精神科医から僧侶へ。斉藤大法師が語る「苦悩」とは何か?

精神科医から僧侶となった斎藤大法師が経験した人生と仏道。そして、それを通して知った、ひとが苦しみ、悲しみ、苦悩し、絶望するということとは何なのか?
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斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

おっと、気が付くともうこんな時間。続きはまた今度にしましょう。合掌

2020-01-25 18:26:15
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

希望と苦しみ。いや、先の見えない苦しみの中では、ひとは絶望するしかないと思うかもしれません。人生に何の価値も見いだせず、気力も出ず、何をする力も湧いてこないと感じるでしょう。しかし、悩み、苦しむことは、実は、すでに希望への歩みが始まっていることを意味します。

2020-01-26 01:39:13
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

「七転び八起き」、私の大好きな言葉です。twitter.com/h_ototake/stat…

2020-01-26 01:47:57
乙武洋匡 @h_ototake

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2019-11-06 09:34:02
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

私が取り上げるまでもないほど著名な精神科医の、ビクトール・フランクルは「生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない」と述べ、苦悩することは、人間の大切な「能力」だと指摘しています。

2020-01-26 02:01:55
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

仏教関係者には、ビクトール・フランクルの指摘に注目する人が大勢います。フランクル同様、過酷な戦争体験、原爆による故郷と両親の喪失を体験した仏教学者の紀野一義師は、フランクルと法華経の共通性に注目しました。法華経は「現実の世界を肯定し、肯定し、絶対的に肯定する生き方」を説くと。

2020-01-26 02:16:35
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

すっかり夜も更けました。最後に再び紀野一義師による、『法華経』如来寿量品の一節「常に悲感を懐き、心ついに醒悟(しょうご)す」につてのお話を紹介しましょう(続く)。

2020-01-26 02:38:32
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

紀野一義師曰く『法華経』如来寿量品の「常に悲感を懐き、心ついに醒悟(しょうご)す」とは、人間はいつどんな悲しみに落ちるかわからないが、その悲しみを愚痴にして流したりせず、じっと胸の底に抱いていると、その悲しみによってついには心が醒め、澄んだ、安らかな境地に到達することができる。

2020-01-26 02:42:43
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

ある人と話し、自分の人生を反芻する中で、眠れぬままに「苦悩」について考え、とめどもなく筆を進めました。どうか「苦悩」を肯定して下さい。多くの先人も悩み、恐れおののきました。お釈迦様でも。そして、その苦悩の先にこそ、真の希望と呼べるものがあるということを「発見」されたのです。

2020-01-26 02:48:31
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

諸富祥彦(もろとみよしひこ)先生が書かれた、フランクルの思想をまとめたテキストに「自分の人生には、どんな意味が与えられており、どんな使命が課せられているのか。それを発見し、実現するよう日々を全力で生きていくこと、ただそれだけであり、何もおみ悩む必要はないとの 一節があります。

2020-01-26 21:00:47
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

実は奇しくも、お釈迦様も、フランクルと同じことを述べているのです。

2020-01-26 21:02:49
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

私が医師から僧侶になると決めてから、僧侶の資格を得るのに二年を要しましたが、疑問を抱いたり、くじけそうになったこともあり。才能がないのでは?と思ったり、皆さんと同じに悩みは尽きることはありませんでした。まぁ、それの点は今も大して変わりません(続く)。

2020-01-26 22:13:03
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

現代の日本では、僧侶といえば葬式坊主、宗教というだけで敬遠され、むしろ私が欲したような社会的な問題に関わる道が閉ざされ、折角の内容をいかすことが出来ないのが現状です。ですからやはり医師の方が、社会貢献しやすいのでは?と、僧侶の修業を始めてからも何度も悩みました(続く)。

2020-01-26 22:14:31
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

私が、とある尼僧のお寺で経験した唱題修行に出会う前は、別に強い信念を持っていたわけではなく、何の軸もないまま、揺れ動き迷い続ける弱い人間でした。実は今の私も、人間そのものが大変化を遂げたのではありません。同じ人間が、軸を持ちながら歩みだした、と言った方が正確かと思います。

2020-01-26 22:18:26
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

祈り(瞑想)とは、ひたすら「ほんとうの自分自身」または「真実の理法にそった自分」になろうとするアプローチなので、自分が本来持つ心身の機能を回復することによって健全な状態へと向かってゆくのです(続く)。

2020-01-26 22:20:48
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

(承前)ここでは、もはや「トラウマを解放する」という意図的行為すら必要はありません。健全さとその機能が回復する、その結果として自然に「解放されてゆく」という方法だからです。

2020-01-26 22:22:17
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

「ほんとうの自分自身」、「真実の理法にそった自分」になろうとする祈り(瞑想)は、潜在意識の深い領域にアプローチすることができる、より深い根本療法だと言えましょう(続く)。

2020-01-26 22:24:31
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

(承前)これは、トラウマなどに苦悩する人にとって取り組み易く効果的であり、しかもただ症状から解放されるだけでなく、人生の智慧(ちえ)を獲得してゆくという利点もあわせもっています。

2020-01-26 22:25:17
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

従来、「カウンセリング」などのいわゆる心理療法と、「祈り(瞑想)」とは、別のものと考えられてきました。祈りには、何か古臭い、前近代的なあるいは非科学的なイメージがあったように思います(続く)。

2020-01-26 22:28:30
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

しかし、「カウンセリング」等の心理療法と「祈り(瞑想)」とは、別々のものではなく連続したものなのです。実は、 祈りとは、いわゆる心理療法がとどきにくい、心のさらに深いところのトラウマや不安感、鬱(うつ)の根本に到達し、解決することのできる、すぐれた療法なのです。

2020-01-26 22:31:38
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

仏教の智慧や、祈り(瞑想)には、外から与えるだけでなく、自分自身の内から深い癒しと、生命力を湧きあがらせる力があるのです。

2020-01-26 22:48:06
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

①理論的に説明し難いもの ②非物質的なこと ③やってみてもその先でどんな結果が出るかよく分からないもの 以上のようなものを信じるというのは、現代人にとっては、とても難しいことになってしまいました。まさに、良くも悪くも現代教育の成果でもあります(続く)

2020-01-26 23:35:58
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

それでは、何を信ずるか? 仏法 南無妙法蓮華経。 はじめは、これをただ唱えるだけで、この自分(の状態)が変わるのだろうか? と思うに違いありません(続く)。

2020-01-26 23:37:25
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

しかし良く信じ通し、実践することによって、その功徳が、大きく開いてくるのです。『華厳経』という経典には、「信は道の元、功徳の母なり」とあります。合掌

2020-01-26 23:39:12
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

過酷な強制収容所体験を通して、ビクトール・フランクルは、苦悩を超越する上では、何のために苦悩するのかが重要で、それは、自分の目的ではなく、「何かのため、誰かのため」に苦悩するときだと述べます。そうすることで苦悩は意味を持ち、自分の生きる力にもなったと述べています。

2020-01-27 01:01:46
斉藤大法(僧侶・精神科医) @whidaiho

紀野一義師は、フランクルを引用して「菩薩」に言及します。それは、世の中の大ぜいの人たちから痛切に求められている人、無明の闇に閉ざされた人々が光明を与えてくれると渇望している人だと。そしてそういう菩薩はこの世の至る所にいると『法華経』は私たちを励ましているように思うと述べています。

2020-01-27 01:12:52