精神科医から僧侶へ。斉藤大法師が語る「苦悩」とは何か?
- Fukujinken
- 2532
- 9
- 1
- 0
人がの望むことは、いろいろです。いや、果てしないというべきかもしれません。また他人と自分、理想と現実の自分を比べることも多い。人の能力や境遇は、当然ながら異なります(続く)。
2020-01-27 01:20:54理想が何であれ、人は、一所懸命に、いまを生きること以上のことは、出来ないのです。人生は、それ以上ではなく、だからそれで良いと思います(続く)。
2020-01-27 01:21:29青少年の頃の私は、長い難病のために打ちひしがれ勉強も運動もままならなかった。もし誰か健康で能力のある人と同じにできないから、自分はダメなのだと考えていたら、おそらく私は、もう生き続けることはできなかったでしょう(続く)。
2020-01-27 01:24:10貴重な出会いを通して得られた「一所懸命に生きれば、それで良い」という信念は、難病との闘いに疲弊していた私に、生きる勇気と力を生み出してくれました。ところが、いま、自分自身を肯定できない人や場合が、何と多いことか?(続く)
2020-01-27 01:26:11一所懸命に生きること、そこに自己肯定の軸を置けなかったなら、信じられるものなどなく、ついに幸せに至ることもないと、私には思えてなりません。肯定できる生き方をしましょう。
2020-01-27 01:29:08不安が続くと、人は「苦しみ捜し」を始めてしまいます。そして、不安が不安を呼び、ついに苦悩のループから抜け出せなくなりまする。「そんな馬鹿な?」と思うかも知れないが、不安を取り除こうと思うあまり、心が常にそこにとらわれてしまうのです(続く)。
2020-01-27 03:31:41苦悩のループに陥らずに、「幸せに向かって前向きに生きよう」とする、本来の心の機能を回復しなければなりません。心が、闇の中で手探りの状態だからこそ、不安や迷いが、次から次へと生じてしまうのです。心の視界の明瞭さを取り戻すなら、その結果として不安は、次第に止んでゆきます。
2020-01-27 03:35:25ありのままの自分を認めず、こしらえもののお利口さんの自分を演じるならば、苦しみが生じます。あまりにお利口さんを演じ続けた人は、ついに「ありのまま」がみえなくなる。そして、マグマのように溜まったストレスが、やがて爆発します。精神的、肉体的な不調となって・・・・・(続く)。
2020-01-27 03:38:24大切なことは、「ありのまま」を認めることです。 「いや、違う!」、そう言われて出来るくらいならそもそも苦労はしない。ありのままを認める生き方をしてこなかった習慣があるから。そのような心のしこりが、取り去られた時、ありのままを認められるような自分が顕れます。
2020-01-27 03:41:08お釈迦様は言います。自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得ると(続く)。
2020-01-27 03:44:24(承前)だからこそ、トラウマや不安、恐怖、怨みから解放された自己を確立しなければならない。そうでなければ、いつまでも他人の価値基準に振り回される、不安ばかりの、苦悩に満ちた人生にならざるを得ない。
2020-01-27 03:45:43NHKの番組で、ビクトール・フランクルを紹介された諸富祥彦(もろとみよしひこ)先生が書かれた番組テキストの序文に面白いことが書いてありました(続く)。
2020-01-28 00:42:08「私たちが生きているこの時代は、(アウシュビッツのような)収容所とはもちろん違った形ではあるけれども、生きる意味と希望を見出すのが困難になっているという意味では、現代を生きる私たちも「見えない収容所」の中にとらえられて生きている」諸富祥彦『フランクル『夜と霧』 (100分 de 名著)』
2020-01-28 00:46:13諸富祥彦先生が、現代人も「見えない収容所」の中にとらえられて生きている」と表現したことを「面白い」といったのは語弊がありました。苦悩する人にとって地獄であることには変わりがありません。私も、難病で床に臥せっていた青少年時代に「死にたい」という言葉が何度脳裏をかすめたことか。
2020-01-28 00:50:43(承前)現代の「見えない収容所」、まさにそうです。青少年期の私は、難病の中希望を失い、心は荒れ果てて、健康な人を妬み、家族、特に弟に当り散らす毎日を送っていたのです。その結果、私だけではなく、周囲の人々をも苦しめていた。ただ、それでも家族は、だまって耐え、私を見守ってくれました。
2020-01-28 00:56:11私は、仏道との出会いを通じて、人生の意味と希望を見出し、「みえない収容所」を打ち払うことができました。ただその方法は、私が作り上げたものではなく、すでに仏様がはるか昔に苦悩の中で見出し、私たちに示していたものなのです。魔法ではありません。忘れているだけで、誰もが持つ能力なのです。
2020-01-28 01:03:08人から嫌なことを言われたり、やられたりすると、恐怖、怒り、怨みの感情が湧きます。それを何らかの方法で処理ができないと、内に溜めこまれ、ストレスの塊となって身体や心の不調を引き起こします(続く)。
2020-01-28 03:35:54恐怖や怒り、怨みの感情が無闇に外に発せられれば、人間関係はぎくしゃくし、ついには怨み返しの連鎖が起こる。関係が破綻することによって恐ろしい事態すら発生することは、昨今のニュースが報じる陰惨な事件を見れば明らかです(続く)。
2020-01-28 03:39:04『ダンマパダ(法句経)』にはこうあります。 「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息む(やむ)ことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」と、 いかに怨みを捨てて平安と愛と智慧によって処するのか?これこそ、真の課題なのです。
2020-01-28 03:44:26ある人は、怨みを捨てることをイメージすれば良いと言い、ある人は相手への慈悲をイメージすることを勧める。 わたしの経験では、怨みを捨てようと思って、捨てられたためしなどありません。だから苦しみ、だからこそ諍いはなくならない(続く)。
2020-01-28 03:49:22しかし、やはり、それはできるのです。真に命を懸けて唱える時であり、やがてその心が深まりながらたもたれるようになる。
2020-01-28 03:50:12『フランクル『夜と霧』 (100分 de 名著)』の番組テキストの中で諸富祥彦先生が、フランクルと同様に人生の意味と、それに伴う悩みについて、米国の心理学者マズローが述べた内容を紹介されています(続く)。
2020-01-28 13:30:05マズローによると、人生の意味についての悩みあ、「高欠病」の一つの表れになるといいます。これは、精神が高いレベルに達した人間が、さらなる心の成長へ向かい始めた時、繰り返しや日々の変化のなさ、達成感のなさに空虚感を懐き、人生に対する理由なき疑問に駆られて起こるものとされます(続く)。
2020-01-28 13:35:11マズローのいう「高欠病」は、高い精神性がその人に備わり始めている時だからこそ、現状の生活についての焦りのようなものを誘発し、得体のしれない不安や苦悩を生み出すとされます(続く)。
2020-01-28 13:37:49(承前)だから、苦悩とは、ただ否定的に無用のものと片づけてしまわないでほしいと諸富先生も、テキストの中に書かれています。もしかしたら、その否定的な感情や気分は、さらなる成長に向けた大きな一歩を、すでに踏み出しているのかもしれないと。
2020-01-28 13:43:10