科学者への信頼は失われたのか?科学者達の努力と疲弊
(続)今引用したくだりの一番の問題は、「『市民とともに築く科学技術先進国』ということが重要だ」と言いつつ、「市民の科学技術リテラシーの向上運動をもっと強く押し進めるべきだということです」という結論しか出てこないイマジネーションの貧困というか膠着。
2011-06-07 01:30:01(続)これに対しウチの小林傳司氏曰く:「先ほど市民のリテラシーの話があって、どうしても一言申し上げたいと思います。第3期科学技術基本計画でもこういうことは既に書いてあるのですが、市民の科学リテラシーだけを強調するということであれば、第3期科学技術基本計画以前に後退してしまいます。
2011-06-07 01:31:51(続)「・・・世界の流れからいって、市民に科学リテラシーを与えるだけでは話にならないということは分かっているわけで、今言われているのはパブリックエンゲージメントです。言い方をもう少しはっきりさせますと、科学者コミュニティーの方の社会リテラシーを上げないと話にならないのです。」
2011-06-07 01:32:39まぁ、以上のは311より前のことだけれども、いまでもなお、えらい人たちの意識はあんまり変わってないんでないかというのが暗澹とするところ。
2011-06-07 01:33:46いま指摘してきた問題は、放射線問題に対する情報提供という次元より大きなところの問題なんです。RT @kikumaco: @hirakawah しかし、今、放射線に対していろいろな意味で過剰な反応があるのは、知識がないから… (cont) http://deck.ly/~fYAl9
2011-06-07 01:35:13んで、放射線問題に絞って見たとして、確かに放射線についての科学的な理解が足りなくて生じてる混乱は確かにありますし、それに対する処方箋は的確な知識や情報を提供することです。けれども同時に、市民が抱える不安は、政府や東電に対する不信感に根差してる部分も大きいです。@kikumaco
2011-06-07 01:38:03さらに不安、そてしその背後にある政府等に対する不信感には、政府は自分たちを守る気がないのではないか、将来病気になっても補償なんてしてくれないのではないか、そもそも低線量では科学的に証明できないというではないか、という、政治が答えなければならない不安もたくさんあります。
2011-06-07 01:40:28「それだけでは(全然)足りない」というのが英国政府やロイヤルソサエティが出した答えでもあります。RT @kikumaco: @hirakawah じゃあ、欠如モデルは役立たずではないですね。単にそれだけでは足りないということですよね
2011-06-07 01:41:12@hirakawah 「欠如モデルは古い」という主張は「欠如モデルを捨て去るべし」という主張かどうかにずっと興味があります。僕は使い分けている。ものごとは複雑だから、古いモデルも役に立つことがある
2011-06-07 01:41:25@hirakawah 「全然」とはどの程度なのか。基本的な知識を伝えることは当然必要で、それに加えて、ということなら、単に「やることを増やせば解決する」という話になりますよね。では、減らしていいものは何か
2011-06-07 01:42:41@hirakawah つまり、「足りない」というだけなら、たやすいわけです。「これまで知識を伝えてきたが、それだけでは足りないから、それに加えて双方向の議論もしよう」なのか。しかし、時間には限りがあるから、「知識を与える時間」を削るわけですよね
2011-06-07 01:45:10@hirakawah 「全然足りない」となると、時間的な制約が問題になりますよね。何かを捨てて、何かを入れる。では、何を捨てるのか
2011-06-07 01:47:08まぁ相対論/量子論に対する古典力学みたいなもんですね。RT @kikumaco: @hirakawah 「欠如モデルは古い」という主張は「欠如モデルを捨て去るべし」という主張かどうかにずっと興味があります。僕は使い分けている。ものごとは複雑だから、古いモデルも役に立つことがある
2011-06-07 01:50:47@hirakawah その比喩なら、とりあえずは欠如モデルでよく、まずいことが出たら別モデルで精密に、という感じ。
2011-06-07 01:52:35ついでにいうと、単に「科学知識の欠如は不安・反対の原因になる(原因は他にもありうるが、科学知識の欠如もその一つ)」という当たり前のことならば、あえて批判対象としての「欠如モデル」とは言いません。批判対象となるのは原因が知識欠如「のみ」だと考える場合です。 @kikumaco
2011-06-07 01:55:17@J_Steman 「科学者」という一枚岩のような集団を想定する時点で、現場の科学者は「違うじゃん」って言うと思うんだけどなあ
2011-06-07 01:55:29つまり、たとえば原発を不安に思い反対するのには知識以外の様々な理由があるのに、それを知識の欠如のみの問題と考え、「正しい知識をご理解ください」とPA(public acceptance)に明け暮れるというパターンが、欠如モデルとして批判されてきたものです。 @kikumaco
2011-06-07 01:58:30@hirakawah それが「欠如モデル」なら、普通の科学者の「啓蒙活動」はそれほど欠如モデル的ではないですね。すると、欠如モデルというのはかなり例外的なのではありませんか
2011-06-07 02:01:12英国の政府と科学界がBSE以降、90年代後半に遺伝子組換え作物で直面したのは、たとえ正しいことを言っても、「正しいことを言っている」と信じてもらえないという、「知識の提供」がまさに全然通用しなくなった事態です。RT @kikumaco: 「全然」とはどの程度なのか。
2011-06-07 02:03:01@kikumaco えぇと、つぶやきは はしょりすぎましたが、主旨としてはあの後に「科学的態度と、それに基づく判断は異なる。その両者をも<専門家>に委ねようとした社会の側も、科学技術の専門知を利用することに失敗した」という指摘がセットになってます。
2011-06-07 02:04:12