MMTerとリフレ派の相違点

正直根本的に違うので、もっと重大な違いは色々とあると思うのですが、あえてマニアックなポイントを整理してみました。
財政政策 クルーグマン リフレ派 経済学 金融政策 経済 MMT
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
twitter.com/motidukinoyoru…で拙ブログのMMT関連記事を紹介しているのだけど、正直言って、MMTの何が分からないのかが分からないし、何に納得できないのかが分からない。 #MMT について疑問点があればどんな些細なものでも聞きたい。これほどシンプルかつ現実に対応した議論に特に謎な部分はないはず。
牙 龍一:脱財政再建!消費税は廃止!通貨消滅やめろ! @kiba_r
MMTで分からない点といえば 財政支出がインフレ率を上限なのは理解できるが、インフレ率の目標値を定める考え方なのか、上限とするインフレ率の求め方に考えがあるのかが、分からない。 twitter.com/motidukinoyoru…
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r あるインフレ率を達成するというだけなら、一律に給付金を施行する経済的ないし厚生的に非効率ないし非最適な手法が許容されてしまうわけで、そこでMMTerは、例えばJGPのような、より公共的に望ましい政策を志向した上で、インフレ亢進を限度とすべきと考えているのでは。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r 具体的にどのような、どの水準のインフレ率が望ましいか、という議論をしているところは不勉強ながら存じ上げませんね。 私にはこの点について色々と考えはありますが、それはMMTのアイデアに則ってはいるものの、本場のMMTerと共有しているわけではないです。
木村充裕∞手洗いうがいをしっかりと👏 @minikurowa
@motidukinoyoru @kiba_r 横から失礼。MMTerのJGPはもしインフレ率が設定した上限にタッチしそうになったら、JGPに定めた仕事は減るのでしょうか?その仕事に就いていた労働者は仕事を失うのでしょうか?
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@minikurowa @kiba_r JGPによってどれだけデマンドプルインフレが生じるかは、JGPにおいて設定される賃金次第かと。 過剰にJGP賃金が高すぎるせいでデマンドプルインフレが生じるというのであれば、JGP賃金が引き下げられるというのが筋ではないでしょうか。
牙 龍一:脱財政再建!消費税は廃止!通貨消滅やめろ! @kiba_r
今のところ、MMTだと インフレ率だけを見て財政支出は増やせるとは言ってるけど、そのインフレ率がどの程度なのかは言及が無いですよね。 そこは、過去のリフレ政策の議論による経験則の最適値2~3%(コアコアCPI)を目指すのが妥当だと思ってます。 twitter.com/motidukinoyoru…
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r インフレ率は制約として見るべきで、目標と見なすべきではないというところは共通していると思います。
牙 龍一:脱財政再建!消費税は廃止!通貨消滅やめろ! @kiba_r
リフレ政策のインフレ目標も、べつにインフレ率を目標に収めるのが目標と言うより、インフレ率をその範囲にすることは、経済状況を良好にする条件の1つだと過去の経験則(フィリップス曲線)から言ってるだけですからね。 twitter.com/motidukinoyoru…
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r リフレ派ないしクルーグマンの議論と、MMT・MMTerの議論って、細かいところで結構食い違ってくるんで、マニアックになりますけどつらつらと話しますか。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r まず、リフレ派が(少なくとも当初は)参考にしていたクルーグマン(あるいはエガートソンら)の不況理論というのは、自然利子率沈降+名目金利ゼロ制約に則り、自然金利達成をインフレ(インフレ予想)引き上げによって齎そうというものでした。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r ここでは、実はマイルドインフレが経済的に望ましいという議論は、実はあんまり関係ありません。 自然利子率の沈降が深い場合は、4、5%のやや高いインフレ率が「必要」となってくる場合すらある。 マイルドインフレが一般に望ましいという話と、不況理論においてインフレが望ましいという話は別物。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r さて、インフレ予想引き上げによって自然利子率への”回復”を目論むという話は、陰に陽に、財政政策にあまり頼らないようにする、あるいは財政政策に頼るとしても、金融政策が有効性を取り戻すまでの”繋ぎ”として利用しようとする、という前提を有しています。(Rethinking Japanは露骨にそう)
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r これまでのNK的or修正NK的な考えは、MMTerとは全く異なるものです。 そもそもMMTerは、「自然利子率はゼロだ!」 econ101.jp/%E3%83%93%E3%8… に代表されるように、間接的で弱々しく、また大雑把で緻密さに欠く金融政策を経済調節のメインツールにすることに(非不況であっても)同意していないし、
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r 「自然利子率への”復帰”のためには高いインフレ率も許容すべし」という結論が得られうるクルーグマン型不況理論に対しては、絶対反対の立場を取るでしょう。 というのは、MMTerは金融政策への復帰を前提としないので、金融政策復帰に必要な十分に高いインフレを受け入れる理由がないからです。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r また、金融政策を通じて経済調節することは、その時点でフィリップス曲線のようなインフレ率-失業のトレードオフを利用することに他なりません。 これはインフレ率を抑えるために失業を用いるという、MMTerにとっては実に非人道的な話になっていて、到底許容できるものではありません。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@kiba_r この点についてはtogetter.com/li/1326971でも触れたのですが、財政政策、特にJGPで経済調節すれば、失業-インフレ率という関係が廃され、JGP賃金-インフレ率という関係に置換される。 金融政策による経済調節を止めることで、失業を利用してインフレ率を操作しようとする非人道的行為から脱却できる。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996
@motidukinoyoru @kiba_r JGP(最後の雇用者)策の問題は、人を付加価値を生まないような仕事に従事させるというのは失業保険や年金と同じということ、JGPに雇われる人というのは他の仕事に就けない人というレッテルが貼られるわけで、人の尊厳を傷つけることになるんじゃないでしょうか?
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@WATERMAN1996 @kiba_r 付加価値を生まない仕事に従事させる、という前提がおかしいのではないでしょうか。 公共の仕事で、人手が足りていないから出来ていないことは山程ありますし、あるいは単に労働するというより、OJTみたいな形でのスキル獲得・スキルアップをメインに目指す形を取るのも良いでしょう。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996
@motidukinoyoru @kiba_r ふーむ、とすると、例えば伝統文化の維持や継承、里山や森林の維持管理、働きながら学べる環境の整備といったものになりますかね?そういうものを公的に用意してよいのだと言うことでしょうか?
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@WATERMAN1996 @kiba_r 公的に用意して良いというか、公的に用意すべき(公共が担うべき役割である)という理解です。
koji hasegawa @myfavoritescene
まあ後自然利子率がゼロでそれに合わせて金融調節は受動的にすればいいっていうんじゃあ白川と同じだよねとか、ちょっと同意しかねるところはある。財政出さない政治が悪いとしても、大体政治がそんなに頼りになるならここまでデフレやってないだろうし、財政押しは財政押しで政治的リスクがある。>RT
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@myfavoritescene 自然利子率はゼロだ! econ101.jp/%E3%83%93%E3%8… で散々批判されている通り、金融政策は、間接的で、弱々しく、所得効果のことを考えると有効性も曖昧で、また大雑把で公平さや緻密さに欠けます。 実際、一定以上の不況においては金融政策が(大して)役に立たないということがこれまで確認されてきた。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@myfavoritescene 金融政策が”不能”である以上、財政政策を打てないなら、不況・長期停滞を受容するしかないのではないでしょうか。 財政が頼りないのは事実ですが、財政なくしては何ともならないのは事実でしょう。 クルーグマンですらRethinking Japanでは爆発的財政刺激なくてはどうしようもないと言ったわけで。
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru
@myfavoritescene むしろ中途半端に金融政策を用いようとするから、財政の怠慢を許してしまうというのが、金融政策有効論の陥穽であったというのが、兼ねてから私が強調してきたところでもあります。 金融政策依存を脱却することこそが、財政の”責任”を明確化する第一歩、一丁目一番地でしょう。
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