先生と私⑩【葉月ちゃんの事情】

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51 気持ちがバレてしまった今となっては少し難しいのかもしれないけど、 きれいに終わらせれば、また彼が一人になったときに求めてもらえるかもしれない。 すごく惨めで虚しかったけど、 私の思考がたどり着いたのはその答えだった。 気づけば俯いていて、視界は地面に着く真っ赤なパンプスだった。

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52 暗闇の中、街灯に照らされたその視界に 静かに影が重なった。 『いつから待ってたん？ 早めに来たつもりやってんけど…』 見上げると大好きな顔がそこにあった。 『はよ乗って。冷えたやろ』 〈来たばかりだから大丈夫ですよ〉 立ち上がってハザードが焚かれた車まで 彼の後に続くけど、

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53 足の感覚が薄れていて歩きにくい。 そんなに冷えていたことにも気づかないくらい、 話し合いを前にした私の正常な思考は停止していた。 公園のフェンス沿いに停められたいた車に乗り込む。 『どうする？ なんか食べに行く？』 〈ううん、ここでいいですよ。 私もう大丈夫なんで〉

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54 スマートに別れられるように演じる。 『… ほんまに？』 〈こう見えて切り替え早いんですよね。 他の人を思ってる男なんて、興味ないですよ〉 『そっか、そうやんな…』 可愛くない女を演じるのも虚しいけど、 泣いてすがるのに比べればまだまし。 〈で？その人の事、好きになったの？〉

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55 『うーん… たぶんな。 なんか近くにおりすぎたから、よう分からんねんけど』 少しハニカミながら話す彼を、どんな気持ちで見てたんだろう… 〈はっきりしないと他の誰かに取られちゃいますよ(笑)〉 軽く、明るく… これでいい。 『嫌なこと言わんといてくれよ。 今まさに狙われてんねん…』

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56 〈なんか先生だけ楽しんでてズルいー。 私にもいい人いたら紹介してくださいね(笑)〉 『ええ人おったらな(笑)』 ぼーっとする頭でそんな会話を終えて 自宅まで送られる。 『じゃあ… ありがとうな。 ん？ ありがとう…か？(笑) まぁ、また病院でな』 〈じゃあね、先生。がんばってね〉

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57 彼が笑うのを見るたびに、 胸を切りつけられるようだった。 この時、素直に気持ちを伝えていれば あんな嫌な人間にならなくて済んでたのかな… . . それ以降は、朝、彼と一緒のエレベーターには乗らなかった。 でもある日、見てしまう。 以前より明らかに距離を詰めた二人を…

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58 笑い合うあの顔こそ、 私のいちばん欲しかったもの。 なんで私があんな子に… その夜も、言い寄られてる中でましな人を呼び出して抱かれた。 綺麗だとか、好きだとか、 何を言われても熱くなれなかった。 ただ虚しさと嫉妬と苛立ちを発散するために、 大袈裟な嬌声を撒き散らす。

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59 彼を見かける度にそんな行為を繰り返し、 日に日に気持ちは擦り減っていたのか、 消えてしまいたいほど辛くて悲しくて… そして彼を思う気持ちは、 徐々にその姿を憎しみに変えていく。 手元にあったのは、 以前元カレに仕掛けられていたGPS。 別れる際に受信機も取り上げてあった。

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60 スマホに接続できることを確認しながら、 虚しさと嫌気と恐怖心に襲われるけど、 彼の行動を知りたいという 歪んだ好奇心のほうが勝ってしまう。 ある日その小型の発信器を手に、 駐車場に向かう先生を呼び止める。 車内にピアスを落としたかもという口実で車に乗り込み、それを仕掛けた。

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61 ついに越えてはいけない一線を越えてしまった… そこからは気が狂ったように彼の行動を詮索し 後をつけるまでになってしまう。 やっぱり私の直感は正しく、あのナースと付き合っていることも恐らく事実で… でも彼女は、他の先生の車で出勤してきたこともあったし、その先生とも距離が近い。

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62 許せない… そんな彼女が一身に彼の愛情を受けていることに 嫉妬を通り越した感情を抱くようになる。 そんな時、詳しい事情を知らない彼と同じ科の友達が病棟の新年会に誘ってくれた。 二次会のカラオケルームに入ると、 彼女の前であからさまに顔を強ばらせる彼。 そうそう、困ればいい。

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63 罰ゲームでもなんでもよかった。 彼にもう一度抱きしめられ、 奪ってしまいたい願望を再認識する。 〈やっぱり私… 先生とのことが忘れられなくて〉 彼を呼び出し、萎らしく伝えるけど、 『… ごめんな、気持ちには応えられへんわ』 その言葉からはほんの少し苛立ちを感じる。

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64 それは以前とは違い、彼の中にしっかりと彼女が存在することを表しているようだった。 〈先生… あの子ですか？ 小さくてちょっと地味な…〉 『… もうええやろ、ほんまに許してくれ。 お互いに納得して始めたことやんか』 〈そんな…〉 『どうしたら許してくれんの？』

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65 そう聞かれて、私の口をついて出たのは 〈… キスして下さい。 そしたら全部忘れます〉 なんでそんな条件だったのか… もっと有利に回れる条件があったはずなのに。 『それでええんやったら…』 私の腰を抱き、少し躊躇った後 静かに唇を重ねる彼。 その顔を捕まえて深く口づけた。

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66 《エリちゃん！》 安田先生の声に驚いて振り向けば、 スマホを耳に当てながら立ち尽くす彼女の姿が… 思わぬ展開が訪れた。 『ちょっ、違うねん！ 待てって！』 顔色を変えて、踵を返す彼女を追おうとする 彼の腕を捕まえた。 〈やっぱり彼女なんですね〉

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67 腕を振り解くこともなく ただただ落胆の表情でため息をつく彼。 しばらくして、私に目をやり 『… もうええか？』 私を責めるわけでもなくそう言う。 その悲壮な表情も初めて見るものだった。 もう一度部屋に戻ると王様ゲームを続ける彼女が、罰ゲームとは言え安田先生の唇を受け入れる。

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68 二人の気持ちを受けながら立ち去る彼女に 憎しみの対象が移っていった。 そこから私の行動はエスカレートし、 偶然を装って二人のデート現場に接触したり、後をつけたり… 親戚にその科の勉強がしたいからと上手く理由をつけ、異動を仕組んだり。 でもここまでしたのは、手応えがあったから。

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69 ちょっと揺さぶればすぐにぐらつく 彼女の行動が腹立たしかった。 あの日屋上であることないこと伝えた後も やっぱり泣きついたよね、安田先生に。 なんなのよ、この女…！ 最終的に写真をばらまくところまで行き着いてしまった。 その結果、私のしたこと全てがバレたわけだけど…

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70 私を責めて罵ると思ってたのに 屋上で、真っ白なドクターコートが汚れることに目もくれずに それでも彼女がいいのだと跪く彼。 完敗だった。 . . そんな私のことを慰めてくれたのは安田先生。 《えらいしんどい恋愛してもーたな。 …疲れたやろ？》 彼の言葉に心が浄化されるようだった。

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71 〈なんで… 私、先生のあんな写真撮ったのに…〉 《うーん… 気持ち、ちょっと分かるからかなぁ》 可笑しいような物悲しいような表情で話す先生。 〈私、こんなこと初めてなんです。 2番目にすらなれなかった…〉 《ならんでええよ、2番目やなんて… むっちゃ辛いだけやで》

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72 〈先生、辛いんだ…？〉 《まぁな。でもしゃーないんよなぁ。 惚れた弱み？言うやつやなぁ。 でもおすすめはせぇへんわ(笑)》 笑う先生から寂しさが溢れ出るようで… 〈いつかは手に入ると思ってます？〉 《うーん… 無理なんかもなぁ。 他の子好きになれたら一番ええんやけど》

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73 安田先生の言葉は、まるで私の気持ちを代弁しているかのようだった。 《なぁ…なんかあったら相談乗ったるからやり直しぃ》 〈うん…〉 《ほんで、俺にも誰かべっぴんさんおったら紹介するんやで》 そう笑う先生がいなかったら、 いまも私はドス黒いものを抱えたままだったのかもしれない…

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74 先生、ありがとう。 みなさん、ごめんなさい。 ───これが私の最低で忘れたい恋愛事情──