佐藤正美Tweet_20190916_30

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佐藤正美 @satou_masami

「インテリゲンチャ」という ことば は現代では死語でしょうね、「知識-労働者(知識労働階級)」という意味です。私が大学生の頃(40年前)には、まだ使われていました。「インテリ」という語も、もうあまり使われていないのではないかしら。

2019-09-21 15:20:32
佐藤正美 @satou_masami

でも、そういう人たちは、現代でも多く存するでしょう。テレビの「昼のワイドショー」番組のコメンテータなどは、その典型 (「言わなければ沽券(こけん)にかかわる様な気がしている」連中)でしょうね。

2019-09-21 15:20:51
佐藤正美 @satou_masami

「インテリゲンチャ」は大衆に対比した特殊な(エリート?)階級でしたが、現代ではウェブとSNSが普及して、大衆が発信する機会が増大し、大衆が「インテリゲンチャ」化している。

2019-09-21 15:21:05
佐藤正美 @satou_masami

入手する情報量からいえば、40年前(大学生だった頃)の読書に比べて、今のほうが断然多い。接する情報が多くなったけれど、自ら考える習慣が少なくなったというふうに単純には言えない──書物を読んでいるときもタブレットで記事を読んでいるときも、同じように考えながら読んでいる。

2019-09-21 15:21:17
佐藤正美 @satou_masami

読書では一冊の書物を続けて読むので精読している状態だけれど、ウェブ・SNSの閲覧では、短じかい文を次から次と拾い読み・走り読みしている状態です。どちらの読書が良いとか悪いとかの問題ではなくて、ひとつの思想の精読・熟読と色々な情報の拾い読みを併せている。

2019-09-21 15:21:31
佐藤正美 @satou_masami

「何はどうなるだろうか? 彼にはどうなるだろうか? 言わなければ沽券(こけん)にかかわる様な気がしている」(小林秀雄)ような連中は いつの世にも存する。

2019-09-21 15:21:47
佐藤正美 @satou_masami

SNSの投稿記事のなかには、様々な事に首をつっこんでコメントしている人たちも多数いるけれど、自分が関与していないことに対して憶測をしゃべることを恥ずかしいと思っていないようですね。知的節度がない。

2019-09-21 15:22:02
佐藤正美 @satou_masami

そういう投稿記事を私は読み飛ばします。少なくとも、自分の立っている位置から見える [ 自分が経験できる ] ことについて自らの意見を言っていないような記事を私は読み飛ばします。私がそんなことを言わなくても、多くの人たちは、意識的にしろ無意識的にしろ、そうしているのではないか。

2019-09-21 15:22:20
佐藤正美 @satou_masami

ウェブ・SNSが普及して、世間は口達者になった。皆が皆 正直な意見を述べようとすれば──そして、それぞれの話し手が相手の話を聞こうとしなければ、まるで動物園の檻のなかで猛獣が ただ吠えているような有様で──、それはそれで会話は存続しなくなるでしょう。

2019-09-21 15:22:43
佐藤正美 @satou_masami

しかし、語り伝えたい話題も持たず、そうかと言って、黙っているだけの節度(知性)も持たないで、次から次へと様々な他人の種々な意見にコメントを綴る人を博学とは云わない、寧ろ軽薄・無駄口でしょう。

2019-09-21 15:22:56
佐藤正美 @satou_masami

「人々は困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の智慧(ちえ)の一切がある事を悟るのである」──確かに、それを私は実感としてわかる。私は、35歳になるまで、それを実感したことはないし、そういう教えを くだらない人生訓(他人の後悔?)として見下げていました。

2019-09-28 17:45:21
佐藤正美 @satou_masami

私がそれを実感したのは、30歳代前半と40歳代前半のときです。今振り返れば、その ふたつの時点が私の人生の分岐点でした。私の30歳代前半は、RDB(リレーショナル・データベース)を日本に初めて導入する仕事をしていました。

2019-09-28 17:45:37
佐藤正美 @satou_masami

当時、私はMRPパッケージを日本に導入する仕事をしていたのですが、いくつかの偶然が重なって、MRPパッケージの導入普及を休止して、RDB の導入普及に従事することになりました。

2019-09-28 17:45:51
佐藤正美 @satou_masami

RDBをやることになって当初──私は、MRP をやりたかったので──仕事の意欲を喪失していました。当時、RDBは日本には先例のないプロダクトだったので、米国(テキサス州および ニュージャージ州)の開発会社 ADR 社で教育を受けることになって、たびたび渡米しました。

2019-09-28 17:46:06
佐藤正美 @satou_masami

いっぽうで、Eric Vesely 氏(PMSS 社、データ設計のコンサルタント)が数年に及んで私を指導してくれました。コッド関係モデルも彼から教わりました(その後で、E.F. コッド氏の論文を私は直接に読んだ次第です)。それらの指導を得て、私はRDBおよびデータ設計に興味を持ち始めた。

2019-09-28 17:46:20
佐藤正美 @satou_masami

当時(1980年代初頭)、RDBは「子どもの オモチャ」と揶揄されていました。私が勤めていた会社内でも、一部の人たちを除いて、ほとんどの人たちがRDBには懐疑的でした。そういう環境のなかで、私はリレーショナル・データベースが いずれ主流になると確信していました。

2019-09-28 17:46:37
佐藤正美 @satou_masami

日本で先例のないプロダクトを普及するためには工夫しなければならなかった。「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ」ようが、やり通すことしか頭になかった。

2019-09-28 17:46:51
佐藤正美 @satou_masami

私はRDB(および、データ設計)を普及するために、世間に向かって随分と挑戦的な(生意気な?)言いかたをしてきました。私が講師をしたセミナーのアンケートのなかには「若造(私のこと)が知ったかぶりして」というような非難もありました。今となっては、懐かしい思い出です。

2019-09-28 17:47:05
佐藤正美 @satou_masami

仕事上の転換点は40歳のときにコッド関係モデルを前提にして、データ設計を工夫する仕事に向かったことです。この仕事が今に至るまで私の主たる仕事になっています。喩えれば、その時に当てのない旅に出たということです。私の当時の才識を前提にして できるかどうかもわからない仕事に手を出した。

2019-09-28 17:47:19
佐藤正美 @satou_masami

当時、私には妻も子どもたちもいました。そのような状態のなかで私のこだわりのみで収入の保証がない仕事に向かった。「怖くなかったですか」と他の人たちに言われたけれど、当時の私はその道に進むことを怖いと思わなかったし、「やりたい」という一心だったように私は記憶しています。

2019-09-28 17:47:33
佐藤正美 @satou_masami

私は66歳です(初期高齢者です)。今も、モデル論(事業分析・データベース設計のためのモデル技術)を探求し仕事にしています。今振り返って、30歳代前半と40歳代前半は、私の人生の分岐点だった。

2019-09-28 17:47:47
佐藤正美 @satou_masami

おそらく、多くの人たちにとって、30歳代前半と40歳代前半は、その後の人生を決めることになるのではないかしら。

2019-09-28 17:48:01
佐藤正美 @satou_masami

読者が もしその年齢であれば、そして今まで一所懸命に仕事をしてきているなら、自分の直感を信じるようにしてください──勿論、今まで一所懸命にやってこないで夢を一足飛びに見ることは論外です。

2019-09-28 17:48:16
佐藤正美 @satou_masami

「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ、卑怯と言われ乍(なが)ら終いには勝つであろう」、工夫というのは専念していなければできないし、時の流れには断絶はないのだから。

2019-09-28 17:48:30