dlit (2011) 「書評:鈴木孝夫・田中克彦 (2008) 『対論 言語学が輝いていた時代』 岩波書店」 #gengo #gengokai
それは「大言語学者」ですから! QT @nonomaru116: @dlit あの人言わなくていいところにすっげー偏見ばしばしな見解を差し挟む印象があります。高校のとき国語の教科書に彼の文章が載ってたんですが、そういう箇所を読んで「何故こいつを取り上げた」と思いましたw
2011-06-06 14:53:51「田中「…言語には完成というものがなく、絶え間ない生成の過程にある、というのがフンボルトの考え方なのです。このエネルゲイアをチョムスキーが使ったんですよ。生成文法の「生成」とはエネルゲイアのつもりらしい。」」(続く
2011-06-06 14:55:27続き)「しかしチョムスキーの使い方はずれているしちょっとずるい。チョムスキーの言語にはじつは生成も発展もない。変化すらないのだから。」鈴木孝夫・田中克彦『対論 言語学が輝いていた時代』p.190 /知らなかった。
2011-06-06 14:56:31『チョムスキー』という御著書が… QT @nonomaru116: @dlit ええとたなかっちゃんってチョムスキー読んだことあるんでしたっけ……?
2011-06-06 14:59:03@kenbou0422 どうなんですかねえ。わたしたちは食い尽くされた残りを食い荒らそうとしてるだけなのか
2011-06-06 16:19:38@dlit 東京に住んでいた頃に通年の講座受けておけば良かったと後悔しています 遠方に住んでいると通学出来ませんから 言い得て妙ですねw>東京言語研究所=宗教がかった団体
2011-06-06 16:35:46@hiralie632 @kzhr 基本的なカテゴリの記述はほぼ行なわれた段階を経て、つぎは現象間の相関や他言語との対照などやるべきことがまだまだある、と思うのですが、いかんせん複雑高度な段階なので新参の研究者にはとっつきにくく、また基本的な記述で分野から去る人もいる(続く)
2011-06-06 16:42:26@kzhr @hiralie632 ため、質の難易度と研究者の母数が反比例する=輝きのある研究成果が出にくい、のではないでしょうか。もちろん、各記述理論の内的な事情、日本語学をめぐる外的な状況の変化もあるでしょうが、主な理由はそこにあると思います。
2011-06-06 16:44:42「田中「…。新時代の学問は思想じゃなくて技術になっちゃった」鈴木「ある意味で日本の精神状況と似ているのかもしれない。」田中「よく似ている。だから、最近は人間の屑がやるのが言語学だとつくづく思う(笑)。自分の土壌を持っていないんだもの。」」『対論 言語学が輝いていた時代』p.203
2011-06-06 17:15:00鈴木孝夫ってすげー先生だと思うけど、専門は言語社会学であって、社会言語学ではないよね。たなかっちゃんは自称思想家といったところでしょうか。
2011-06-06 17:25:39@kenbou0422 @hiralie632 それはそうですねー > 高度化。まあそのぶん確立されているということであり,さわるものすべてがあたらしいということはないけれど,燃やすべき情熱はまだまだあるとか思ったりなんだり
2011-06-06 17:37:44[自分]これでこの本とはおさらば! / 今さら書評:鈴木孝夫・田中克彦(2008)『対論 言語学が輝いていた時代』 - 思索の海 http://htn.to/TsuMtB
2011-06-06 19:06:39