科学者への信頼は失われたのか?科学者達の努力と疲弊
それなら完全に常識の範囲で、科学者は普通に同意するのではないでしょうか。分野によるかもしれませんが RT @J_Steman 主旨としてはあの後に「科学的態度と、それに基づく判断は異なる。その両者をも<専門家>に委ねようとした社会の側も、科学技術の専門知を利用することに失敗した」
2011-06-07 02:06:14そういう整理ができますね。「トランスサイエンスの問題なのに(正解が存在する場合の)サイエンスの問題であるかのように扱うこと」が批判対象の欠如モデルということになります。RT @kikumaco: @hirakawah ほぼトランスサイエンスの問題に限られると考えていいですか?
2011-06-07 02:07:52@hirakawah それなら、非常によくわかります。トランスサイエンスの問題をあたかも「科学で解決する」と思い込む科学者がいるなら、それはまずいんじゃないか、という意味なら、まったくその通りだと思います。それだとPUSを否定するわけではないと思うんだけど
2011-06-07 02:09:56(続)ただ、困ったことにサイエンスとトランスサイエンスの境界は固定的ではなく、かつての英国のように強い不信感が広がると、本来だったらサイエンスの知識提供で片付くことが、トランスサイエンス・モードに投げ込まれてしまう場合もあります。 @kikumaco
2011-06-07 02:11:09@kikumaco はい。僕の問題意識と批判としては、その「判断」の議題構築はメディア(より精密に焦点化する部分では「ジャーナリズム」の営為)こそが媒介を担わなければならないのに、メディアもオーディエンスも、そのことに無自覚だったのでは?ということです。
2011-06-07 02:11:50全面的な不信状態でなれば、知識提供と対話は、コミュニケーションの目的に応じて色々な割合の組み合わせで行えばいいのだと思います。RT @kikumaco: @hirakawah つまり、「足りない」というだけなら、たやすい… (cont) http://deck.ly/~UpXCw
2011-06-07 02:14:08極端な話、いちいち知識を説明して知ってもらうことより、色んな対話や協働を通じて信頼してもらい、ある種のお任せというか、「信託」してもらっちゃうというのもありえます。逆にきちんと正しい知識・情報を身に着けてもらうことが大事な場合は、それに専念すればいいわけです。 @kikumaco
2011-06-07 02:17:15@hirakawah 全面的に不信なら、科学者には匙を投げるという選択肢がありますが。「勝手にすればいいじゃん」と。たとえば、今でも、あまりにも極端に不信を語られたら、「じゃあ、自分で判断してください」と言いますね
2011-06-07 02:17:34逆に言うと、英国や他のEU諸国では、一回やそこらの対話や情報提供では全然足りないから、もう10年以上、あの手この手でいろんなことをやってるわけです。RT @kikumaco: @hirakawah 「全然足りない」となると、時間的な制約が問題になりますよね。何かを捨てて、何かを入
2011-06-07 02:20:07知識の裏づけを欠く信頼は脆弱だと思いますけどね。それはあまりやりたくないんじゃないかな RT @hirakawah: 極端な話、いちいち知識を説明して知ってもらうことより、色んな対話や協働を通じて信頼してもらい、ある種のお任せというか、「信託」してもらっちゃうというのもありえます
2011-06-07 02:20:23@hirakawah 知識や科学的思考の裏づけがない信頼は、なにかでつまづくと、すぐにトンデモみたいなのに転んでしまいそうですね
2011-06-07 02:21:52いや、たぶん古典近似が効く割合は、もっと少ない気もします。ケースバイケースではありますが。RT @kikumaco: @hirakawah その比喩なら、とりあえずは欠如モデルでよく、まずいことが出たら別モデルで精密に、という感じ。
2011-06-07 02:23:55たぶん腐るほどw RT @kikumaco: @hirakawah 原因が知識欠如「のみ」と考えている例なんて、本当にありますか?
2011-06-07 02:24:27欠如モデルは、原発とかGMとか、何らかの社会問題化した科学技術に関して際立って見えてきますが、そういうトンガった状況ではない普通の啓蒙活動する科学者の意識にも、もしその人の専門とするものが社会問題化したときには同じになる… (cont) http://deck.ly/~cy5q2
2011-06-07 02:27:00そうなると、世間からは「そんな役立たずな研究者たちにや配る税金はもっと減らしちゃおう」とい分けちゃいますよw RT @kikumaco: @hirakawah 全面的に不信なら、科学者には匙を投げるという選択肢があります… (cont) http://deck.ly/~VKmlp
2011-06-07 02:28:45@hirakawah それはしかたないんじゃない? 外国に行く手もあるし。そんなに信じてもらえない社会にいることを選択するかどうかですよねえ
2011-06-07 02:30:14@hirakawah しかし、そうすると、残るのはより「たちの悪い」科学者だけになりそうですね。それを社会は望むのかどうか。
2011-06-07 02:32:53まぁ、多少は知ってもらってたほうがいいでしょうね。RT @kikumaco: 知識の裏づけを欠く信頼は脆弱だと思いますけどね。それはあまりやりたくないんじゃないかな RT @hirakawah: 極端な話、いちいち知識を… (cont) http://deck.ly/~7sUiy
2011-06-07 02:34:22@hirakawah 「科学的に正しくないが世間が望む結果を出す科学者」というのはいくらでもありうるわけです。そういう人たちにお金を出せば、そういう人たちばかりになるんじゃないかな
2011-06-07 02:36:04その「多少」とはどのくらいか、が問題の焦点では? RT @hirakawah: まぁ、多少は知ってもらってたほうがいいでしょうね。RT @kikumaco: 知識の裏づけを欠く信頼は脆弱だと思いますけどね。それはあまりやりたくないんじゃないかな
2011-06-07 02:36:50ただ、一人一人全員が十分な知識を持つのは不可能(そもそも分野はたくさんある)なので、分野内の研究者やウォッチャー的なNGOなど、誰か得意な人がまずいことがないかウォッチすることが不可欠だと思います。RT @kikumac… (cont) http://deck.ly/~I7xFi
2011-06-07 02:37:11一人一人の研究者個人の選択としては、そうでしょうねえ。RT @kikumaco: @hirakawah それはしかたないんじゃない? 外国に行く手もあるし。そんなに信じてもらえない社会にいることを選択するかどうかですよねえ
2011-06-07 02:38:24@hirakawah その議論は、科学者の「善意」に依存している部分が大きいですよね。全面的な不信のもとでも、なお科学者はコミュニケーションの努力をするだろうと。なぜ。
2011-06-07 02:38:32@yagiyagiosaka 一方で、「科学の信頼は失われた」というテーゼと共に、次世代の科学者が凹んでもかえって解決は遠いわけで、そのあたりのアジり表現をもっと練っていくことが、個人的に今後の課題です。
2011-06-07 02:38:59