明日21日(金)と来週27日(木)の2回、朝日カルチャーセンター新宿で講義します。明日はいつもの『世界の独在論的存在構造』の続き(「ヨコ問題としての自己意識」の辺りから)で、来週は「哲学する仏教」の連続講義の一環。一照さんも良道さんも無方さんも中心主題とされた第5図の真の意味を再考します。
2019-06-20 22:02:58後者(27日木曜)に関して。 「内山興正の「いきづまり」は素晴らしい!」 1、内山興正の自己誤解 第一図と第五図はまったく違うことを言っている-私秘性なしに独在性はありうる すると、どちらからどちらへと「目覚める」べきかは明らか 2、「映画-映画館」解釈と「現世―涅槃」解釈
2019-06-25 22:06:363、じつは第四図と第五図こそが同じことを言っている! 変化は単に「即自的にそうある→対自的にそうある」 視点(始点)の移動 4、超越的vs.超越論的 「死なない」のではなく「生死概念のとどかぬところ」 5、道徳的行為(菩薩の実践)をそれ自体として崇めないこと
2019-06-25 22:16:10第五図とか言ってもわからない方はこれを先に読んでください。あるいは図だけこれで確認してください。ここに書いたこととはかなり違うことを話す予定です。samgha.co.jp/websamgha/naga…
2019-06-26 00:43:281、内山興正の自己誤解 第一図と第五図はまったく違うことを言っている-私秘性なしに独在性はありうる。すると、どちらからどちらへと「目覚める」べきかは明らか
2019-06-26 19:28:57第一図は「屁一発も貸し借りできぬ」ほどの断絶であり、独在性を表現していると解釈できる。 第五図は、(「いのち」の是非はともかく)「カギカッコ」として内容を共有することの可能な、併在的のっぺりとした世界観を表現していると解釈できる
2019-06-26 21:37:07私秘性とは併在的世界観ではじめて成立する(独在性にはそもそも「私秘」が入り込む余地がない)ので、第一図で表現されている断絶もまた私秘性とは関係がない
2019-06-26 21:37:36内山老師の一連の図を解釈する通常の順番とは逆に、永井氏の言う「明らか」は、言うまでもなく第五図から第一図へ目覚めるべきということになるだろう(「目覚める」を称揚しないように注意!)
2019-06-26 21:44:12特に第五図を称揚し、いのちを称揚される山下良道さんは困るだろうなあ笑 独在性とはなんの関係もないところにご自身の論拠を置いてきたことになるのだから。
2019-06-26 21:39:55「映画-映画館」解釈にまとわりつく、「では誰が映画を見ているのか?」という疑問と対比させる形で「現世―涅槃」解釈が語られるのだろうとは思います
2019-06-27 12:43:343、じつは第四図と第五図こそが同じことを言っている! 変化は単に「即自的にそうある→対自的にそうある」 視点(始点)の移動
2019-06-27 10:48:06即自的である=〈私〉であると解すると、第4図は対自的である=「私」、第5図は自他を止揚した即時かつ対自=《私》ととらえることができるのではないか
2019-06-27 10:48:51これは〈私〉が「私」を《私》することと対応する。〈私〉は西田幾多郎が言うところの場所でもあるという意味で、1図と5は図は断絶という観点でまったく違うのだが、4図と5図は超越という観点で、類例となりえる
2019-06-27 10:49:51しかしながら読みが当たっているとすれば澤木老師とヘーゲルが同様の洞察にたどり着いていたということになるので、それはそれでwkwkします笑
2019-06-27 12:41:09「死なない」とは死そのものをアプリオリに規定し、無自覚で無批判である。が、ぞれがなぜ言えるのか、その根拠と可能性を問う時、「生死概念の届かぬところ」という超越論的態度が生じ得る
2019-06-27 10:51:15