- K_misa_maguro
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たぶん、その直観の匂いに敏感に反応した近年の作品の一つが『綺想宮』なんだろう…って、前にも呟いたか。あれは一つの鏡。…誰だかが件の問題の解釈がみたいなことをいってたけれど、そういう話じゃなく、あの鏡面に映し出されてるのが今のミステリの一面。
2011-05-27 03:11:05@toru_hikawa なるほど。氷川さんのお考えは分かりました。次回の作品を楽しみにしてます。「最後から二番めの真実」を読んで以降、氷川さんはやってくれる人だと思っていますので。
2011-05-27 03:13:20(そう思ってるから『綺想宮』は薦め難い。あれは人を選ぶの、きっと。…あれを考えずに読むと、未知の言語のギャグを延々聞いてるようになりかねないし、下手したら、ここの文法が違うとかトンチンカンな感想になりかねない)
2011-05-27 03:13:28.@toru_hikawa 「直観にすがる」というのがどういう意味かよく分からないのですが、有栖川さんを除いて第一世代が「トリック派」であるのは確かでしょうね。トリック派は、おおむね「トリックを見抜くこと=解決」であるケースが多いので、細かい論理を突き詰める方向には行きづらい。
2011-05-27 03:37:06まさしくおっしゃるとおり「細かい論理を突き詰める方向には行きづらい/行こうとしない」傾向を指したつもりでした(汗)。QT @sukiyapotes 「直観にすがる」というのがどういう意味かよく分からないのですが//
2011-05-27 03:49:48@sukiyapotes あ、でも、決してゴマをするわけではないですが、『8の殺人』は「トリック派」でありながら「ロジカルだな~」と感じたことを思い出しました。なつかしい…
2011-05-27 03:55:30新本格における論理性か・・・都筑道夫氏の「トリックよりロジック」という言葉を思い出す。その都筑に影響をうけたと公言する西澤保彦も新本格作家の一人。もしかしたら、新本格の中では特異なのかも。
2011-05-27 03:59:03同じく都筑道夫氏の言葉に「論理のアクロバット」というものもある。様々な仮説を立ててはああでもない、こうでもないと推敲を重ねること(私の理解では)だが、これも西澤氏の作品、特にタック&タカチのシリーズでは顕著だな。
2011-05-27 04:04:35@tinydogs こちらこそ初めまして。思いついたまま、つぶやいてるのでズレはあったかもしれないです。法月氏は作品名も都筑氏のパロディだったりしますが内容は影響あるか分からないですね。でも法月さんは例の後期クイーン問題を提唱したり、探偵小説の論理性には拘ってる印象ですね。
2011-05-27 04:14:35@tinydogs 「脱格以降はその言い方になぞらえばロジックよりレトリック」言い得て妙ですねw脱格系の作家は論理とかトリックとかよりもミステリーをギミックの集合と捉えてる気がします。
2011-05-27 04:16:50@tinydogs メフィスト系ですね。RTちなみに、その点は同世代の森、京極にも顕著なので、第三の世代に顕著な傾向だった
2011-05-27 04:18:29@toru_hikawa えっ? ぼくは、少なくとも京大メンバーの中では一番ロジックどうでもいい派じゃないかと自分で思っているので、「どの辺が?」っていう感じですけどでもとりあえず褒められたような気がします。
2011-05-27 04:19:26@tinydogs 第三の世代に限っていえばその傾向は強いかもしれません。毒チョコみたいな場合はまた違うかもしれませんが。RT論理のアクロバットと言う言葉は直観→推論の積み重ねの上に成り立つ現象に顕著ではないでしょうか?
2011-05-27 04:20:27.@toru_hikawa ぼくは実は、不可能犯罪とロジックは、突き詰めると相容れないものだと思っています。「Aには犯行を行なえたはずがない。しかしある奇想天外なトリックを使えば犯行が可能となる」というレトリックを駆使するのがトリック派ですが、これを認めた途端他の論理も瓦解する。
2011-05-27 04:26:02推理をたてるのが直観によるものなのか、厳密に論理によるものなのかの判断って結構難しい。特に後期クイーン問題を視野に入れると、完全な論理そのものが不可能に思えてくるから。
2011-05-27 04:26:54