【西楚覇王】項羽の『戦が強いだけの、脳筋バカ』というイメージは作られたものだった! Wikipedia記事を通じて、項羽のマイナスイメージの真相に迫る!【四面楚歌】
- mamesiba195
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3 「史記」における項羽像
「史記」は、確かに、中国の正史における最も公正な歴史家である司馬遷が書いたものであると評され、さらに、劉邦の時代が率直に記載することが尊ばれ、劉邦自体が自身の過ちや醜態を隠そうとしない優れた英傑であることは間違いないでしょう。
2019-04-06 13:34:25しかし、そうであるとしても、劉邦が建国した前漢の時代に書かれた記録に基づいて史記が書かれたことも間違いありません。
2019-04-06 13:35:58このことについては、専著『項羽』の著者である佐竹靖彦先生も指摘しておられます。 『項羽』9・10頁から引用します。「皇帝劉邦に対する御前講義である『楚漢春秋』を根本史料とする『史記』は、項羽の敗北を導いたかれの性格的な弱さについて過剰な記述をのこしている。(続く)
2019-04-06 13:36:38『楚漢春秋』が項羽を貶める中心的な論点は、項羽の勇気は「匹夫の勇」、その愛情は「婦人の仁」であり、無謀で残虐であるととともに、愚論な好人物であったとすることである」
2019-04-06 13:36:56また、『項羽』82・83頁から引用します。「すべての問題は項羽の性格的な欠陥に起因するという説法で、これまで至極簡単に処理されてきたことを、根本的に理解しなおすこともまた本書のもう一つの目的である。」(続く)
2019-04-06 13:37:13「そもそも一人の人間にあらゆる能力を求めて、それができなければ性格的に問題があったと片づけられるのが、陸賈(※劉邦の臣下)以来、項羽を貶めるためにとられてきた手法である」
2019-04-06 13:37:32佐竹靖彦先生の学説が全て正しいかはともかく、佐竹靖彦先生は「史記」自体にも項羽の敗北や失敗を項羽の性格のみに起因させ、貶める意図を内包していることを考えており、その可能性は否定できないものです。
2019-04-06 13:38:10劉邦を称揚するためにある程度は項羽を持ち上げた、あるいは司馬遷が公正な歴史家である上に個人的に項羽のことを好きだったという理由により項羽に贔屓を行ったとしても、史記の元の史料が漢王朝のものである以上、貶める意図の方が強くなる傾向にあるのは明白でしょう。
2019-04-06 13:39:09さらに『史記』の記述以上に、項羽の残酷で乱暴な人格により敗北あるいは失敗したと評する傾向が強くなった現代の項羽像は、さらに項羽を史実以上に貶めるものであることは言うまでもないでしょう。
2019-04-06 13:39:40そのため、史記「項羽本紀」にできるだけ沿って、項籍(項羽)のwikipedia項目を改変しています。実は、史記の中でも、時系列などで「項羽本紀」と「高祖本紀(劉邦の本紀)」は矛盾しています。
2019-04-06 13:39:58これは司馬遷がいい加減なわけではなく、根拠となる史料が違うため、司馬遷があえて、根拠とした史料そのままで残している可能性があります。すなわち、「項羽本紀」の方がより漢王朝の影響の薄い史料によって、記述されている可能性が高いわけです。
2019-04-06 13:40:154 「漢書」における項羽像
それなら、本紀ではなく、項羽列伝が記載された「漢書」はどうでしょうか? これを参考にすれば、補正はなされるのでしょうか?
2019-04-06 13:40:35しかし、これは史記よりもさらに無理な記述があり、どう見ても、歴史『修正』による記述の操作が行われたことがうかがえます。漢書によると、劉邦には毎日最低50キロメートルを行軍し続けた一か月間が存在し、佐竹先生も「アニメの主人公のような大活躍である」と揶揄しています。
2019-04-06 13:41:06「漢書」が漢王朝を持ち上げる神話や儒教イデオロギーに沿ったもので歴史書であることは、佐竹先生が、宇都宮清吉先生や板野長八先生の研究を根拠にあげています。
2019-04-06 13:41:25私も、山田勝芳先生の著書『貨幣の中国古代史』において、発掘文献と比べて、漢書において、歴史の操作が行われていると論じているのを読んだことがあります。
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