Carlos Rodrigues(@fever7777)による「戦後政治史」【第九章】55年体制崩壊と非自民連立政権(1993~94)細川内閣から羽田内閣まで

【参考】「戦後政治史」【第一章】http://togetter.com/li/108740 【参考】「戦後政治史」【第二章】http://togetter.com/li/109443 【参考】「戦後政治史」【第三章】http://togetter.com/li/113219 【参考】「戦後政治史」【第四章】http://togetter.com/li/113959 【参考】「戦後政治史」【第五章】http://togetter.com/li/123490 続きを読む
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fever7777 @fever7777

20. 羽田孜は農水族としてのキャリアを積んできた。第二次中曽根内閣の農水省として、コメの自由化問題に取り組んだ。羽田は、外国米に対して価格の高い日本米に国際競争力をつけるため、農産物価格の引き下げを断行しようとした。しかし閣僚交代もあって、これは実現していない。

2011-05-08 19:50:35
fever7777 @fever7777

21. 羽田は自民党時代、党選挙制度調査会長となり、YKKなど海部内閣の政治改革に批判的な勢力と対峙した。金丸信は次代のリーダーを「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と呼んでいたという。

2011-05-08 19:51:04
fever7777 @fever7777

22. また首班指名翌日、民社党委員長・大内啓伍の発案(とされている)で与党統一会派「改新」の結成が発表される。これが社会党を排除していたことに社会党が強く反発、連立政権離脱してしまう。羽田内閣は成立翌日から少数与党内閣となってしまった。

2011-05-08 19:51:34
fever7777 @fever7777

23. 少数与党の羽田内閣は、予算管理内閣の色彩を帯びており、わずか64日間で総辞職することになる。結局自民党が武村を通して、村山社会党を味方に引き込んだことが大きい。改革派の連立与党は、僅か1年足らずで崩壊し、政権はまた自民中心の枠組みに戻ることになる。

2011-05-08 19:52:05
fever7777 @fever7777

24. なお1990年代以降は、さまざまな政党が生まれ合併した。その流れはいずれまとめようと思うが、細川、羽田内閣は様々な政党の寄り合い所帯であり、不安定であった。この反省から、小沢らは1994年12月に政権交代可能な野党・新進党の結党を行っている。

2011-05-08 19:52:35
fever7777 @fever7777

25. 次回は、村山政権から21世紀になるまでの歴代の連立政権を一気に見て行く予定である。この時期は最後の「経世会支配」の時代となる。結局、社会党も新党さきがけも自民党に飲み込まれるのであるが、詳しくは次回で!(この章終了)

2011-05-08 19:53:05