【西楚覇王】項羽の『戦が強いだけの、脳筋バカ』というイメージは作られたものだった! Wikipedia記事を通じて、項羽のマイナスイメージの真相に迫る!【四面楚歌】

漢文や中国史、有名声優によるゲームキャラクターなどで有名な項羽(項籍)という歴史人物がいます。紀元前3世紀に活躍し、秦の始皇帝が立てた秦王朝を滅ぼした、世界史の教科書でもあげられている人物と思われます。 しかし、この項羽の人物像は長年、誤解させ、『戦争が強いだけの、ただの残酷な乱暴者』というイメージがネットのみならず、世間でも流布しています。 これは、相当に公正な歴史書とはいえ、元々から項羽にとって不利な記述が多い『史記』にある悪いイメージが、拡大解釈や敗者である項羽を悪者とする創作作品の影響によって拡大されたものです。 そのため、多くの人の目に触れ、自由に編集できるwikipediaですら、きちんとした出典もなく、その先行したイメージによる記述がなされ、長年、改変もされないままでいました。 続きを読む
24
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

漢書では、歴史操作が行われ、それが項羽に不利な方向に働いている可能性がより高いのはほぼ間違いないようです。すなわち漢書によることは困難です。

2019-04-06 13:45:17
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

なお、史記と漢書以外では、項羽に関する史料はほとんど存在しません。

2019-04-06 13:45:43

5 項羽の時代と「三国志」の時代との意識の違い

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

さらに、我々から見れば、「時代が近い」とも思える三国志とも実際は400年間の時間の開きがあります。三国志の時代のように、項羽の生きた時代は儒教が浸透しておらず、人であること自体が貴いとする、現代でいう人権意識は後漢末に比べて薄いことも考慮されておりません。

2019-04-06 13:46:00
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、項羽の生きた時代は、戦国時代から15年しか経っておらず、旧秦国にいた人間を同じ国家の人間と考える意識は薄いです。500年以上も前に存在した西周王朝が存在した時も、秦や楚は蛮国の扱いでした。

2019-04-06 16:26:13
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

さらに、秦からの統一に至るまでの侵略戦争が各国に対して繰り広げられ、記録に残っているだけでも、秦が行った各国への斬首の総計は軽く100万人を超えるものです。

2019-04-06 13:47:50
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、秦には楚王をだまして、侵略を繰り返した歴史があります。秦に対する楚人の気持ちが、とても漢王朝400年の間に生まれていたであろう、漢人全体の同胞意識と同じものであるわけがありません。

2019-04-06 13:48:24
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その後漢末ですら、曹操が官渡において、捕らえた袁紹軍8万人を生埋めにしています。徐州では一般民衆にすら虐殺を行ったという記述もあります。曹操の官渡での所業は非難されているのは余り読んだことはありません。戦争ゆえに仕方ないということでしょうか。

2019-04-06 13:48:49
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

曹操に対して、そういった評価をされているとすれば、秦軍の侵略に家族や楚の人々が苦しめられ、祖父を失い、その後も落ち着かない生活を強いられたであろう項羽だけをとがめるのは不公平でしょう。

2019-04-06 13:49:29

6 以前のwikipedia項籍(項羽)項目の内容について

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その史記や漢書の無批判な読解による項羽に対する『戦争が強いが残酷な乱暴者』という作られたイメージが、創作もまじえさらに拡大されたものが、wikipedia項目に反映されていました。その結果が改変前の記事内容です。

2019-04-06 13:51:11
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

意図的なものかどうか定かではないものを除いた代表的部分を列記し、説明します。

2019-04-06 13:51:32
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

「このとき、項梁の戦死を恨んだ項羽は、章邯が居城としていたが既に去っていた[[定陶]]城の住民を皆殺しにしている」という記述ありました。 pic.twitter.com/udC0N2odGV

2019-04-06 13:52:21
拡大
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

このような事実は史記を調べた限りありません。あくまで久松文雄氏と久保田千太郎氏の漫画『史記 項羽と劉邦』にある作品上の項羽の気性の激しさを示すための創作です。

2019-04-06 13:52:45
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その証拠として、住民が皆殺しにされたはずの定陶において、劉邦は皇帝に即位し、梁王となった彭越は都としています。

2019-04-06 13:53:02
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

続いて、項羽が関中で行った諸侯の封建について、「その基準となったのは功績ではなく、項羽との関係が良好か否かであった。故に、ろくに手柄を立てなかったものが優遇されたり、(続く) pic.twitter.com/zQHvM0axge

2019-04-06 13:55:17
拡大
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

逆に、咸陽に一番乗りして秦を滅亡させた劉邦が冷遇されて漢中に左遷されるなど、不公平なものとなり、諸侯の多くに大きな不満を抱かせるものとなった。」とするものです。

2019-04-06 13:55:44
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

史記によれば、公平かどうかは別にして、項羽たち項羽軍首脳が秦を滅ぼした功績を彼らなりに算段し、少なくともある程度は関中に集まった諸侯が同意した結果です。

2019-04-06 13:56:01
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、諸侯を束ねる上将軍として秦の処置を決めようとする項羽を、雍王に章邯が任命されたと聞いて、劉邦が函谷関を封鎖したという事実が勘案されていません。これも史記に明確に記載されています。

2019-04-06 13:58:42
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

その上で、劉邦に対しての処遇が、不公平や冷遇と断言されています。これを不公平とする記述は、あくまで劉邦に進言した韓信の言葉の内容や、劉邦の項羽を責める時に使った自己弁護による言葉によるものです。

2019-04-06 14:00:53
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

項羽を批評した韓信の言葉が絶対的に正しいものとされてしまい、項羽は不公平で不当な論功行賞を行い、賞すべき劉邦を漢中に流した、「匹夫の勇」で「婦人の仁」だけの人物に過ぎないとされてきました。

2019-04-06 14:01:38
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

史記の記述すらも無視して、劉邦や韓信に都合のいい発言だけを信じること、それこそ、不公平で不当でしょう。項羽が不公平だとか、自分勝手だというイメージだけが先行していることが分かります。

2019-04-06 14:01:57
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

また、史記にあるこういった記述をよく読めば、項羽の進行を劉邦が函谷関で防いだ事実があるにも関わらず、劉邦を関中王に任じようとした義帝(懐王・羋心)を、項羽が一応の主君でありながら殺害に至ったことの説明もできることが分かります。

2019-04-06 14:02:44
前へ 1 2 3 ・・ 6 次へ