「負けねえど、飯舘・村人のつどい」(2011年5月25日)
- myriel_june
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ただいま、飯舘村で「負けねえど、飯舘・村人のつどい」が開催されています。Twitterでつぶやかれているかたがいらっしゃったので、RTをまとめさせていただきます。なお、コーディネータを本学類教授・千葉悦子がつとめております。#iitate
2011-05-25 19:16:39飯舘村なう。負けねえど飯舘‼ 第二回村民のつどい 避難が決まった村民の思いを残すイベント。村人、損害の人、ざっと300人くらいかなぁ。もうちょっといるかな? 途中、峠道は線量がうんと高かった。
2011-05-25 18:04:36地元を離れる寂しさと安全と。経済的にも避難なのか移転なのか。先が見えないたいへんさ。縫製工場の若旦那語る。
2011-05-25 18:20:38牛農家の嫁さま。移動するにも牛に負担。たくさんの牛をどうしたらいいのか。戻ってこれたとしても、土壌の心配があり、米も作れないからワラも作れない
2011-05-25 18:22:56縫製工場の若旦那の松原さん、5歳と1歳。子どもにどれだけ影響が出るのか。福島に避難しても数値的に安心しきれる数字ではない。大丈夫か。
2011-05-25 18:24:41独身の前田さんは、とにかく子どもの安全を、と語る。復興をする際にも、未来を担う子どもが健康でないといけない。だから飯舘の子どもたちの健康を訴えたい。東京で飯舘の実態を説明すると、みんなびっくりする。現地の実情がわかってもっていない。
2011-05-25 18:30:29福島大学の千葉悦子先生(コーディネーター)は、子どもには影響が大きいというが、大人にもまったく安全ではない。福島市内でマスクもせずに歩いているのを見ると心配。
2011-05-25 18:33:08珈琲焙煎業の市澤美由紀さん。今まで自宅でやってた仕事を、移転先を探し、家賃を払い、移転費用を払い、たいへんだ。なにも悪いことをしていないのだから、しっかり補償をしてもらおう。飯舘の人はがまん強いけど、ちゃんと安全を求めて避難しましょう。
2011-05-25 18:38:44飯舘の活動をバックアップしてきた佐藤彰彦さん。佐藤健太さんのTwitterでの活動はものすごく注目を集めている。生活様式を変えていくには、市民運動から始めるしかない。
2011-05-25 18:44:58千葉先生 飯舘は過去から住民主導で動いてきた経緯がある。それはすごいことだ。しかし最近、住民から声が上がらなくなっているのではないか。佐藤健太さん 住民の声をもっと聞かせてほしい。声をあげてほしい。少しでもいいので声をください。
2011-05-25 18:48:00時間がすぎてきました(予定は何時までなんだろう?)。最後に飯舘村への思いのお手紙の代読。飯舘出身のおかあさんから。
2011-05-25 18:55:54村民限定で、お客さんで言いたいことある人はいませんか? いませんでした。では最後に市澤さん。計画避難区域の発表があって、すぐに移転先を探し始めたが、事業所が7つも残るという。びっくり。大丈夫なのか! 仕事をすれば、いつのまにか住んでしまうことにならないか
2011-05-25 18:52:04子育て中のわたしたちは、この目で今の飯舘村を見たくても、放射能がこわくて帰省することができない。ホームページなとで、今の飯舘村のことをもっと伝えてほしい。埼玉県のたかだわかさんより。
2011-05-25 18:58:14にしても、テレビや取材の人が多い。たまたま隣に座ってる人も、朝日新聞の記者さんだった。支局の人かと思ったら、東京から駆けつけたということでした。
2011-05-25 19:00:11最後に一言ずつ。土地は預かり物と言われていたのに、その土地がなくなってしまう。帰るふるさとが変わってしまう、帰ってもそこに人がいないのは悲しい。これから避難だが、まだ牛がいて、どうなるかわからないし、子どものことも心配だ。放射能の安全の線引きをしっかりやってほしい
2011-05-25 19:05:44客席から。子どもにはどうやって伝えよう。ひとりひとりが変えていかないといけない、今子どもに我々の生き方を見せられる時じゃないか。子どもたちは飯舘はなにもないところだと思っていたが、私は飯舘に帰りたいと言われて、子どもにどんな背中を見せられるのかと思い悩んだ。
2011-05-25 19:10:02千葉先生の最後の締めのご挨拶はことばがつまっていました。くやし涙でした。みんなでいっしょに、戦っていきましょう。そういう場として、今日の日があったのだと思います。
2011-05-25 19:12:23