8/15 戦国合戦〈大敗〉の歴史学、読後所感

3
日光81 @nikko81_fsi

戦国合戦〈大敗〉の歴史学、とりあえず長篠(金子拓氏)川中島(福原圭一氏)三方原(谷口氏)を読了。特に上杉側から見た川中島の「上杉敗北」の捉え方が興味深い。ただ大敗という切り口で揃えたものの、各論文の視座はかなり違っている印象。 pic.twitter.com/5peBzVT7EO

2019-08-15 21:56:21
拡大
日光81 @nikko81_fsi

①長篠敗戦後の武田家の立て直しと「長篠おくれ」の精神。甲陽軍鑑が記す春日虎綱の長篠後の献策について、家臣団編成言及した項にスポットを当て軍団指揮官たるに相応しい家臣の補充とみなせば北条との婚姻関係だけでなく虎綱の献策を容れているとみなせるのでは、と。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-08-15 22:04:06
日光81 @nikko81_fsi

一方、長篠敗戦を契機に長坂跡部を批判する内容へと変化した甲陽軍鑑の中で、繰り返される「分別違」「おくれ」がこのままでは武田は滅亡するとの予言的な捉え方を誘発し、それが武田遺臣にとって受け入れやすいストーリー「長篠大敗史観」として長く支配的であったと推測。

2019-08-15 22:14:40
日光81 @nikko81_fsi

現実にはある程度批判した虎綱の言が容れられ立て直しを図れているにも関わらず、批判した虎綱の繰り返される文言が滅亡後の武田遺臣の正確な滅亡要因の理解を却って妨げた皮肉。滅亡からそうは経たなくとも、如何に過去を正確に理解することが武田遺臣ですら難しかったのか、歴史を知る難しさを痛感。

2019-08-15 22:19:34
日光81 @nikko81_fsi

ただ甲陽軍鑑には北条との断交を滅亡の直接的な起点と捉えた部分があったように思うのだが、そこよりも繰り返される長篠での「分別違」にミスリードされてしまったのか。誰かのせいにしたほうが、実際には間違っていても直感的にわかった気になるのだろうなぁ。

2019-08-15 22:22:05
日光81 @nikko81_fsi

②川中島。武田を研究する平山先生が(純粋に戦闘局面に限って)武田側の敗北と捉えてられるのに対し、上杉側の福原先生は上杉方の敗北と捉えてられる点が面白いところ。謙信から色部勝長への感状を検討、武田のような重臣クラスではない中下位クラスの兵卒が多数討死、武田とは質的な打撃大と推測。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-08-15 22:30:32
日光81 @nikko81_fsi

しかも色部は前回の川中島では再三の督促にも関わらず兵を出さず、将軍義輝から認められた権威、また関東管領上杉の名跡を継ぎ家格が大幅に上昇。そこでやっと次の回に色部が兵を出して散々討死ではそれは謙信も気を遣うことだろう。折角高まった権威も台無しになりかねない。

2019-08-15 22:37:51
日光81 @nikko81_fsi

そして、上杉が劣勢下にあると仮定するならば、謙信自ら太刀打ちに及ぶくだりも信玄との一騎打ちではなく、純粋に謙信本陣まで武田兵が斬り込み、謙信自ら防戦せざるを得なかったという推測に向かうのも頷ける。

2019-08-15 22:38:48
日光81 @nikko81_fsi

そして願文の分析。願文がただ戦勝祈願するだけでなく、願文が奉納される地域への政治的なメッセージと捉え、願文が奉納された神社の場所を見ると第四次川中島前後で以前は信濃、以後はほぼ越後。信濃への進出正当性から越後での川中島出兵の正当性主張に変わったのではないかと推測。

2019-08-15 22:45:01
日光81 @nikko81_fsi

これを第四次川中島以降の川中島出兵への厭戦気分を何とか吹き飛ばしたい謙信の思惑と見る。なるほど…武田も感状が一切確認されていないはずだけども、実はお互い戦闘としては勝っていないと思ってたのかな?ただ願文から見える謙信の必死さに対し戦後局面の武田は着々と川中島四郡を支配し対照的。

2019-08-15 22:49:27
日光81 @nikko81_fsi

③三方原。武田から見ると三河侵攻の目的とかが問題になるが、徳川から見た三方原は活躍アピールの場として使い尽くされていくのが面白い。織田徳川方の諸記録の差異を丹念に拾っていくことで、この敗戦を利用し、誰かが家康はじめ誰かの活躍を描こうあるいは消し去ろうとする人間関係が浮き出る。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-08-15 22:57:56