ゲームとは何かについて考えた「Game tsu meet」一回目の アフタートークまとめ
ちなみに、ニシダや森さんやsericoさんとは「システム」を通してでなく、なんだろう、「表現に対する強い欲望と美観」のようなもので繋がってる気がする。いや、これはものを創る欲望を持つ人間なら誰しも根っこでは共有してるものか。
2010-04-14 08:58:13あれはコミュニケーションが前にくるかもしんないけど!w いやいやちびっこのころは、そんなこと考えてないはず。鬼から逃げるのに必死だったから。どうやって鬼を出し抜くかに必死だったから。鬼が誰か関係なかったし。
2010-04-14 14:43:48当たり前と思っていることが、問われない世界がある。問われる世界がある。それが、世界を二分する。 ──────「テーマを、じぶんの奥底からひきずりだし、絞り出すことができるか」(成)
2010-04-15 00:27:37他者の願望の為のデザインか、自己の願望の為のデザインか。これも、世界を二分する。コンセプトを二分する。まあ、ぐるりとまわって、一周するんだけど。(成)
2010-04-15 00:29:02.@tsumigami 遅ればせながら読みました。 RT @tsumigami:「ゲームとは何かについて考えた【Game tsu meet 2010】 第一回 アフター」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/13941
2010-04-16 16:51:53.@tsumigami この一連のツイートを読んで、自分なりに思ったことを(勝手に!)書きますね。http://togetter.com/li/13941
2010-04-16 16:52:10.@tsumigami 個人的には、「シミュレーション」と「シミュレーションゲーム」の差違を突き詰めれば、「ゲームとは何か?」という問いの答えらしきものが見えるような気がします。
2010-04-16 16:52:30.@tsumigami まず、前提として、”現実社会”の「シミュレーション」として、「ゲーム」内の「セカイ」(「物語」だったり「盤上」だったりする訳ですが)が立ち上がってくるとします。
2010-04-16 16:53:23.@tsumigami もちろん、完全な「再現(シミュレーション)」ではなく、フレームの切り取り方や抽象度によって、「セカイ」はまちまちである訳ですが。
2010-04-16 16:53:33.@tsumigami そして、その「セカイ」への「プレイヤー」による「介入」の”角度”や”深度”の「デザイン」を恣意的に施されている事こそが、「ゲーム」を「ゲーム」たらしめているものではないでしょうか。
2010-04-16 16:54:02.@tsumigami さらに、「介入」へのレスポンスとして、どのように「セカイ」に「反映」させるのか。どこまでの「介入」と「反映」に「セカイ」が耐えることが出来るのか。
2010-04-16 16:55:09.@tsumigami この「介入/反映」のデザイン強度が強いほど、「ゲーム」の強度は強くなり、時間密度を上げることが出来るのではないでしょうか。
2010-04-16 16:55:22.@tsumigami ただ単に「システム」とだけ言ってしまうと、「セカイ」を記述するそれと、「介入」を「デザイン」するそれも含んでしまって、大きな概念になりすぎる気がしました。
2010-04-16 16:55:54.@tsumigami しかし、誠に勝手ながら『罪神』および『罪神』チームは、それを「越え」あるいは「脱」する「ゲーム」を模索しているようにも思えるので、全く的はずれな私見かもしれませんね。
2010-04-16 16:56:06