- eguchi2018
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「多型性(polytypicality)と異系交配によってこそ人類は概ね、そのような網目状の統一された遺伝的有機体となっているのである」p.143.
2019-09-02 16:30:44「ヒトの人種的違いは、どんな直接で小規模な進化上の意義もなしにあり得る…ヒトはもはや個人としては、自然淘汰の十全な効果にも、野生動物には作用している他の進化的メカニズムにも従属しない…ヒト集団において生存条件は…概ね、偶然の文化的『選択』や社会自身の学習性選好により設定される 144
2019-09-02 16:52:38(承前)「かくしてヒトは文化保持者として概ね、個々のヒト動物の生存の裁定者(arbiter)なのであり、自然がそうなのではない。それゆえ、もし自然が淘汰のための条件を設定しないのだとしたら、『自然淘汰』が個々のヒトにどのように作用し得るのかを理解することは難しいだろう」pp.144-5.
2019-09-02 16:57:10「技術的な意味において、ヒトの生物学的本性はまさしく、家畜化された動物、すなわち、自己家畜化された動物のそれである。この事実は、18世紀末という昔に、偉大な人類学者ヨハン・フリートリッヒ・ブルーメンバッハによって記された」p.145.
2019-09-02 18:03:34(承前)「ハーンは自己家畜化を、ヒトが何世代にもわたり意図的に栄養と繁殖に影響を及ぼすことと定義した。生起した変異(髪型、皮膚の色のような)をフィッシャーらは、生物学的に中立で、適応的でも反適応的でもないものと見なした」p.145.
2019-09-02 18:07:22(承前)「ヒトに関する限りでは、人類学者たちもまた、これらの用語[自己家畜化]においていかなるヒトの『系譜学的階梯』も可能ではないことに同意するだろう。なぜなら、家畜化の多様な形質は生物学的にはランダムだからだ」p.145.
2019-09-02 18:10:07「ヒトは、家畜化された動物を定義するのに今用いられている全ての基準に合致する。それらはすなわち、ヒト文化が保証しているような<コントロールされた食料供給>、<形質の人為淘汰>、というのはヒトの文化淘汰はヒトの『血統』の形質をコントロールするから」p.145.
2019-09-02 18:21:25野生動物では一般に、嗅覚が鋭いほど皮膚の色が暗くなっており、家畜動物の皮膚の色が明るいということは嗅覚が鈍っているということであり、野生では生き延びられなくなっている。pp.145-6. 現代風に言えば多面発現だろうが、これは正しいのか?
2019-09-02 18:31:19ホモ・サピエンスの野生時の皮膚の色は茶色だったと思われるが、今日のスカンディナヴィア人のブロンドと黄金海岸人の黒は極端に「家畜化」された形態と思われる。髪のブロンドも、家畜化されたウマやブタに似ている。カールした髪も…と、以下つらつらと、今日ではトンデモに属する話。p.146.
2019-09-02 18:36:50「『自然』状態に暮らしているような『野生』のヒトなどいない。全てのヒト集団は、厳密に家畜化の技術的条件の内部で生きている」p.146.
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