今年は緒方洪庵生誕200年なんですが、あんまり盛り上がってませんねぇ・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5
2010-04-09 21:19:15語学や言葉を学ぶいうんは西洋思想そのものに触れるいうことですわ。おかげで、時代の養成もありますが、適塾の卒業生の綺羅星のごとくの活躍、人材のバリエーションの豊かさは群を抜いてます。
2010-04-09 21:20:34たとえば日本陸軍の父ともいわれる大村益次郎、外交官として活躍した大鳥圭介、衛生学の泰斗長与専斎、思想家の福沢諭吉、官僚の花房義質、赤十字を作った佐野常民、手塚治虫の祖父で医師の手塚良庵などなど。ほんまにバラエティに富んでます。
2010-04-09 21:21:12また松下村塾はほとんどが長州藩出身者ですが、適塾は北海道から九州まで、広く門下生が集まってます。その数は3000人を越えるそうで、年間に100名以上の門人を受け入れて、輩出したことになります。
2010-04-09 21:23:26適塾ももちろんそうなんですが、江戸時代の大坂にあった懐徳堂にしろ、絲漢堂にしろ、先事館にしろ、思々斎塾にしろ、洗心洞にしろ、真空館にしろ、青山社にしろ、すべて「私塾」なんですな。
2010-04-09 21:24:30当時の大坂庶民は、自分たちで独立独歩で塾を運営していたわけです。これじつはものごっつい特異なことで。当時の日本には、全国各地に大名の「藩校」というのはありましたが、「私塾」なんてのはなかなか出来ませんでした。
2010-04-09 21:25:46また、藩校で勉強するいうでも儒学がメインで。しかし大坂の私塾は、儒学もあれば蘭学、医学、漢学、天文学、和算など、ごった煮のグチャグチャ。各自が各自のやり方で自由闊達にやりたり放題やっていたわけです。
2010-04-09 21:26:50とくに懐徳堂なんかは「鵺学」なんて呼ばれました。妖怪の鵺(ぬえ)みたいな学問。縫えは顔は猿で、胴体は狸で、手足は虎で尾は蛇。要するに「キメラ」ですな。意味わからん学問をやっていて「あそこは鵺学や」といわれていた(笑) こんなことは藩校ではまずありえません。
2010-04-09 21:27:41要するに、江戸時代の大坂は、まず間違いなく、日本最大の学問都市で、文教都市やたといえます。今年はその代表格といえる適塾の緒方洪庵生誕200年記念ですから、もうちょっと、大阪人は、自分たちの知の系譜を、省みんとあきません。
2010-04-09 21:30:00