【西楚覇王】項羽の『戦が強いだけの、脳筋バカ』というイメージは作られたものだった! Wikipedia記事を通じて、項羽のマイナスイメージの真相に迫る!【四面楚歌】
- mamesiba195
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もし、劉邦が項羽を函谷関で防ぐことができていれば、劉邦は自立し、項羽の諸侯を束ねる体制は崩壊し、戦国時代の世に逆戻りしたでしょう。決して、楚の懐王による統一政権が生まれていたわけではありません。
2019-04-06 14:04:46ペナルティがあるはずの劉邦を「関中の王」とすれば、史実よりもさらに確実に、秦の土地を受け継いだ劉邦がまた、かつての秦と同じように強勢を誇り、楚がその侵略におびえるのは明白です。
2019-04-06 14:03:05また、諸侯や諸将に恩賞を分配するはずの項羽としては、楚の臣としては「身内」の劉邦を許しては、全く示しがつかず、統制がとれるはずもありません。諸侯や諸侯は懐王・羋心の臣下でもなんでもなく、秦軍を壊滅させた項羽に従っているだけだからです。
2019-04-06 14:07:06なお、劉邦は懐王に復命したわけでもなく、(項羽が復命を行わなかったことについて、後に、劉邦が項羽を非難しています)懐王の許可を取っていたという記述もありません。独断で自立しようとしたと考えるのが自然です。
2019-04-06 16:29:43項羽としては、項羽に対抗するため、楚国や楚の人々を危険にさらし、項羽がつくる秩序を破壊しようとし続ける義帝(元の懐王・羋心)をそのままにすることができるはずがないのです。
2019-04-06 14:09:52義帝殺害については、あるいは異なった意見があるかもしれません。しかし、義帝殺害を項羽の感情や残忍性によるものと決めつけることによって、考え方の前提自体が誘導されていることには変わりはありません。
2019-04-06 14:10:19続いて、「項羽は討伐軍を率いて各地を転戦する。項羽は戦闘には圧倒的に強く、項羽が行けばすぐに反乱は収まるものの、間を置かず別の地域で反乱が起き、項羽がその鎮圧に行けばすぐにまた別の地域で反乱が再発するといういたちごっこを繰り返した。(続く) pic.twitter.com/y7S3NafURg
2019-04-06 14:10:53また項羽が降伏を許さず、反乱を起こした国の兵士は全員生き埋めにして殺し、住民も情け容赦なく殺すため、反乱軍は兵民一丸となって必死に抵抗し、戦闘は泥沼化していった。」という記述がありました。
2019-04-06 14:11:26項羽にこういった印象が強いですが、明確に記載されているのは、斉との戦闘の時だけです。また、降伏を許さないという記載はありません。
2019-04-06 14:12:45また、「項羽は戦術には非常に優れていたが、戦略・政略・人望などに乏しく、直情径行型であったため人の恨みを買いやすかったといわれる。」という記述もありました。 pic.twitter.com/WayWqCkrWy
2019-04-06 14:13:16ネット上ではよくうかがえる意見です。確かに、政略については概説書等でも項羽が優れているという意見は読んだことはありません。しかし、戦略については、関中を放棄したことを誤りという意見は多くても「乏しい」との断言は難しいですし、人望が乏しいと断言する理由は分かりません。
2019-04-06 14:13:39「直情径行型であったため人の恨みを買いやすかった」というのも項羽が史記において、「怒る」という描写が多いことによる印象論でしょう。客観性が確保されないネットでの意見が、流布していることが分かります。
2019-04-06 14:14:13続いて、改変以前のwikipedia項籍(項羽)項目の評価の内容です。生涯の部分より、さらにイメージ先行の傾向が強いです。おかしいと思うところに線をいれています。内容については、論じるまでもないでしょう。 pic.twitter.com/JtT8gzDoKV
2019-04-06 14:14:50青線・・・出典が明示されない、かなり主観的と思える記述 赤線・・・「史記」や「漢書」には一切無いと思われる記述 緑線・・・出典も明示されない、断言に疑問が持たれる主観的と思える記述 pic.twitter.com/fEWm0iqAMX
2019-04-06 14:15:20紫線・・・完全な間違い 孫策を「小覇王」とするのは、三国志演義の記述です。後漢時代にそのように称された記録はありません。 pic.twitter.com/wRDzDx37bh
2019-04-06 14:16:34青線や赤線は、創作作品や短い歴史記事、ネット掲示板の内容からの転用としか思えません。緑線も現在日本のネット上で流布した項羽像のイメージから作られ、出典も確認されずに断言されるに至ったものでしょう。
2019-04-06 14:17:127 項羽の作られ続けてきた「戦が強いだけの脳筋バカ」というイメージの影響力
ここで一番、重要なことは編集者の問題ではなく、このような記事が多くは10年以上もそのままにされていたことです。項羽は漢文の教科書では必ず出てくる有名人であります。
2019-04-06 14:17:49そのような項目が、編集者に歴史が詳しい人が多いはずの人々が編集し、毎日、何百人の人が読むwikipediaの項目でこのような状態であったのです。それほどまでにこのような「戦争が強いが残酷な乱暴者」というイメージによる項羽像が流布しています。 pic.twitter.com/UVeiWjKoyN
2019-04-06 14:24:30その証拠の一つが、項羽の乱暴なイメージ像です。「婦人の仁」と非難しながら、劉邦側さえ認める、項羽が普段から丁寧で優しい言葉遣いをしていたり、涙を流して病気の部下の看病をしたり、城攻めで先頭に立って重い物資を持って運ぶ姿が直接的に描かれたことは見たことがありません。
2019-04-06 14:25:43これは、項羽の持つ一般的なイメージと違い過ぎる上に、「悪役イメージ」を壊したくないということでしょう。史記に明確な記載がありながら、創作作品に制限を与えるほど、イメージが浸透しています。
2019-04-06 14:26:03ただ、申し上げますと、創作における項羽像について、例え、読者に誤解を与える可能性や史実の真実をあらわしていると信じる読者が存在したとしても、創作上の項羽描写について、私自身は、文句があるのではありません。創作上の目的を達してしまえば、どのように描いても自由と感じます。
2019-04-06 14:26:22読者の方で信じる、あるいはそれが史実だと思い込む方がいるのも仕方ないことです。そういった方をネット上で見つけて糾弾しようとする人たちに私が好意を持ったことは一度としてありません。
2019-04-06 14:26:40しかし、歴史に関する記事であることを前提として、ネットで流布した項羽像を発信するとなると、話は違います。それを発信しようとする側は、創作と分けて発信するべきではないでしょうか。
2019-04-06 14:26:54史実、もしくは史書に記載している、確信犯で歴史の真実を伝えたものと偽って、人物像として面白くて、それで人の目を惹けばいいものではないと考えます。
2019-04-06 14:27:10