ぐりこ先生,トラウマケアにおける身体についてのまとめ

ぐりこ先生の呟きです
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ぐりこさん @guriko_

身体についてなんだけど、まぁ私はトラウマケアやっていて、「こころのケア」とかも言われるんだけど、身体もかなり重要なのですよ。感情は必ず身体の感覚が伴うし、身体の感覚から記憶は蘇るから。わかりやすいの懐メロを聞けば当時の思い出が出て来るみたいな。身体感覚と紐付けされた→

2019-04-23 17:34:43
ぐりこさん @guriko_

記憶は情動を伴う。だからトラウマケアに身体からのアプローチを行うことは理にかなっている部分がある。身体感覚は個人差があるが、人は身体を通じてしか世界と接することができない、感覚過敏や感覚鈍麻がある運動協調に問題があるなど感覚と脳を結ぶところでなんらかの接続が悪い場合→

2019-04-23 17:37:04
ぐりこさん @guriko_

世界と接するところで他の異なる認知の仕方になることもあるだろう。身体自体は生まれたときから多様であり、先天的に決められた身体を持って生まれて来る。外から見える障害を持っている場合もあれば見えない障害を持っている場合もあるし、自分で身体を選んで生まれて来る生物はいない。→

2019-04-23 17:39:37
ぐりこさん @guriko_

育っていく環境の中でその身体を持つその人が世界と接し、その身体とともに成熟をしていく。身体に個人差があるようにその成熟の仕方も個人差がありそこに環境因も加わり複雑になるが、それでもヒトの精神的、神経的、心理的発達はある程度共通する部分があり、それらが精神医学や心理学で→

2019-04-23 17:41:51
ぐりこさん @guriko_

臨床の場でも応用されている。種の傾向というものはある。どのような身体を持っていたとしても、その身体とどのように折り合いをつけていくかというのは発達の中で非常に重要になる。それがある場合は障害受容という形であったり、アイデンティティの確立と呼ばれるものであったりする。→

2019-04-23 17:43:54
ぐりこさん @guriko_

その中でうまく折り合わない場合、またはアイデンティティの確立に困難がある場合、例えば摂食障害であったり、自傷行為であったり、精神疾患であったりという形でその困難さが表現される。自己イメージとは身体とは不可分であり、その身体が社会的にどのように扱われるかというのは、→

2019-04-23 17:46:32
ぐりこさん @guriko_

そのまま自己イメージ=アイデンティティに反映される。しかし現実の身体そして評価と自己イメージ上の「欠損した自己」は必ずしも一致しない。だからどんなに痩せても満足しないし、どんなに整形しても満足しないという状態に陥ることは稀ではない。問題なのは自分の中になる自己イメージ→

2019-04-23 17:49:12
ぐりこさん @guriko_

「欠損した自己」はそう思わされているだけであり、事実ではないから、その呪いを解いていくのが私の仕事ととなるわけなんだけど、こういう私の仕事から考えると、身体違和感というをどのように捉えていくべきなのかという本質的な疑問を持たざるを得ない。胎児期のホルモンシャワーによるもの→

2019-04-23 17:54:23
ぐりこさん @guriko_

という説明は非常にシンプルである。生物学的な理由である。そうではないというのであれば、それはどういうことなのか、そういう研究している人はいないのだろうか。例えば生まれ持った身体を否定することとは結局障害のある人にとってどのような意味を持つのだろうか。

2019-04-23 17:57:32
ぐりこさん @guriko_

ということをちゃんとブログに書きたかったのだけど、めんどくさくなった。ま、Twitterはミニブログだったからいいか。

2019-04-23 17:58:14