![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(『青蝉』吉川宏志)をめぐって
![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
その際リプをくれたフォロワーの多くは、この短歌のさよならを「関係を解消する」と解釈してくれました。実際、アンケートの結果もその割合が多くなっています。 しかし、別の機会にこの短歌を見てくれたある新しいフォロワーがこの短歌のさよならを「それぞれ自宅に帰る」と解釈してくれた事があり
2020-01-30 23:19:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
短歌に普段触れない方は短歌のことを「難しい」と評されます。わたしもアラフォーになるまで短歌にほとんど触れた事がなかったのでそれはよく分かるし、今でもやはり難しいなぁと思う事があります。
2020-01-30 23:19:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
ただ、ことわたしの短歌に関してだけ言えば、基本的に悪意さえなければどのように解釈してもらっても構わないと思っています。(もちろん、悪意がないものでもそれはちょっと違うなぁと思う場合もありますが、それはそれで) twitter.com/ka_to_ka_zu/st…
2020-01-30 23:19:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
わたしは恋歌が好きで、詠み手としては異性愛として詠んでいるけど、BLが好きな人にはBLとして、百合が好きな人には百合として読んでもらえたら嬉しいなぁと思って詠んでいる。作歌姿勢としてはあまり良くないのかもしれないけど。
2019-10-24 01:26:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
尚、余談ですがわたしのこの一連の主張は、誰かを批判したいとかそういう意味ではなく、単にわたしはこう考えていますよという表明に過ぎません。念の為。 それぞれが思うところを尊重しあえると良いなと思っています。
2020-01-30 23:19:24![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
なっなんと魚村さんが詩客の時評で花水木論争を取り上げてくださいました! 気づくのが遅くなりすみません…。なにが議論されたのか、そもそも短歌を読むとはどういうことか、まだまだ話は広がりそうです。 - 短歌時評152回「そこ」から花水木は見えてゐるか 魚村晋太郎 blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/…
2020-02-01 21:38:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@icebergs31 「投薬の前後」と「彼の回復」、「シナモンの量」と「アップルパイの美味しさ」には「前段の調整」が「後段の結果」に結びつく可能性の差がある。シナモンのほうが関係するからアンケート差が出る。「花水木の道の長さ」は調整不可能なので、そもそも因果関係を語れないはずで、そこで文学に分岐する。
2020-02-02 10:25:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
今更といふ感じですが、 土岐友浩さんのコラムに端を発した、吉川宏志さんの花水木のうたの読みについて、思つたことを書きました。 「「そこ」から花水木は見えてゐるか」 blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/…
2020-02-03 18:50:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
第二回笹井宏之賞を読んだ話 23rivers.blog.fc2.com/blog-entry-41.… 「どちらとも取れるのだからどちらにも取ればよい。言葉の多重性を楽しもうとしない者は、結局のところ短歌をリズム良き散文としか捉えていないのではないだろうか」という部分の論旨は分かるが、(続)
2020-02-05 11:15:15![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる」(永井祐)と「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(吉川宏志)の「多重性」を同列に語るのは乱暴では。
2020-02-05 11:15:37![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
[今日のうた] 花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった (吉川宏志、著者は彼女と二人で花水木の咲く並木道を歩く、ついに思い切って彼女に告白、花水木が愛を促し、決定的瞬間を生みだしたのだ。今年も我が家の近くの街路樹として咲き始めた、白が先で赤は少し遅い)
2020-04-12 07:33:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった (吉川宏志) 今年の1月ごろに読み方をめぐって議論が巻き起こっていた歌。実は解釈が二つあり、「愛を告げられた」と読む人と「愛を告げられなかった」と読む人の二通りにわかれていたのでした。私は後者でした。 106/366 #こんにち短歌
2020-04-15 19:44:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もしも二人で歩いた花水木の道がもっと長かったら、もっと短かったら、きっと想いを告げることはできなかっただろう。ちょうどいい長さの、あの花水木の道だったから、愛を告げることができた。 「愛を告げられた」と読む場合の解釈はこうでしょうか。
2020-04-15 19:46:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私が初見で「愛を告げられなかった」と読んだときの解釈はこうです。 二人で歩いた花水木の道。どうにか愛を告げようとしたけれど、ついに想いを口にすることはできなかった。きっとあれより長くても、短くても、どのみちこの気持ちを伝えることはできなかっただろう。
2020-04-15 19:49:04![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
私自身が「伝えられない想いが何より美しい」という価値観を持っているので、後者の「告げられなかった」で読み取っていました。 この歌についての下記のコラムもぜひお読みください。 sunagoya.com/jihyo/?p=1798
2020-04-15 19:51:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
連作の前後を読むとこの歌は「愛を告げられた」歌として作られたことが分かります。 もし「告げられなかった」という歌としてつくるなら「愛を」ではなく「愛は」にした方が伝わりやすい、ということは後になってから気づきました。
2020-04-15 19:55:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった (吉川宏志) この歌、「告げた」「告げなかった」で議論があり、僕は「告げた」派だったけれど。 いろんな人の解釈を見て、今思うのは 「短歌で自己肯定する」ということを 自然に受け止められるかどうか という違いだったのではないかと。
2020-04-16 03:56:18![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕は今、五十代半ばだけれど「社会人として」バブルの時代を体感できた最後の年代だったと思う。 高度成長期の高揚感、そこに乗りきれなかった人の哀しみ、そしてバブルの狂乱、 さらにそれが崩壊していく絶望、無力感、 その後の絶望や諦め、それらを自分のこととして体感できたかどうか。
2020-04-16 04:22:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
でも、その中で、僕らは 「それでも今、自分は生きているじゃないか」という自己肯定、 さらに「生き抜いてやる」という意地を持って生きてきた。 僕の年代より若い人たちは、そういう意識が希薄なのかも知れない。
2020-04-16 04:23:08![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分が社会人になった時、 言わば世間は瓦礫のような状態で、そしてそこから世の中が良くなる希望も持てなくて。 世界や自分に対して、どうしようもない無力感と焦燥感、怒りというものばかりの中で育って。
2020-04-16 04:24:17![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
世界や自分自身への不安や不満、自分はそのどこに立っているのかわからない。 自分自身を規定出来ない哀しみのようなもの。そういうものばかりで、とても自己肯定できる状況ではなかったのではないか。
2020-04-16 04:24:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
その中で歌われた短歌は、諦めや怒り、戸惑いなど、否定形や疑問形が主となって、何を肯定できるのかわからない。 そういう精神的なバックボーンからは、この歌を読んだときも、「できなかった」と否定形で捉えるのが自然だったのだろう。
2020-04-16 04:25:41![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そして、それが、僕らの世代や、僕らより上の世代の人達には、理解できなかった。 社会的体験、経験が決定的に違うから。 そんなことを、ぼんやり考えた、午前4時でした。
2020-04-16 04:26:27