怖い画像から山岸凉子、黒沢清へ

怖い「話」の方は、こっちのまとめでだらだらとつぶやいてた http://togetter.com/li/130076
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@ttt_ceinture

@samedrill 「蜘蛛の瞳」の、ただあるだけで不吉な、墓標めいた「木の杭」とかもいいですよね。触れる幽霊はたしかに難しくて、「降霊」でも泥まみれの手で触るシーンがありますが、そのシーンよりも泥のない服を拭ってる役所のしぐさの方が効いてしまってましたね。

2011-05-28 00:19:27
@ttt_ceinture

@samedrill 鶴田法男の「霊のうごめく家」 http://bit.ly/1nv2O9 での後景でうごめく姿を発展させたシーンとか、突如降ってくる飛行機とか、1ショットで落ちてくる投身自殺とか、「回路」は面白かった。触る霊は、語りかけてくる相乗効果もありましたね

2011-05-28 00:22:53
動物 @samedrill

@ttt_ceinture 『降霊』は本当にメルクマールですね。『蛇の道』は『木霊』と並んで高橋さんとのコラボの最大の成果の一つで、それに比べると『蜘蛛の瞳』は希薄なんだけど意外と黒沢さん的な部分が凝縮されてて好きです。

2011-05-28 00:22:04
@ttt_ceinture

@samedrill 「奴らは今夜もやってくる」の頃はぱっとしないですからね…。「DOOR2」の喫茶店で足元だけが見える女とか、唐突に道の真ん中に座っている諏訪太朗のショットとかには、その後の片鱗があるというふうにとらえてました

2011-05-28 00:27:07
動物 @samedrill

@ttt_ceinture 『スウィートホーム』も含めてあの頃は、批評意識が先行していた時期だと思います。わざと墨汁とわかるように配したりとか、怖さというより、ギミックをギミックとして堂々と見せるというところに主眼があったと思います。やはり高橋、鶴田とのテレビでの実験が大きい。

2011-05-28 00:28:54
@ttt_ceinture

@samedrill ただ、「触れる」というのは、視覚に対する確実性としての触覚という構図がどうしてもあるように思って、ちょっと私は乗れないものがあるんですよ。視覚の場合は、怖い話や山岸に特徴的ですが、目撃者が自分の認識を疑う反省作用が出るんですが、触覚にはそれがなくなるし...

2011-05-28 00:31:12
動物 @samedrill

@ttt_ceinture いや、だからこそあえて追求してみたんじゃないですか?むしろジャンルの文法としては、フォーマットとしての確実性は突き崩すでしょう。中原昌也風の男性ストーカーの幽霊なんてのも試してた。素材を拡張しつつ、ぎりぎりの線はいつも狙っていると思います。

2011-05-28 00:33:51
@ttt_ceinture

@samedrill 触れるし行動もする、というとき、幽霊の形象を維持したドッペルゲンガー、というふうに見えてしまって、幽霊としての特性がどう発揮されているのかがよくわからなくて…。

2011-05-28 00:36:16
動物 @samedrill

@ttt_ceinture 『スウィートホーム』も含めてあの頃は、批評意識が先行していた時期だと思います。わざと墨汁とわかるように配したりとか、怖さというより、ギミックをギミックとして堂々と見せるというところに主眼があったと思います。やはり高橋、鶴田とのテレビでの実験が大きい。

2011-05-28 00:28:54
@ttt_ceinture

@samedrill ああ、なるほど…。私は黒沢の「大いなる幻影」の、特に理由もなく点滅する武田真治が好きなんですが、ゲアトルードと言われると、吸血鬼での亡霊状態とあれは少し似てるんですね。

2011-05-28 00:40:26
動物 @samedrill

@ttt_ceinture あれなんかもその一環ですね。人みたいな幽霊、幽霊みたいな人といったように、複数のベクトルがあるのが面白いところですね。黒沢さんの場合は、職人的な効果に徹しつつも、ああいうふうにナラティヴに関わらない技法や感覚にまで逸脱していく部分がある。

2011-05-28 00:43:02
@ttt_ceinture

@samedrill 私は蛇の道より蜘蛛の瞳の方についこだわってしまうんですが、蜘蛛の瞳ではダンカンと哀川が幽霊みたいな人になってるのがとてもいいですね。うまくナラティブに再結合した展開と見てた

2011-05-28 00:46:35
動物 @samedrill

@ttt_ceinture ああ、思い出しました。あれ良かったですね。僕は高橋さんも好きなので『蛇の道』も好きなんですが、さっきも言ったように『蜘蛛の道』には意外と黒沢さん的なものは凝縮されてて好きですよ。空虚な長廻しとか初期の批評性に連なる取り方も含めて。

2011-05-28 00:48:27
@ttt_ceinture

@samedrill 高橋成分で言うと、復讐2の、真正面撃ち合い→誰も当たらず、とか杖の婦人といった要素を特に思い出しますけど、蛇の道での高橋成分ってどういうものでしたっけ。蛇の道の記憶が薄れつつある…

2011-05-28 00:52:36
動物 @samedrill

@ttt_ceinture うーん、全体に漂う禍々しい雰囲気かな。拷問とか死体の出し方とか。「コメットさん」とかね(これは『復讐』?)。あれ以前は黒沢さんはああいうの出さなかった。その後、『キュアー』で単独でそのノリを達成し、ブレイク。という理解。でも共通する部分ということかも。

2011-05-28 00:55:45
@ttt_ceinture

@samedrill このところずっと「怖い話」の方を追ってたんで、黒沢の特性を再考するのを忘れていたんですが、怖い話の持つ展開や不穏さ、恐怖対象の描写と、黒沢の試行錯誤から物質性の変容は、やはりかなり違うものですね... 場所や血筋、呪いなどの因果にも落ちないし。

2011-05-28 00:55:49
動物 @samedrill

@ttt_ceinture そうですね。そこは注意が必要で「職人に徹する」という意志こそが彼の作家性を支えている(そして事実成功している)のは本当だけど、やはりそれは否定的に表出された作家性で、後には職人的な効果を踏み越えた実験へとつながっていくんだと思います。

2011-05-28 00:58:10
@ttt_ceinture

@samedrill 対極とみなされやすい、スウィートホームの頃の黒沢がゲームを生業にしようか迷っていたことと、のちの幽霊映画とその成果のホラー以外での展開における物質性や存在感の操作をつなげみたくなるものがあって…。彼の言うジャンルの掟とゲームってどの程度つながるんでしょうね

2011-05-28 01:13:35
動物 @samedrill

@ttt_ceinture それ初耳です。ゲームから導けるかな・・・・。彼自身がゲームをどういうものと捉えていたかがわからないと何とも言えないですね。でも広く初期と現在を繋げてみたいとは思いますね。

2011-05-28 01:15:49
@ttt_ceinture

@samedrill たしか『黒沢清の映画術』でのスウィートホームに関する箇所でそういう発言があるんです。カリスマが聖杯譚に似ているなど、ファンタジーRPGの換骨奪胎と言えるなど、割とつまらないことはすぐに言えるんですが、

2011-05-28 01:20:12
@ttt_ceinture

@samedrill むしろ降霊についての「夫婦は犯罪を犯してしまった。これによって犯罪映画の掟が作動する」といった発言など、ジャンルの掟についての発想などでつながっているように思うんです。

2011-05-28 01:20:16
動物 @samedrill

@ttt_ceinture むしろ、繰り返し考察している因果関係やジャンルについての発想をゲームに適応しているのかな。だとすると一元論的に考えられそうですが、逆に特にゲームに言及しなくても良いのかも。

2011-05-28 01:22:32
@ttt_ceinture

@samedrill 地獄の警備員、カリスマ、蜘蛛の瞳、アカルイミライに一貫する、(怪物としての)プレイヤーの継承というのもあるんですよ。ただ、つなげるハブ地点をゲームにする必要があるのかについて、やや悩むという....

2011-05-28 01:26:43
動物 @samedrill

@ttt_ceinture うーん。普通にホラー映画のフォーマットに見えてしまいますが・・・・・。

2011-05-28 01:27:39
@ttt_ceinture

@samedrill そうなんですよねw 蓮実に影響を受けたといわれやすい黒沢はジャンル映画についての発想はかなり異なっていて、まあゲームにつなげずとも、黒沢の特殊性として議論がまとまればいいのにな、とは思う。

2011-05-28 01:29:08