「一部の人々に目配せした文章」について

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@tenkyoin

文章とか発言とか、何かに言及する時の態度とかいうものは、主観的なものと客観的なものとに分けられるわけではない。

2010-04-08 14:37:36
@tenkyoin

本当は、主観的な文章と、客観的な文章と、一部の人々に目配せした文章との三つに分けるべきである。

2010-04-08 14:38:30
@tenkyoin

「このリンゴは美味しい」と(本心から)言うのが主観的な言及、「このリンゴは230グラムである」というのが客観的な言及、そしてリンゴ農家の関係者が(本当は美味しいと思っていなくても)「このリンゴは美味しい」と言うのが一部の人々に目配せした言及である。

2010-04-08 14:40:05
@tenkyoin

国語の授業では、文章は客観的なものと主観的なものとに二分できる、(と生徒に思わせるような)誘導がなされがちだが、実社会で我々が出会う文章や発言の多くは、純粋に主観的でも純粋に客観的でもなく、「一部の人々に目配せした」ものである。

2010-04-08 14:41:30
@tenkyoin

主観的な言及を心がけているという発言も、客観的な言及を心がけているという発言もともに、第三の項である「一部の人々に目配せした言及」=ポジショントークを隠蔽するための方便として同等に機能しうる。

2010-04-08 14:42:47
@tenkyoin

たぶん(これは私見だが、と政治的な正しさを担保させてもらうが)、宇野常寛氏にはポジショントークバスターとしての才能がある。だから彼は、主観的な言及(無頼派)を建前にする者にも、客観的な言及(公正な批評)を建前にする者にも手厳しいのである。

2010-04-08 14:50:35
@tenkyoin

みんなもっとポジショントークに開き直ってガチで生きれば楽になるのにねぇ・・・

2010-04-08 14:50:59
@tenkyoin

――というのはポジショントークだと思いますか?

2010-04-08 14:51:23