戦争と映画

とうぎゃれと言われた気がした・・・ 戦争という事実とフィクションである映画の間に横たわる溝
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岡島正晃 @ADLAHIR

@kyanagawa 経緯は良く知らないけど、「あらゆる映像には作為がある」という、いい見本だよね。そのイミでは、例えば「一次体験者の証言を収めた編集なしの映像」ハ、ギリギリ「作為のないドキュメント」かも。こういうの残していくのは、それはそれですっごく大事よね。

2010-04-12 02:31:40
柳川邦彦 @kyanagawa

結局のところ、他のあらゆる物事と同じで、どれか一つあればいいものではないと。純粋な記録も、そこから再構築した映像も必要だし、記録であれ何であれ何かの意図による作為が加わってることも忘れてはいけない。

2010-04-12 02:39:12
岡島正晃 @ADLAHIR

要するに、根本的かつ解決不能な問題は、「戦争を体験していない者にとって、戦争は想像を絶する」ってコトなんじゃねぇかと。だから(一次証言を残す作業は当然として)現代日本では、逆説的に、資料の精査から「たぶんこうだった」と、想像を働かせるしかない。

2010-04-12 02:40:47
岡島正晃 @ADLAHIR

つまり、たとえば太平洋戦争などは、もはや宿命的に「モノガタリ化」していく。その段階で、残された資料から逸脱しない範囲で「可能な限り恐るべきもの」を想定し、創造するというのは、ひとつの叡智であり、見識である。とまあ、俺はそう思うワケさー。

2010-04-12 02:44:11
岡島正晃 @ADLAHIR

ま、もちろんコレはあくまで物事の一面であって、「そういう戦争映画しか作っちゃダメ!」ってイミでは、間違ってもないですが。一次資料の保存も、より重要なレベルで大事ですしね。

2010-04-12 02:46:34
柳川邦彦 @kyanagawa

しかし、「物語」として受け止めて終わってしまい、実態の方に関心を示さない人が多い印象が正直ある。プロジェクトXの大ブームもそうだし、最近の例でいうなら探査機はやぶさの盛り上がり方にすごく違和感。

2010-04-12 02:48:02
岡島正晃 @ADLAHIR

あ、「可能な限り~」のくだりは、ちょっと言い方が悪かった! むしろ「そうじゃないものを排除したナニかを作る」と、言い換えたほうがイイかな? 「どこをどう切り取るか」って話です。

2010-04-12 02:48:23
岡島正晃 @ADLAHIR

@kyanagawa ああ、それは確かに! ただ、そこはもうなんちゅーか、「リアリティの喪失」っていう、また別の問題のような? 「モノガタリ」が軽く受け止められているというより、あらゆる「リアル」が「物語」レベルでしか「受け取られていない」って話のような気がします。

2010-04-12 02:54:27
水上春奈 @tarlyon

@kyanagawa 物語の結末に納得がいかないなら、よりすぐれた物語で語るしかないのでは。興味を持ったら一次資料あたれよ!と叫ぶのは物語話者の仕事ではない。第三者の立場で映画化作品とそのブームに納得行かないからって原作(史実の記録)読め!と横から口出してもダメなんじゃないかと。

2010-04-12 03:02:02
教 官 トールキンマニア @kyou_kan

@aodanuki8 私の場合は特に戦争映画でよくありますが「こんな状況でこんなことが起こりうるわけがない」「こんな兵器でこんなことは起きない」となると、作り物ということをまざまざと見せつけらることになって興ざめします。時には大爆笑。『パールハーバー』はひどかった…

2010-04-12 03:08:50
aodanuki @aodanuki8

ただ史実を覚えるのに物語形式にするというのは一番適したツールでもあるとは思うのですよね。子供の頃読んだ日本の歴史マンガのおかげで日本史に苦労はあまりしなかった記憶が… あ、年号の暗記には苦労しましたw

2010-04-12 03:11:49
柳川邦彦 @kyanagawa

@tarlyon おっしゃる通りだとは思うのですが、そこまでのことが私にできるわけではないです(開き直りといわれればそうなのですが)。少なくとも、現行のブームへの違和感を声が届く範囲に伝えるのがせいぜい。それが駄目だと言われればもうどうしようもないです。

2010-04-12 03:14:22
岡島正晃 @ADLAHIR

戦争を体験していない俺は、「何人死んだ」という類の「戦争の記録」をみて、いつも思う。「それはいったい、どんなだったろう?」

2010-04-12 03:15:37
柳川邦彦 @kyanagawa

@tarlyon あと、私は物語の結末に納得してない、とはちょっと違うかな。物語化するのはいいとして、受け手がもう少し事実との区別はつけられないか、ということです。いずれ愚痴以上のものではないですが。

2010-04-12 03:15:59
岡島正晃 @ADLAHIR

体験者のお話しを聞く。アタマでは理解できる。では感情は? 肉親が死んだときのこと、友人と分かれたときの気持ちを思い出す。そこではたと気付く。「想像力が、追いつかない」。

2010-04-12 03:16:32
岡島正晃 @ADLAHIR

ただ、そんな俺でも「戦争はいけない。あってほしくない」ということだけは、皮膚感覚ではわかる。一次体験者の皆さんの辛い表情を見ているのは、まさしくリアルな俺だから。

2010-04-12 03:18:30
岡島正晃 @ADLAHIR

たぶん、映画の制作者たちも、同じなんだと思う。戦争の悲惨さ、その「記録」ではなく、「記憶」が薄れつつあるいま、使命感もあるだろう。資料を精査する。体験者に取材する。でも、そこで思っちゃったんじゃなかろうか?「想像力が、追いつかない」と。

2010-04-12 03:20:02
柳川邦彦 @kyanagawa

うーん、第三者が「物語と事実の区別はつけようぜ」と主張するのはそんなに駄目だろうか。起きたことの過度の物語化に違和感があるのに、対抗するにはより優れた物語を、というのは何か違う気がするなあ。

2010-04-12 03:20:50
岡島正晃 @ADLAHIR

だから彼らは、「己の想像力が届かない壮絶」を、焦りとともに映そうとする。自分にわからないナニか、でも失われてはいけないナニかを、怨念じみた執念で。だから、結果できあがった映像は、ときに現実以上に壮絶だ。

2010-04-12 03:21:45
岡島正晃 @ADLAHIR

そして、クオリティの高い映画であれば、という条件つきで、たぶんその「壮絶」は、絶対に追いつかない想像力の、少なくとも一部分を、未来につなげるだろう。俺はこの、わからない焦りからくる、「怨念じみた執念」をこそ、叡智と呼びたい。

2010-04-12 03:23:29