『つまらない作家ほど描写がクドい』『一行で書いたら脚本だろ』〜小説で『描写』はどこまで必要か/時代による「視覚情報の蓄積」の違いも?

『つまらない作家ほど描写がクドいんだよな。いちいち町並みを叙述しなくても、「繁華街」って一言かけば、読者が脳内ライブラリーからかってにそれらしい風景を想像してくれるもんなんだよ』…こんな意見から始まったあれこれ。/時代による「視覚情報の蓄積」の違いも?
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人間ジェネリック @DividedSelf_94

ウォンバットの うんちは 四角い

人間ジェネリック @DividedSelf_94

つまらない作家ほど描写がクドいんだよな。いちいち町並みを叙述しなくても、「繁華街」って一言かけば、読者が脳内ライブラリーからかってにそれらしい風景を想像してくれるもんなんだよ。 私の好きな作家なんて漁村を「絵に描いたような漁師の街だ」で済ませてて感心しちゃったよ。

2019-09-04 02:24:59
人間ジェネリック @DividedSelf_94

映画というのもそういう概念パターンの組み合わせで出来てるんだろうな。

2019-09-04 02:26:00
増田貴彦 @GOKE_masuda

@DividedSelf_94 @NakanoYoo 私はそうは思わない。それだと脚本のト書きと一緒だ。 繁華街といってもいろいろある。 短いセンテンスでもいいから最低限の情景描写はすべきだと考えます。文章に酔うことも小説を読む楽しみのひとつです。

2019-09-05 02:44:39
水瓶のsai(闇の力を感じます/鬼外カルテ!圧縮と短縮・自己暗示 hz,hj.hk.hlかな入力/ @SHIHO_COS

@DividedSelf_94 おっしゃる通りだと想います。読者を信頼してるのだと考えます。私はマルキ・ド・サドを読んだとき文章がカラッカラに乾きすぎてて感動した覚えがあります。凄惨な事をただ起こってるまま書くだけ。翻訳の澁澤龍彦が凄すぎるのだと想いますが、「巧みな描写」とは何か?と思うようになりました。

2019-09-04 03:42:11
四季に群雲 @kumasoyamato

@DividedSelf_94 @kankan33333 小説は食べ物だから、一概にそうとは言えないかな、歴史小説だと西行法師が歩みしはなんたらは墨染桜のなんたらと相当長いのが香辛料として好まれるし。 共通認識が出来る時代や価値観の場面では短縮すべきとは思う、まあ最近の流行りはゲーム様な端的文章の方が書籍にはなりやすい。

2019-09-04 19:00:23
がらんどう/異教徒 @suisuloru6429

@DividedSelf_94 参考になります。 無駄に細かく書いて情景押し付けるより読者の想像に委ねたほうが読んでいて自分視点で見れて面白いということですね。(メモメモ)

2019-09-04 19:41:28

推理作家・芦辺拓氏の意見。特に過去の小説の描写の多さについて

「視覚情報の蓄積」と、それに頼ることの功罪。

芦辺 拓 @ashibetaku

零細探偵小説家です。仕事はbit.ly/jfXjYy またの名を森江春策Pと申しまして、ニコマス動画、ラブライブ!、AGC38、そしてポッピンQなど、どこでも平均年齢を押し上げてます。

芦辺 拓 @ashibetaku

なぜ19世紀文学の描写や説明があんなに克明かというと、読者の側に知識もイメージもなく、映画も写真もなければ報道すら未発達で、唯一小説という媒体と作家の想像力だけが「世界」を描くことができたから。今メディアの進歩でその役割が薄くなったからといって簡単に放棄していいのかなぁとは思います twitter.com/DividedSelf_94…

2019-09-05 15:07:24
芦辺 拓 @ashibetaku

1950年代の社会派推理に批判はあろうけれども、地方生活、裏町の工場での過酷な労働や哀歓を描く一方、一般庶民の手の届かないところで世の中を動かしている政治家や官僚、企業家たちを「描いた」ことの意味はきわめて大きい。コントのネタにもなったヤクザの生態や賭場だって取材と描写の産物です。

2019-09-05 15:14:37
芦辺 拓 @ashibetaku

「読者の脳内ライブラリー」というのは、この人が馬鹿にする克明な描写があって形成されたもの。僕は現代アメリカ作家描くマフィアとギャンブルの世界が全くイメージできなくて読むのを断念したことがある。せいぜい映画のカジノしかイメージストックがなかったので、もうちょっと描写があればと思った

2019-09-05 15:18:26
芦辺 拓 @ashibetaku

そして読者の脳内ライブラリーに頼って描写や説明が希薄化してゆくのは、そのジャンルが崩壊衰退してゆく予兆でもある。このへんは『倶楽部雑誌探究』巻末の小田光雄氏の文章など参照のこと。「繁華街」「絵に描いたような漁師の街」が「は、何これ?」と投げ出される日はそれほど遠くなく来るでしょう

2019-09-05 15:23:11
山人 @kirikiri_jyukai

@ashibetaku 短編のような世界ならともかくも、当時の世相を反映させるためには、それ相応の描写が必要だと強く思います。明治文学など話の筋そっちのけで延々と雅文風に綴るのは、日記や道中記の名残でせう。それが冗漫、不必要と出るのは、やはりテンプレート的世界がそれだけ発展した気がします、ね。

2019-09-05 15:34:18
芦辺 拓 @ashibetaku

@kirikiri_jyukai 昔の通俗小説など読むと、克明な風俗描写こそ面白かったりしますし、あまりにディテールをぶった切ったものは、逆に時代の壁を越えられない気がします。

2019-09-05 15:45:37
kuri・作家【「不死の宴 第二部 北米編」好評発売中!】 @hajime_kuri

@ashibetaku 情景を描写することが、同時に視点である人間の心象やキャラクターのバックグラウンドを、語らずして読者に伝えることもできる。そういった「濃い描写」をする人が減ったのでは。読者の脳内ライブラリーに頼るのも「さじ加減」だと思う。 若いころは同じように感じてたけど↓ cyta.jp/novel/b/47226

2019-09-05 16:02:37
いわさん @iwa_sang

@ashibetaku 「白鯨」が延々風景描写なのは「小説版素晴らしき世界紀行」だからと言う話を聞いたことがあります、荒俣宏先生だったかなあ。

2019-09-05 16:55:31
bookroad @bookroad1

@iwa_sang @SagamiNoriaki @ashibetaku 「風雲児たち」にも、当時は旅行がそうそうできるもんじゃないから、当時の世界旅行小説は、情景描写がえらくねちっこくて、それがファンサービスだったという説明がありました(ベニョヴスキーという、江戸中期の日本にやってきた一代の奇人を描いた章で)

2019-09-05 20:48:37
芦辺 拓 @ashibetaku

@bookroad1 @iwa_sang @SagamiNoriaki 何しろ当時の読者は、異国の風景もそこに至る退屈な移動も何も知らないわけですから、全部描いてあげないといけないわわけです。『白鯨』だと、鯨とはそもそもどんなものかも。

2019-09-05 20:54:26
芦辺 拓 @ashibetaku

@Mock_Hatter 今の僕たちは映画とかテレビのドキュメンタリーとかで視覚情報をためこんでいますが、それを活用させるのも「描写」でしょうね。

2019-09-05 20:56:42
RZ-R @RZR83439229

@ashibetaku FF外から失礼します。仰ること全く同感です。 大藪春彦と池波正太郎をこよなく愛する者ですが、両者に共通するのは、 「作品世界の背景や設定、ディティール等の詳細な描写があるからこそ、要所要所での簡潔な表現が潔い」事だと思います。それが筆力と言う物でしょう。

2019-09-05 18:05:24
芦辺 拓 @ashibetaku

@RZR83439229 もちろんバランスは重要なのですが、濃く語ることを恐れてはならないと思います。

2019-09-05 21:01:12
HowlingUnderdog @HowlingUnderdog

@ashibetaku こうした描写の省略を極限まで進めていくと、中近世なーろっぱ世界に辿り着くんですよね。まぁなろう系も面白いし楽しんでいますが、どうしても物足りなくなる事もあります。通常のライトノベルと比べても、情景・真理描写が少ないのですから。

2019-09-05 20:57:43
芦辺 拓 @ashibetaku

@HowlingUnderdog 時代小説もそういうところありますし、だからこそ気楽に読める良さがあるわけですしね。

2019-09-05 21:04:56
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