「戦国時代へのスペインの影響」を巡る議論〜日本征服の意図は?その実現可能性は?

…というような議論をTLで目にしたので、資料を収集したら、昨年出たらしい平川新先生の中公新書が話題のおおもとになっているみたいでした。
63
前へ 1 2 ・・ 7 次へ
四式戦闘機 @ki84type4

さてこれは事実なのか、それとも政宗による忠輝擁立の芽を潰すための家康の詐術だったのか。永遠に答えは出ないだろうけど。

2019-05-08 23:31:09
🦀ルルさんですよ👓🍣 @86NOIE

戦国時代の西洋の状況調べてたら ザビエルの後任の後任の後任が 日本人使節団ヨーロッパに送ってるんだけど 凄い!フェリペ二世やローマ教皇に歓待謁見ローマ市民権まで貰ってる フェリペ二世は太陽の沈まないスペインと海の道支配者ポルトガルの王だからなー 信長何か足元にも及ばない本物の魔王 pic.twitter.com/E28PtjOJPE

2019-05-09 08:01:48
拡大
拡大
拡大
🦀ルルさんですよ👓🍣 @86NOIE

そしてこのタイミングでバテレン追放令出す秀吉 鬼(*´艸`)

2019-05-09 08:06:33
四式戦闘機 @ki84type4

さて昨日までにだいたい読み終えた大航海時代の日本の外交政策本について、軽くまとめなどを。

2019-05-09 09:21:40
四式戦闘機 @ki84type4

まず前提として、ヨーロッパ世界は宗教的熱情と拡張志向により、本気で全世界を「神の名のもとに」征服することを考えていた。

2019-05-09 09:23:38
四式戦闘機 @ki84type4

トルデシリャス条約とサラゴサ条約によるデマルカシオン体制は、今から考えれば荒唐無稽な世界分割協定なのだが、当時としては本気も本気、現実に対立する利害を調整するものだった。スペインとポルトガルは本気だった。

2019-05-09 09:24:32
四式戦闘機 @ki84type4

このデマルカシオン体制に基づき、当初スペインは新大陸へ、ポルトガルはアジアへ進出した。トルデシリャス条約締結時にはアジアの地理的区分が曖昧だったので、後にアジアにおける両者の対立が生じ、サラゴサ条約で再調整した。

2019-05-09 09:26:37
四式戦闘機 @ki84type4

かくしてスペインとポルトガルは競って世界中を征服して回ったわけだが、まぎれもなくその尖兵となったのはイエズス会やフランシスコ会といった修道会だった。

2019-05-09 09:28:37
四式戦闘機 @ki84type4

宣教師が現地人に布教を行い、橋頭堡を築きつつ精神的に服従させた上でキリスト王(スペイン王やポルトガル王)に忠誠を誓わせ征服を完了する、それが彼らの常套手段だった。

2019-05-09 09:30:27
四式戦闘機 @ki84type4

もちろんイエズス会にせよフランシスコ会にしろ、設立当初の目的は「未開の世界に神の栄光と救いをもたらしたい」という熱情だったのだろう(それもそれで狂っているが)。しかし確実に、彼らは世俗権力と結びついて侵略征服の尖兵を務めていたのだ。

2019-05-09 09:31:46
四式戦闘機 @ki84type4

つまり逆に言えば、スペインとポルトガルにとっては「布教を行う」ということは「征服の第一歩であり意思表明」に他ならない。ここまでが前提となる。

2019-05-09 09:32:45
四式戦闘機 @ki84type4

さてアジアに進出しマカオやフィリピンなどの橋頭堡を抑えた両国にとって、広大な領域と巨大な人口を持つ中国(明)は垂涎の目標だった。彼らはどうにかして中国を征服したいのだが、やはり相手がでかすぎる。

2019-05-09 09:34:30
四式戦闘機 @ki84type4

いかに明末の時期で弱っているとはいっても相手は南米の古代帝国やインドの沿岸諸都市とは訳が違う。当初は「数百名の兵士で軽く征服できる」と見ていた宣教師も、じきに認識を改めた。

2019-05-09 09:35:51
四式戦闘機 @ki84type4

そこで彼らが目をつけたのが日本だった。中国からほど近く、手頃な広さでそれなりに人口もいる。ここを押さえれば中国征服のいいベースキャンプとなるだろう、そう宣教師は考えていたのだが、それは甘かった。

2019-05-09 09:36:45
四式戦闘機 @ki84type4

なにせ当時の日本は戦国乱世の末期だ。蠱毒の壺のようなもので、異常に戦争慣れしていた。しかも伝統的に教育熱心なお国柄のせいか、住民の文化度も相当に高い。

2019-05-09 09:38:31
四式戦闘機 @ki84type4

当時の宣教師や関係者の証言には「日本人はヨーロッパ人に劣らず勇敢で命知らずであり、論理的能力もまたヨーロッパ人に匹敵する」「日本の国土は豊かで軍隊は精強、要塞は極めて強固である」等とある。

2019-05-09 09:41:11
四式戦闘機 @ki84type4

安土城を見たフロイスが驚嘆したという話は有名だが、フィリピン総督だったビベロも家康の隠居地である駿府城を見て「世界有数の豪華さと堅固さを備えた第一級の宮殿にして要塞」と評している。

2019-05-09 09:43:01
四式戦闘機 @ki84type4

つまり中国を征服する手始めに日本を抑えようと思ったら、日本はそれ以上にヤバそうな所だったことが判明したわけだ。このあたりで、信長の時代になる。

2019-05-09 09:44:01
四式戦闘機 @ki84type4

信長はキリスト教の布教には寛容だった。ただ信長の基本姿勢は「今でもいくつもある宗旨が一つ増えたところでどうということもない」であり、自分の利益にならなければ直ちに排除するくらいのことは考えていたし言ってもいる。

2019-05-09 09:45:26
四式戦闘機 @ki84type4

また、当の宣教師が残した記録によれば、信長は秀吉とこんな会話をしていたらしい。秀吉が「キリシタンは宣教を手段として世界のあちこちを征服しているらしい」と注意を促すと、信長は「わずかな軍勢で何ができる」と言い放った、と。

2019-05-09 09:47:36
四式戦闘機 @ki84type4

信長はある程度修道会とヨーロッパ諸国の関係を理解していたが、彼らの征服行動は自分の軍事力で十分排除できると考えていたらしい。

2019-05-09 09:48:54
四式戦闘機 @ki84type4

で、信長が死んで秀吉の時代になる。秀吉は当初キリスト教に寛容だったが、次第に彼らの征服意図を危険視するようになり、布教と貿易の分離を図るようになる。また、マカオやフィリピンに服属を要求する使者も出している。

2019-05-09 09:50:46
四式戦闘機 @ki84type4

秀吉といえば朝鮮征伐だが、これもヨーロッパへの対抗上の措置だった、というのがこの本の主張だ。単なる拡大征服ならまず近隣の朝鮮から始めるのが筋だろうに、秀吉にとって朝鮮は単なる通過路で目的ではない。

2019-05-09 09:52:07
四式戦闘機 @ki84type4

これは、スペインやポルトガルが中国への征服意図を持っていたことに関係する。奴らが征服するより前に俺が抑えねば危険だ、ということなのだ。秀吉は本気でアジアへのヨーロッパ進出を危険視していた。

2019-05-09 09:53:30
四式戦闘機 @ki84type4

…つまりこれは、それから300余年後に大日本帝国がやったことと同じなのだ。欧米列強のアジア進出に対抗するために大陸へ進出する、と。

2019-05-09 09:55:18
前へ 1 2 ・・ 7 次へ