戦争もコミュニケーションだから、「普通このへんで降伏するよね」というところで降伏してこないというのは大変やりにくい相手だったんだろうなとは思う
2019-08-20 05:14:41真珠湾で捕虜になった酒巻少尉については、通達があったものの海軍は家族にも事実を伏せたが、兵学校のクラスの誰かが密かに伝えたため墓は作らなかったという
2019-08-20 05:25:46そう言えば陸軍恤兵部の本が出てたけど読んでなかった。後で読もう 押田 信子 の 抹殺された日本軍恤兵部の正体――この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか? (扶桑社BOOKS新書) を Amazon でチェック! amzn.to/2ZifuGi
2019-08-20 05:48:12降伏しない(できない)兵士というのは、他の国や時代にいない訳ではないけど、太平洋戦争の日本軍の異常なところは、指揮統制が崩壊しても個々の兵士たちが、課せられた任務(すでに意味が無いかもしれない)を最後まで達成しようとする目的意識の強さですね。
2019-08-21 01:11:29結果は戦場により異なるし、最終的には悲惨な敗北に終わった訳ですが、連合軍にとってはやたら面倒くさい相手でもあった。 そんな面倒くさい連中を二度と戦争に関わらせないように、戦後日本の枠組みが作られ七十年間の平和が維持されたので、犠牲に意味があるとすればそこでしょう。
2019-08-21 01:18:25@tsukasafumio 降伏しない兵もおかしいのですが、国際法にも知見があるはずの指揮官が降伏したり集団投降しないことにより異常性を感じます。 密林で高級司令部ごと消滅するとか、あまり類を見ないのでは。
2019-08-21 01:16:07@RASENJIN そこらへんは戦間期に戦争観の転換が意識的にあったのではないかと思います。文明間の闘争という世界観が入り込む中で、日本軍は国際法の権威を軽視し軍法より劣位に置くようになったのではないかと思われます。
2019-08-21 01:24:44@RASENJIN 日露戦争で降伏したロシア軍の将官もいったんは軍法会議にかけられましたが、これは以後の日本軍の将官の価値観にも影響を与えたでしょう。 なまじ日清日露で勝ち続けた結果、日本軍は負け方の作法を学ぶ機会が無かったのかもしれません。
2019-08-21 01:29:19@tsukasafumio @RASENJIN 日露戦争で捕虜になった日本の将校も軍法会議にかけられましたが、処罰されたのは「軍使を出さず、自らが敵本部に赴いて交渉した=部下を置き去りにした」一例だけで、他は不問になっています。しかし処罰されなかった将校達に対する周囲の目は厳しく、その社会的制裁が後世に影響したのでしょう。
2019-08-21 02:00:45@IshiiAkio @RASENJIN 一次大戦中に日本の客船常陸丸(二代目)はインド洋上でドイツの仮装巡洋艦に捕獲撃沈されて乗員乗客は捕虜となりましたが、たまたま旅客として乗船していた海軍士官は、全くの不可抗力であったにもかかわらず戦後海軍を追われたそうです。
2019-08-21 02:18:44@tsukasafumio 緒戦では連合軍に対して降伏勧告し、受け入れてもいるので概念はあるし、運用する意志もあるのですよね。でも自分ではやらないし、許さない。将が自らの身を投げ売っても兵を救うという、前近代的な美徳もあったのに検討されない。退廃と言っても良いと思うのです。
2019-08-21 01:31:49@RASENJIN その辺はやはり「天皇の軍隊」であるところに起因するのでしょうね。大命に背くことは逆賊という歴史的な絶対悪の烙印を押されてしまうので、それを超歴史的に踏み越える勇気を誰も持ちえなかったのではないかと思います。
2019-08-21 01:41:24あー、天皇の統帥権との関係か。。確かにありうるな。。天皇の許可なく降伏して武装解除することは統帥権を犯すものと考えられていたり、あるいはそういう空気だったりした可能性は十分あるな。。
2019-08-21 12:04:53@tsukasafumio 「天皇の軍隊」であるとか、ドイツ軍の「総統への忠誠の誓い」であるとか、呪術的な物語は強いですね……。
2019-08-21 01:49:02@RASENJIN @tsukasafumio 次の戦争(それが来年か一万年後かはともかく)はどうなるのか、その時の「日本兵の物語」はどうなっているのか、興味は尽きますが一生涯知らずにすませたくはあります。
2019-08-21 01:52:25