2006年、中国留学中のとある体験談に当時の "リアルな中国" を感じる「土着の中国がここに」「ファンタジー小説みたい」

面白かったのでまとめさせていただきました.
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章碧茅 @maonuzhangbimao

留学中の2006年4月、先生がお友達と一緒に北京上海の旅行にいらっしゃったので、僕もくっついていき、上海でお見送りしたあとひとりで紹興に行った。上海から雨の中をバスで2時間くらいだったか、昼過ぎに紹興についた。

2019-10-04 00:52:09
章碧茅 @maonuzhangbimao

魯迅故居近くの古い建物を改装したというホテルにチェックインして、その辺で適当に食堂に入り、紹興酒一本もってきてもらって飲んでたら、後ろのおっさんたちが「なんや若いの女でも待っとるんか」と冷やかしてきた。 「ばか言えひとりで旅行に来たんや」 「変な中国語じゃのう」 「わし留学生や」

2019-10-04 00:58:05
章碧茅 @maonuzhangbimao

おおなんとお前は日本朋友か。こっち来て一緒に飲め。 どこから来たん?北京?どこのホテルや?おおそれなら一緒じゃ。安心してどんどん飲め。。。べろべろになってその日はどうやって部屋に帰ったか覚えていない。翌朝ドアをドンドンする音で目が覚め、ドアを開けてみたらそのおっさんたち立っていた

2019-10-04 01:06:34
章碧茅 @maonuzhangbimao

いつまで寝とるんじゃでかけるぞ。 というわけで、その日はおっさんたちと一緒に魯迅関係の観光名所をひととおり見てまわった。武田泰淳の小説で読んだ秋瑾の記念碑や、大同学校の跡地も見物した。うまい飯も食わせてもらった。

2019-10-04 01:14:13
章碧茅 @maonuzhangbimao

おっさんたちは湖南省漣源というところの工商銀行の関係者だといった。俺らは今日の夕方湖南に帰るから、あとはお前ひとりで適当に遊んでくれ。留学生にも夏休みがあるだろう。夏休みには湖南に来いよ。 再会を約束して僕はおっさんたちを見送った。

2019-10-04 01:19:08
章碧茅 @maonuzhangbimao

そして夏休み、ある日突然おっさんのうちのひとり、兄貴分みたいな人から電話がかかってきた。おお元気か。明日湖南に来れるか?長沙駅まで友達迎えにいかすから。そんな急に、と思ったが、大学近くの切符売り場にいってみたら明日の硬座の切符ならあるという。明日は無理だけど明後日の朝長沙につくよ

2019-10-04 01:23:51
章碧茅 @maonuzhangbimao

そうおっさんに伝えて、翌日電車に乗った。北京駅からたしか16時間だったか、とにかく一晩電車に乗って長沙についたら、たしかに迎えのにーちゃんが待っていた。こわもてのそのおにいさんは、3時間かかるで、という以外のことはほとんど話さず、僕を漣源に連れていった。

2019-10-04 01:27:03
章碧茅 @maonuzhangbimao

昼前に漣源のバスターミナルみたいなところについた。にーちゃんは僕を下すとここで待ってろとだけ言ってさっさと行ってしまった。なんだかとてもごちゃごちゃしたところで、目の前を解体して肉をとった後の豚の皮やら頭やらを満載したトラックが通り過ぎて行ったのを、今でも鮮明に覚えている。

2019-10-04 01:33:38
章碧茅 @maonuzhangbimao

俺もあの豚みたいになるんやろか、と僕はのこのこ出かけてきたことを後悔した。どうやって北京の部屋まで帰ろうかと考えていたら、おお待たせたな、とおっさんが現れた。疲れたじゃろ?いまから宴会いくけえのう。そういっておっさんは僕を車に乗せた。

2019-10-04 01:34:22
章碧茅 @maonuzhangbimao

僕が紹興で出会ったおっさん、そのうち弟分だと思ってたひょろいのは、工商銀行漣源支行の行長だった。僕に電話かけてきた兄貴分は、行長の運転手。つまり彼らは「泣く子も黙る」とまではいかなくても、当地の相当な有力者。運転手の殷さんは僕を連れて行く途中、今日は老領導の還暦祝いや、といった。

2019-10-04 01:42:57
章碧茅 @maonuzhangbimao

宴会場につくとわけもわからないままなみなみに白酒を注いだコップを渡され、領導のところへ乾杯しに行けという。へたくそな中国語で「今日のこの良き日にご招待にあずかり。。。」みたいな挨拶をすると、なぜか大うけで拍手喝采。まあ、サルが人間の真似するのをよろこぶみたいな気持ちだったんだろう

2019-10-04 01:48:38
章碧茅 @maonuzhangbimao

とにかく大量の白酒を注ぎ込まれ、僕は銀行の招待所なる部屋に放り投げられた。中国の場合、めでたい宴会は一回でおわらない。あいつが請客したから今度はこっち、という具合で何日も続く。僕はその度に連れていかれ、鸚鵡がコンニチハというように中国語のあいさつをし、酔ってベットに放り投げられた

2019-10-04 01:55:03
章碧茅 @maonuzhangbimao

結局僕は一週間くらい漣源に滞在し、へとへとになって北京に戻った。あれは僕の人生ではじめて、大学以外の、ベタな言葉で申し訳ないが「ナマ」の中国人の世界に、しかも祭典的な特殊な場合にもぐりこんだ経験だったんだと思う。

2019-10-04 01:59:23
章碧茅 @maonuzhangbimao

おっさんたちが僕を呼びよせた、しかもすぐに来い、といったのは、たぶん領導の還暦祝いという重要なイベントの余興として、外賓がいたらうけるんじゃないか、と思ったからだろう。

2019-10-04 02:02:47
章碧茅 @maonuzhangbimao

漣源のようなところで俺が外賓を連れてきたというのは、下手な中国語のあいさつで笑いを誘うという以外に、領導と、また外人をしかるべき時に呼ぶことができるという自分のメンツをたてることにもなるんだろう。ガイジンさんがなんだか特殊な光をまとっている感じ、田舎で育った僕にもなんとなくわかる

2019-10-04 02:06:02
章碧茅 @maonuzhangbimao

北京に帰ってすぐはもうあんなとこにはいかへんで、と思ったが、よくよく考えてみるとあれは本当に貴重な経験だった。曾国藩故居なんてあんな機会がなければ一生行くことはなかっただろうし、それ以上に、おおげさに言えばあれは中国の社会をより親切に理解するための研修みたいなもんだったのだ。

2019-10-04 02:18:28
章碧茅 @maonuzhangbimao

おもしろいネタはいくつもあるんだが、ひとつだけ書くならこの話だろう。宴会合間の観光は支店長付きの運転手殷兄貴が公用車を使ってついでに友達やら家族やらも同伴でやってくれた。車を走らすにはもちろんガソリンが必要。僕らが乗った車がガソリンスタンドに入ると、なぜかほかの車も集まってくる

2019-10-04 02:23:46
章碧茅 @maonuzhangbimao

聞くと全部知りあいの車だという。殷さんは工商銀行のガソリンカードを持っていて、銀行の金でいくらでもガソリンを注ぐことができる。そのカードで集まってきた車すべてのタンクを満タンにしていた。横領ちゃうんか、と思った。でもおそらくは、これが中国式の地位と徳のある人間のふるまいなんだろう

2019-10-04 02:27:58
章碧茅 @maonuzhangbimao

中国は広いといっても、人間の数も桁違いに多いから、やはり資本の分配には著しい不均衡が生じる。社会的地位のある人のところには自然にモノが集まるのだが、全部握っったままだと恨みを買うので、一定程度周りに開放しなければならない。

2019-10-04 02:31:59
章碧茅 @maonuzhangbimao

ただ世の中のすべての人に再分配する仕組みはないし、心情的にもそれは無理だから、自ずから知りあい優先にならざるを得ない。そのような行為によって有力者の徳は保たれ、一定程度の資本が社会に還元され、秩序の維持にもつながる。これを負の側面から見れば、コネ集団による社会的資本の壟断となる。

2019-10-04 02:34:35
章碧茅 @maonuzhangbimao

こういう人間関係のあり方は、学生の頃に論文読んでた明清郷紳社会の論理そのもののように思う。ああそうか、もう博物館のなかにしか存在しないと思っていたあのような人間関係が、まだ中国では生きているのか、という発見だった。

2019-10-04 02:39:15
章碧茅 @maonuzhangbimao

それと同時に、このような人間関係を否定し、人間同士の新しい関係を構築することこそが、中国革命の目標のひとつではなかったか、とも思った。毛主席の故郷湖南にしてこうなのか。

2019-10-04 02:46:15
章碧茅 @maonuzhangbimao

我々は社会を変えることができる、未来を設計し自らの努力によって未来を勝ち取ることができるというのが、僕もそのうちにいると思っている近代的価値観の重要な側面だ。そういう確信がなんだか怪しくなるような、心の中にさびしい風が吹くような経験だった。だからあの湖南行を僕は一生忘れないだろう

2019-10-04 02:52:09

感想