業家です。
2019-02-22 03:10:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて、商社から出資を得た百福は、本人いわく「無謀とも思えるほど」の大金を宣伝につぎ込みます。 明日は、この頃の宣伝がもっていた異常な威力について説明します。 というのも、現在の我々が考えている宣伝の力と、当時の宣伝の力は、全く違っていたからです、 pic.twitter.com/AUT9Stz5kC
2019-02-22 03:10:36![](https://pbs.twimg.com/media/Dz8s1XGVAAAECbc.jpg:medium)
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安藤百福は、特許ハックを用いて商社から引き出した多額の資金を、工場拡張だけでなく宣伝費にも「無謀と思えるほど」(本人談)つぎ込みました。 この時代、高度成長時代の宣伝は、魔法のような威力を持っていたのです。 百福はその力を熟知していました。この点も、百福の偉大な点です。 pic.twitter.com/yfkZMySisp
2019-02-23 03:03:12![](https://pbs.twimg.com/media/D0BzEaTU8AEVNAL.jpg:medium)
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高度成長時代の宣伝の威力については、私自身もピンときません。 そこで、サッポロ一番で有名なサンヨー食品井田社長の証言を取り上げます。 エコノミスト誌日本1982年3月30日号「証言高度成長時代の日本」第48回「即席ラーメンの世界」からです pic.twitter.com/C7I9IOZXGE
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井田社長は冒頭、チキンラーメンは安藤百福の発明ではなく、台湾の鶏糸麺をもとに台湾系華僑が開発したもの、と述べています。 1982年、ほんの一昔前までは、百福がインスタントラーメンを発明したという話は虚偽であると、サッポロ一番の社長が明言していたのです。 pic.twitter.com/6W1xDy4iuO
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インスタントラーメンの発明者ではないとするならば、なぜ日清食品は成功したのか? 井田社長によると、機先を制した大量生産能力と、テレビでの大々的な宣伝がその秘密だといいます。 つまり冒頭に上げた特許ハックによる資金調達が成功の鍵だったという認識です。 pic.twitter.com/YZQ1azGJkn
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群馬県で乾麺を製造していたサンヨー食品がインスタントラーメンに参入したのは昭和38年。 記念すべき第一号製品の名前は「ピヨピヨラーメン」でした。 チキンラーメン丸パクリですね。 pic.twitter.com/T6dt3Vk6gN
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ピヨピヨラーメンが発売されたときには既に、大手四社が連日テレビで「モーレツに」コマーシャルを流していました。 そこで井田社長は、清水の舞台から飛び降りる覚悟の決断を下します。 社運の全てを、テレビコマーシャルに賭けたのです。 pic.twitter.com/VxThsB38OD
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それまで10年間コツコツためてきた会社の預金5000万円のうち、工場の設備資金などを差し引いた全て、3000万円をコマーシャルにつぎ込んだのです。 サンヨー食品がテレビCMに抜擢したのは、当時テレビタレントとして人気があった三遊亭金馬でした。 pic.twitter.com/59ZQGmaiSl
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金馬のフレーズ、「ピヨピヨラーメン、食べてーみな」は流行語になり、20円という安さもあいまってピヨピヨラーメンは大ヒット。サンヨー食品の基礎を作ります。 ラーメンもテレビCMの活用も、サンヨー食品の黎明期は全て安藤百福の模倣から始まったのです。 pic.twitter.com/tL4z8oaCXz
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テレビコマーシャルには大金がいります。会社が持つ資金力がそのまま、コマーシャルの投下量に比例し、競争力と直結していきます。 昭和30年代後半、豊富な資金力をもつ大メーカーは、ダンピングとコマーシャルの集中投下によって、地方のメーカーを絨毯爆撃し焼き払っていきました。 pic.twitter.com/3fr3aPG8to
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この、資金力=広告力=競争力の方程式を最初に描いて実行したのが、安藤百福だったのです。 そこが、発明や製品化では先行していた陳栄泰や張国文との大きな違いだったのです。
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現在の我々からしてみると、テレビコマーシャルを流せば流すほど商品が売れるという当時の状況は、実感としてピンときません。 メディアも価値観も商品も欲求も多様化した現在、コマーシャルは魔法の力を失ってしまったからです。
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しかし、テレビという新しいメディアが勃興した昭和30年代、高度成長時代という背景もあり、コマーシャルは魔法のような力を持っていたのです。 この「新しいメディアの広告が社会を牽引する」という事象は、明治時代末に生まれた事象です。
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明治時代末、当時の新興メディア「新聞」への広告掲載は、やはり魔法のような力を持っていました。 この力によって生まれたブームが、支那そばブームです。 来来軒という浅草の小さな店が、安藤百福のように、広告の力で支那そばブームを巻き起こしたのです。 pic.twitter.com/bTuq6Ant1N
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当時の新聞広告がどのような力を持っていたのかを理解しなければ、なぜ支那そばブームがおこり、日本にラーメンが定着したのかを理解することはできません。 詳細については「お好み焼きの物語」を参照してください(宣伝)。 amzn.to/2QTMBrR
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新興メディアの勃興と、魔法のような広告の力。 インスタントラーメンの普及だけでなく、ラーメンの誕生にもこの2つの要素は関わっていたのです。
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来々軒の尾崎新一と安藤百福。 ふたりとも「発明者」ではありませんでしたが、広告のウイザードとしてラーメン普及に果たした功績は、忘れるべきではないでしょう。 明日に続きます。
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「魔法のラーメン発明物語」において、安藤百福は銀行について次のように語っています。 ”この出来事(注 信用金庫破綻)を機に銀行には頼るまいと肝に銘じた。” pic.twitter.com/Z824kHyRL3
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”経営者は一度借り入れの味を覚えると抜け出せないものだ。経営に緊張感がなくなり、 そのツケは必ず自分に回ってくる。” ”ある取引銀行の頭取から「安藤さんの会社はカネを借りてくれないから面白くない」と 言われたことがあるが、日清食品を創業して以来、無借金経営を貫いている。”
2019-02-25 03:06:30