科学は何でも屋であるべきなのだろうか?
@yutakioka 勝手な思い付きですがエヴァに影響されてるのもあるかも知れませんね「科学万能の時代」とか「科学バンザイ」的な。
2011-06-12 00:23:38「関西人は、みんな阪神ファンである(べきだ)。」と同じダネ! RT @yutakioka 具体例を挙げれば、「女性の中には男性よりも仕事ができる人がいる」、ということが、故に「女性は皆、男性よりも仕事ができるべきだ」とならないのと同じ。
2011-06-12 00:24:19そうですね。この辺は別の機会にでもお話ししたいですね。 RT @seigen_e 「直観」になってくると哲学というより、「宗教体験」や「行」をどう捉えるかという話になりますね。宗教においては不可分の問題なんですけど、客観視しにくいとこ…。
2011-06-12 00:24:56まさにw。オリックスファンに怒られますw。RT @yayyaydan 「関西人は、みんな阪神ファンである(べきだ)。」と同じダネ!
2011-06-12 00:25:37「エヴァの影響」は確かに定かではありませんが、一般的にいってメデイアの作る価値観が個人に大きな影響を当てるのは事実ですね。 RT @StudioLoversbox 勝手な思い付きですがエヴァに影響されてるのもあるかも知れませんね「科学万能の時代」とか「科学バンザイ」的な。
2011-06-12 00:26:55@yutakioka 結局は「答えのある問題~」のところと同じになりますが,学校教育で問題集を解くことだけでなく,発見の歴史をたどらない(というかたどる余裕がない)ところに問題あると思います。
2011-06-12 00:27:24たしかに。科学が如何に作られてきたかは学校では教えられませんよね。RT @rinsan_t 結局は「答えのある問題~」のところと同じになりますが,学校教育で問題集を解くことだけでなく,発見の歴史をたどらない(というかたどる余裕がない)ところに問題あると思います。
2011-06-12 00:28:41たしかにいわゆる自然科学だけを科学と思っている人も多いのかもしれない。例えばCSは完全に科学の条件を満たしているし、むしろ自然科学よりも客観性が高いのだが、あまり科学と認識されていないような印象すらある。むしろ日本では独立した学部・学科になってなかったりする気がする。
2011-06-12 00:43:43科学理論は常にXという条件のもとで、という制限がついている。そしてこのXがより緩い条件であればあるほど一般性の高い優れた理論といえる。アインシュタインの理論がニュートンの理論よりも優れてる理由はこのXをより緩い地球内という限定を外しても法則が成立するからである。
2011-06-12 00:48:03RT @yutakioka 科学理論は常にXという条件のもとで、という制限がついてる。そしてこのXがより緩い条件であればあるほど一般性の高い優れた理論といえる。アインシュタインの理論がニュートンの理論よりも優れてる理由はこのXをより緩い地球内という限定を外しても法則が成立するから
2011-06-12 00:51:08それで、ではなぜより一般性の高い理論が優れているといえるのか?と言われたら、それは価値判断で科学の伝統だからということ。他にもいくつかの暗黙の了解があるのだが、これらの慣習にしたってその源泉はイオニア学派・ガリレイ以来続く伝統故。
2011-06-12 00:51:39.@yutakioka 現代的に解釈するならルール数が計算量につながるからでないですかね。表現力と計算量のトレードオフのバランスが優れたものが生き残ると。
2011-06-12 00:55:41だから私はクーンやローテイが主張するように科学的伝統という言語ゲームの内部においてのみ正しさの基準が機能するという考えに全く反対しようとは思わないし、もしかしたら今とは違う伝統に立つ科学も可能であったかもしれない。
2011-06-12 00:55:50.@yutakioka ニュートン力学とかは表現力が限られてても構わない課題については計算量の少ない良い近似として今でも生き残っている。
2011-06-12 00:58:11しかし現実は今日のイオニア学派ーガリレイの伝統に基ずく科学が他の「科学」の伝統を淘汰してしまったということ。なぜか?それは進化の理論で説明できる。
2011-06-12 00:58:26たしかに、そういえそうな気はします。RT @ChihiroShiiji 現代的に解釈するならルール数が計算量につながるからでないですかね。表現力と計算量のトレードオフのバランスが優れたものが生き残ると。
2011-06-12 01:02:27.@yutakioka 楕円軌道が入る前、円軌道で考えられていたころの地動説よりは天動説の方が惑星や衛星の挙動の予測精度は良かったけれど、複雑さ(=計算量)は凄まじかったという話を読んだことがあります。地動説の魅力は複雑さ=計算量が小さいのに同等の予測が可能な表現力が鍵だったと。
2011-06-12 01:03:54時代超越的にどの理論に価値を置くかを決定するのが伝統なわけで、ポパーも示していますが、いくつかの基準に沿って優劣は決められます。 RT @Ririkotani 同じ時代(科学的背景)に作られた二つの理論について、より一般性の高い理論をより高評価したいという文脈はわかりますが。
2011-06-12 01:06:27なるほど。たしかに、同程度の予測精度の場合により複雑でない理論に価値を置いているのも今日の科学の伝統ですからね。RT @ChihiroShiiji 地動説の魅力は複雑さ=計算量が小さいのに同等の予測が可能な表現力が鍵だったと。
2011-06-12 01:08:30時代超越的にどの理論に価値を置くのは不可能ではないか?との指摘がありましたが、それは可能です。それを可能にするのが伝統なわけで、ポパーは具体的に優劣を定める為の条件を挙げています。だから、アインシュタインの理論がアリストテレスの理論よりも優れていると時代背景に関係なく決定できる。
2011-06-12 01:10:57時代が違えば理論の優劣比較が不可能というのは過度な相対主義。社会的価値ならそうとも言えるが、科学の価値に関してはそうとはいえない。科学的価値と社会的価値が立脚している論拠は異なる。前者は科学的伝統、後者は多数決、あるいは自生的秩序。科学理論の真偽はいつでも変わりうるが伝統は普遍。
2011-06-12 01:13:33.@yutakioka PCのある現代では計算量はある程度身近な金額で金銭換算さえできますからね。複雑さは科学に限らず現実的で目に見える価値基準になってきていると思います。
2011-06-12 01:14:52しかも場合によってはかなり巨額な金額に換算されますよね。インターネットの効用などそうでしょうね。RT @ChihiroShiiji PCのある現代では計算量はある程度身近な金額で金銭換算さえできますからね。複雑さは科学に限らず現実的で目に見える価値基準になってきていると思います。
2011-06-12 01:16:22