- naokoandqoo
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@zmzizm ロマサガ1では「最後の試練」に到達するためのフラグとして「四天王イベントを途中で離脱する」という条件が存在すると攻略本でもいわれてきた。
2011-05-17 00:04:00@zmzizm しかしながら、実際にはそんなフラグ存在しなかったし、「最後の試練」への条件は俗に善行値という隠しパラメータで判定されていることがプレイヤーによって検証された。
2011-05-17 00:04:52@shinimai ああその例にしましょう ただ攻略本からむとびみょうだけど(「意味」の同一性は、作品の同一性が前提されてるので、攻略本の言説を作品に含めるかどうかの点で)
2011-05-17 00:05:22@zmzizm そのとき、「四天王イベントを途中で離脱すると最後の試練に行ける」というゲームシステム的意味は偽であるということ?
2011-05-17 00:06:09@zmzizm しかしながら、「四天王イベントを途中で離脱すると最後の試練に行ける」というのを「意味」として理解することは難しくないか?
2011-05-17 00:08:33@zmzizm そして、「四天王イベントを途中で離脱すると最後の試練に行ける」ってのはゲームの意味というよりも、ゲームに関する我々の主張や記述って言うべきなのでは。
2011-05-17 00:09:15@zmzizm あと前提を先にきくべきだった。「意味」という言葉を使うとき、ゲームを解釈する人間の存在を前提にしている?
2011-05-17 00:10:33@shinimai 個別的な人間というより、一般化されてるものを前提している 物語世界的意味が「意味」といえるのと同じ意味で
2011-05-17 00:11:39@zmzizm さらにさっきの続きだと「四天王イベントを途中で離脱すると最後の試練に行ける」ってのはゲームシステム的なのか物語的なのか判然としないよね。
2011-05-17 00:13:02@shinimai いや、そこが判別できる(判別したほうがいろいろ便利)という主張なんだけどな まさにその点で操作的すぎるのかもしれないけど
2011-05-17 00:14:52@zmzizm 言わば鑑賞者やプレイヤーにあたる一般的な人間ってことね。そのことは明確に主張すべきだと思う。ただそうすると、プレイヤーによってある記号表現の意味が異なることも想定されるということだ。
2011-05-17 00:14:43@shinimai 個別的なプレイヤーによる読解の多様性は当然ある ただ、ある作品の同一性があるていど共有されている実践がある以上、その内容もあるていど同定される
2011-05-17 00:17:04@zmzizm あと二つの意味体系が独立したものとしてある、という主張はプレイヤーの存在を前提せずに所与にその体系があるように読める。
2011-05-17 00:20:40@zmzizm さらにもしゲームの記号表現(?)の意味が多少なりともプレイヤーによって相対的に個別化されるならば、ゲームシステム的/物語世界的という区分が人によって曖昧になるし、ほとんど区別してない人もいるかもしれん。
2011-05-17 00:22:09@shinimai あるプレイヤーの中では区別してなくても、その人のプレイのありかたを説明するときに、この区別を立てるとすっきりいくんではってこと
2011-05-17 00:23:44@zmzizm で、結局やはり重要なのは1の動機にあたるところで、この二つの意味があるという主張によって何が説明されたり、何を明らかにしたいのかだと思う。
2011-05-17 00:22:57@shinimai それを後半にやったつもりなのだけど、今回のプレゼンでは別に「意味」つかった図式じゃなくても説明済んだかも そこは反省なう
2011-05-17 00:25:24