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ヨーロッパにおける「○世」の数え方は、当事者と周囲も間違っている!?…かもしれないという話

受験生泣かせの頭痛の種。ヨーロッパの王の数え方「○世」。同じ名前ばかりでややこしい! そう思った人も多いはず(ですよね…?) じゃあ当のヨーロッパではちゃんと認識できてたのか? という話です。
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

理由① 当時には「1世、2世…」と数える序数が確立していなかったため。 英Wikipediaになってしまい申し訳ないのですが、王に序数を付けて区別するシステムが一般的になったのは中世後期から。 そのため、それ以前を統治していたエドワード王は「長兄王」「殉教王」「懺悔王」のあだ名で区別された。

2019-12-20 00:20:46
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

1239年、ヘンリー3世に息子が生まれたとき、彼はエドワード懺悔王にあやかってエドワードと命名された。 このエドワード王子は即位し、エドワード長脛王(在位1272-1307)となった。 pic.twitter.com/0NFoxfeUEo

2019-12-20 00:20:48
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

問題はそれ以降。続けて彼の息子王と孫王もエドワードだったのである。 そのために、序数を付けることにした。 そしてその際どこから数えるかという話になった。

2019-12-20 00:20:48
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

とここで理由② ノルマン=コンクェスト(ウィリアム征服王)以前の王朝、アングロ=ザクソン人の王たちは数えないことにした。 なぜならそれ以降にやってきた王家は、元はフランスのノルマンディー公だった家である。 ウィリアム征服王(1世)はノルマンディー公としてギョーム2世だった。

2019-12-20 00:20:49
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

つまりノルマンディー公では既に序数で区別がされており、ウィリアム征服王は息子ウィリアム赤顔王にイングランド王位を継承させた。そして両者はウィリアム1世と2世と区別された。 このノルマンディーの風習・環境に従い(エドワード長脛王の時代にはノルマンディーを失っていたが)→

2019-12-20 00:20:49
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

エドワード長脛王を1世という始点にして、以降のエドワード王を数えることにした。ということらしいです。 出典:reddit.com/r/AskHistorian…

2019-12-20 00:20:49
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ちなみに余談の余談ですが、日本では「後○○天皇」ありますよね? 後醍醐天皇とか、後小松天皇とか。 あれ、英語表記にした時に「Emperor Daigo II」→醍醐天皇2世と表記されることもあります… (Wikipediaでも併記されている) pic.twitter.com/DSUpjZcb7w

2019-12-17 21:58:04
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tomo.t @uturyo27182

Emperor Komatsu ii はいるのにiはいないので、この書き方はバグを起こす twitter.com/tomoshibi6o6o/…

2019-12-17 23:07:27
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

実際に後小松天皇の項目では「"Komatsu, the second", or as "Komatsu II."」ってあるんですよねぇ… twitter.com/uturyo27182/st… pic.twitter.com/EwCnzaZn6w

2019-12-17 23:09:47
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