渡邊教授(ynabe39)の「障害についてのやりとり」6/10~11

先生ごめんなさい、まとめちゃいました。内容は重いです。 身体的健常者がいくら障害を持った方の心情を理解しようとしても、あくまで想像でしかなく第三者なんですよね・・・ ちょっと追加・修正しました。
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kz1970 @kazuki2605

@ynabe39 当事者が判断する能力に障害がある場合、第三者が不幸だと決め付けてなんか意味があるんですか。

2011-06-11 06:09:27
渡邊芳之 @ynabe39

不幸でない、幸福だと決めつけることも同様です。RT @kazuki2605: 当事者が判断する能力に障害がある場合、第三者が不幸だと決め付けてなんか意味があるんですか。

2011-06-11 06:15:12
渡邊芳之 @ynabe39

障害の有無とは関係なく、誰かが誰かを不幸だと言うことには強い抵抗があるのに、誰かを幸福だと決めつけることにはあまり抵抗がないことはよく考えると不思議だ。

2011-06-11 06:17:34
ISUTAAKO @okanekoatusi

@ynabe39 重い脳性まひがあっても大事にされて一生を送った女性が遠縁にいます。私の妻は母親に育児放棄されて育ちました。本人が感じる幸不幸と、周囲が認める幸不幸。重なる場合と重ならない場合。じゃ幸福って普通に育てられたら…。その普通って…。誰の不幸?。

2011-06-11 06:16:37
渡邊芳之 @ynabe39

@ramantya 脳性麻痺があること、育児放棄されることはそれぞれ自体では「不幸」ですよね。でもその人の人生全体が幸福なのか不幸なのかは「わからない」。

2011-06-11 06:20:11
ISUTAAKO @okanekoatusi

@ynabe39 「わからない」は違うと思う。誰かがそれを決めつけたら、それは傲慢の始まりだと思います。そういう意味では「分からない」は正解か。

2011-06-11 06:22:52
渡邊芳之 @ynabe39

私は自閉症の息子が幸福なのか不幸なのかわかりません。これから将来も息子が自分でそれを判断して私に述べてくれるかはわかりません。 @ramantya:

2011-06-11 06:27:41
YAMAKOUBOU・丸山孝弘 @yamakoubou

@ynabe39 ;子供のときの貧困や親の虐待に抗えるすべを持たない。障害者の方々のハンデは一生続くものです。その現実対応はその障害状態から出発をせざるを得ません。その日常の負を突き詰めて何を言いたいのでしょう。不自由の中から生きている。生活のリズムの改善の日々です。親は他人だ。

2011-06-11 06:25:00
渡邊芳之 @ynabe39

親が他人であるなら、あなたは誰ですか? RT @yamakoubou: …その日常の負を突き詰めて何を言いたいのでしょう。不自由の中から生きている。生活のリズムの改善の日々です。親は他人だ。

2011-06-11 06:29:14
(´◔‿ゝ◔`) @tenpaku758

http://bit.ly/mnvQF8 ←私の兄の小さい頃の絵です。 RT @ynabe39: 「障害が不幸かどうかは本人が決めることだ」と言えるのは、自分が幸福か不幸かと言ったことを考え、それを言語を通じて表現することができる人だ。その能力に障害がある場合にはどうだろう。

2011-06-11 06:29:15
ぼん @shouske

@ynabe39「 障害があるから幸福」ではないけど障害があるから幸福について深く考えられるし気がつくことも多い。発達障害の子供を持たなければ今とは違う自分がいたと思う。

2011-06-11 06:28:33
渡邊芳之 @ynabe39

@shouske 私も同じです。しかしそのことと「障害が不幸ではない」ことは違うと思います。

2011-06-11 06:32:19
キレンジャー @kirenger3

私の子どもはダウン症ですが、もし一生のうちに一度でも「自分は幸福だ」と言ってくれたら、それだけで私はもう一生分幸福だと思います。@ynabe39: 私は自閉症の息子が幸福なのか不幸なのかわかりません。これから将来も息子が自分でそれを判断して私に述べてくれるかはわかりません。

2011-06-11 06:32:24
渡邊芳之 @ynabe39

もし言ってくれなかったら、私たち親はそれについてどう考えたらいいのでしょうね。 RT @wkvoyager: 私の子どもはダウン症ですが、もし一生のうちに一度でも「自分は幸福だ」と言ってくれたら、それだけで私はもう一生分幸福だと思います。

2011-06-11 06:34:02
@namunamu3

@ynabe39 私も、自分の子どもに「発達障害があって良かった」とか、「障害も個性の一つ」とか全然思いません。現在、うちの子どもは就学前の年齢ですが、「まあ、ニコニコして保育園に通ってるから、今の所は良いか」と思っています。でもその事が、「幸福である」事とは別だと思っています。

2011-06-11 06:34:07
ISUTAAKO @okanekoatusi

@ynabe39 先生。子供と言うのはたとえ障害があっても、いつか親から離れていくと思います。それは時間的空間的に必然です。もしかしてその先の心配ですか。そこまで心配されたら息子さんは自分の人生を生きていくのに重いかも知れない。親心でしょうが。私は子供がいません。

2011-06-11 06:33:34
渡邊芳之 @ynabe39

それ以前に、私たちは子より先に死ぬのです。 RT @ramantya: 先生。子供と言うのはたとえ障害があっても、いつか親から離れていくと思います。それは時間的空間的に必然です。もしかしてその先の心配ですか。そこまで心配されたら息子さんは自分の人生を生きていくのに重いかも知れない

2011-06-11 06:36:32
ぼん @shouske

@ynabe39 きっと障害で苦しんで受け入れるまで「不幸」を味わうんですけど、その後に全く違う形の幸せに気がつくんだと思います。私の場合はそうでした。

2011-06-11 06:35:40
渡邊芳之 @ynabe39

でも「そうやって幸せに気づかなければいけない」わけではないですよね。 RT @shouske: きっと障害で苦しんで受け入れるまで「不幸」を味わうんですけど、その後に全く違う形の幸せに気がつくんだと思います。私の場合はそうでした。

2011-06-11 06:37:46
ISUTAAKO @okanekoatusi

@ynabe39 私はそのことを指摘しているのです。死んでからまだ親でありたいと言うのは、欲だと言っては失礼でしょうか。

2011-06-11 06:38:14
渡邊芳之 @ynabe39

そんなことは求めてもできないことです。 RT @ramantya: 私はそのことを指摘しているのです。死んでからまだ親でありたいと言うのは、欲だと言っては失礼でしょうか。

2011-06-11 06:39:04
渡邊芳之 @ynabe39

むしろ逆に「障害が不幸であれば障害を持つ人の人生も不幸である」と決めつけているから「障害は不幸でない」とか「障害も個性である」といったレトリックが必要になる のではないか。

2011-06-11 06:41:57
ぼん @shouske

@ynabe39 「そうやって幸せに気づかなければいけない」ではより苦しくなってしまうでしょうね。気がつく時が来るかもしれないしそうじゃないかもしれない

2011-06-11 06:41:26
渡邊芳之 @ynabe39

@shouske 私が昨日からずっと言っているのはそのことです。「障害があっても幸せだ」と言えと強制されているのではないか。

2011-06-11 06:43:23
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