- germanist_tan
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【偉大なり、カール大帝!! 〜西ヨーロッパ大陸における文字の統一】 さて、本日はカール大帝(Karl der Große)についてのお話です。フランス語読みでシャルルマーニュ(Charlemagne)とも呼ばれます。 「よく聞く名前だけど、何やった人なのか?」と思われる方もいると思います。順次解説しますね pic.twitter.com/oPOO7ZuNS7
2019-10-13 14:11:35◯カール大帝って、何者なの?
・カール大帝の略歴 西ヨーロッパにかつてフランク王国という国が、ゲルマン人の一派であるフランク人により建てられました。 王朝はメロヴィング朝とカロリング朝の二つがあります。カール大帝はカロリング朝の創始者であるピピン3世の継承者です。
2019-10-13 14:11:36カール大帝はフランク王(在位:768年 - 814年)にしてローマ皇帝(在位:800年 - 814年)です。 46年の在位期間で53回もの外征を行い、東はザクセン、バイエルン、果てはスラブ人のいたパンノニア平原、西はイベリア半島、南はイタリア、北は北海のデーン人の領域の境まで領土を広げました。
2019-10-13 14:11:36これは現在のフランス、ドイツ、イタリアの三国のほぼ全領域をカバーしているため、カール大帝は「ヨーロッパの父」と呼ばれています。 尚、イベリア半島外征から引き上げる際に苦戦しており、この時の出来事をモチーフにして作られたのが古典フランス文学の『ローランの歌』です。
2019-10-13 14:11:37文字を統一したって、どう言うこと?
・カロリングルネッサンスと小文字の登場 さて、カール大帝治世下においては、聖職者による国家運営がなされており、大帝は領土だけでなく文化もかつてあったローマ帝国のものを継承することの重要性をわかっておりました。 彼はアルクィン(Alcuin)という者に王国内で流通する文字を作らせました。
2019-10-13 14:11:37この文字は現在の小文字の元となっており、カロリング体アルファベットと呼ばれています。フランク王国の東側を継承した神聖ローマ帝国(即ちドイツの元となった帝国)ではこの書体が使われていくことになります。 この書体はフラクトゥールという書体の普及により一時廃れますが、のちに復興します。
2019-10-13 14:11:38カール大帝は主な宮廷をドイツのアーヘンに置きましたが、この宮廷では古代のラテン文化の写本がこのカロリング体によってなされ、7000もの写本が後世に伝わっていくことになります。 こうした文芸復興の活動を、王朝名をとってカロリング・ルネッサンスと言います。
2019-10-13 14:11:38その後のヨーロッパにどう影響したの?
・没後の影響 カール大帝は生前の807年に、王国を息子たちにどう分割して継承させるか定めておきました。 しかし、長男と次男は父よりも早くに没してしまったため、814年に大帝が没すると、王国はやがて三男のルートヴィヒ1世の継承者により分割されます。
2019-10-13 14:11:39843年のヴェルダン条約により大まかな区画が、870年にメルセン条約により再区画が引かれ、王国は三つに分かれました。これが現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型です。 ヨーロッパというのは、このように統一と分裂を繰り返してきましたが、そこにある文化的伝統は常に残っているのです。〈了〉
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