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「剣道」と「剣術」の違い

宮本武蔵継承二天一流師範によるまとめ
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勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

抜刀隊により維新後廃れていた剣術や日本刀の価値が見直され川路利良大警視は『撃剣再興論』を著し、警察において剣術を奨励。これらの剣客によって警視流剣術の形が制定。弥生神社で大規模な撃剣大会(警視庁武術大会)が開かれるようになり、警視庁は当時の剣客たちの最大の拠点となった。wikiより

2019-04-11 11:06:40
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

こうして西南戦争時の抜刀隊功績が認められ、明治期に優れた剣士が警察官として採用される流れができ、又警視庁でも警視流を建て、警視庁オフィシャルの道場も設けられるようになりました。

2019-04-11 11:13:23
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

明治18年警視庁において七級から一級までの撃剣級位が制定。 その後明治28年大日本武徳会が設立され、明治35年武徳会での段級位が剣道界を統括するようになり、剣術や兵法の諸流派は、撃剣の高位の称号を持つものが居るかいないかで人気が左右されるようになり、

2019-04-11 11:14:35
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

高位の称号を持った流派は自動的に組織内での発言権も強くなった為、試合ルールに不利な流派は次第に存続が危うくなってしまった。これにより、受け継がれた技は形骸化し、撃剣の試合稽古が主になってしまった流派が増える結果を招いた。(後にこの流れは古武道界でも批判の対象となった。)

2019-04-11 11:15:13
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

そして大正8年、大日本武徳会において、剣術、撃剣などの名称を剣道に統一された事により、実質名称も内容も共に剣道と呼ばれても違いがわからなくなっていった。

2019-04-11 11:15:36
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

西南の役以降は撃剣が見直されて、撃剣で強い剣士がどんどん警視庁へスカウトされる運びになったというのと、主に警視庁主催の撃剣大会(興行ではありません)の結果が評価される流れがあったため、撃剣興行自体はあっても、興行よりも大会に力を入れる剣士が増えました。

2019-04-11 11:16:28
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

そういう事もあって、撃剣興行は次第に廃れて行うものがなくなり、その代わり撃剣大会(武術大会)が警視庁で開かれるようになりました。後の剣道大会の元祖ですね。

2019-04-11 11:16:49
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

兎も角興行のような不安定収入よりも、役人となって安定収入を得たいと思うのも無理はないです。そういう事もあって、警察官になる為、撃剣に勝つ為に剣術を学ぶというニーズが湧き上がりました。 以上です」 二天一流東京支部長 勝田兼充師範 pic.twitter.com/N4NRiKrnae

2019-04-11 11:18:10
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勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

二天一流の演武(剣術)と九州学院剣道部の稽古(剣道)は熊本城での五輪書献上ドキュメンタリーの「火の巻」にあります。 WEB秘伝フォト&動画ギャラリー 宮本武蔵 五輪書 - "The Book of FIVE RINGS" 肥後熊本の軌跡 webhiden.jp/gallery/catego… pic.twitter.com/ktnVhqDXUI

2019-04-11 11:29:37
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勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

つづき 「剣術に刀の扱いがシビアな流派とそうでない流派があって疑問に思った事ありませんか?  その理由は招集兵士に貸し与える一領具足や数打ちと言ったものの存在が大きく関わってきます。 初耳の人も居ますよね?」

2019-04-11 14:45:43
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

先ず一領具足というのはどういう事かというと、招集に応じた中流武士未満の身分の人は自前の具足(防具)がない事がほとんどで、その場合に領主から貸し与えられるものです。当然大量生産なので粗末な物が多いです。紙を重ねて漆で固めたものとか.......

2019-04-11 14:46:15
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

次に数打ちです。 数打ちも同じ様に招集に応じた兵士に貸し与えるために作った非常に粗末な刀で、多くは素人でも扱いやすい様に反りが入った刀です。

2019-04-11 14:46:40
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

で、藩お抱えの練兵師範としては、兵士の技術を底上げする為にも、この数打ちを最低基準にして指導しないといけません。(もちろん槍は竹槍です) 武蔵先生の書かれた五輪書に「道具は特別のものに拘ってはならない」と記されていますが、実はこの様な背景があったわけです。

2019-04-11 14:47:28
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

「刀は棒の様に扱うべし」として指導する場合、そもそも自前の刀(高級品)を持っている前提なのでかなり丈夫です。つまり指導内容が中流武士以上の護身用な訳です。 一方で「道具は特別なものを好まざるべし」として指導する場合、戦場を視野に入れた兵法である場合が多いです。(二天一流はこっちです)

2019-04-11 15:00:58
勝田 兼充 Nitenichi-ryu, Kyouyu @KatsutaNiten

武器や具足が粗末なら.....然も借り物ならば丁寧で長持ちさせる様にし、尚且つ最小限の動きで最大の効果を与えようとするのは自然の摂理です。 因みに武蔵先生の戦場での得物は筋金入りの木刀であったらしいです。 pic.twitter.com/JNjvpMCjQf

2019-04-11 15:03:45
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