「分かれ道」 ジュディス・バトラー

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GMBO2008 @GMBO2008

事実、私が〈他者〉に対して引き受けなければならない責任は、その〈他者〉によって迫害され非道な仕打ちをうけたことから直接に生まれている。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:53
GMBO2008 @GMBO2008

レヴィナスはラビ教義の格言を引用するーー「世界はモーセとアロンの徳をとおしてのみ存続している。言葉「我らは無だ」〔あるいは「我らとは何か」〕の価値は彼らから生まれた」。最後の二文は、なんらかのかたちで同等であると理解される。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:22:20
GMBO2008 @GMBO2008

私たちは無である、そのため私たちは自分たちが何であるのかと問う。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:22:21
GMBO2008 @GMBO2008

私たちは自分たちが何であるのかを問い、そこで知るのは、私たちが無であること、その問いには答えがないこと、みずからについてこのように問う「私たち」を規定するか、解決すべく到来する実体というものはないということである。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:22:22
GMBO2008 @GMBO2008

あたかも、私たちが一時的な存在で、塵と灰であり、うつろいやすいかのように、いやまさにそうであるがゆえに、私たちは命を守らなければならない。命は消滅するものである。だからこそ命が消えないよう私たちは戦わねばならない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:34:20
GMBO2008 @GMBO2008

この消滅可能性という素地のもとに責務が発生するが、それは殺人的な攻撃性でもなければ、いかなるかたちのニヒリズムでもない。私たちは、この消滅可能性との関係において無自覚ではありえない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:34:21
GMBO2008 @GMBO2008

なにしろ私たちは消滅可能性について、それに配慮せよという命令をとおして知ることになるからであり、この配慮は、自分たち自身のためのものではなく、他者のためのものなのだから。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-19 22:34:21
GMBO2008 @GMBO2008

タルムードがレヴィナスを導くのは、不思議な種類のアナーキーへである。彼によれば、このアナーキーこそ、倫理的要請を受け入れる者と、要請そのものとのあいだのあらゆる関係を特徴づけるものだ。こうした思考の先駆けとなるものはヴァルター・ベンヤミンの仕事に見出せる。 「分かれ道」 バトラー

2020-04-19 22:40:44
GMBO2008 @GMBO2008

法が制定されるときのための裁定というのはそれ自体、他の法によっても正当化されていないし、また法の成文化に先行する合理的正当化に頼ることもない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 13:49:35
GMBO2008 @GMBO2008

また法というのはなにか有機的な方法で、たとえば文化的な慣習や規範が実定法に徐々に発展していくというようなやりかたで形成されるわけでもない。むしろその逆に、法の作成こそが正当化手続きや審議が起こる条件を作りだすのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 13:49:37
GMBO2008 @GMBO2008

法作成は、いうなれば専断的命令によって、そうするのであって、これこそ、基盤形成行為の暴力によって意味されることの一部である。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 13:49:37
GMBO2008 @GMBO2008

戒律は、いずれのかたちであれ伝達する命令を執行する機能をまったくもたぬまま命令を伝えるのである。それは怒れる神、復讐する神の声ではないし、この見方によれば、より一般的にいってユダヤの法は決して懲罰的ではない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:10:25
GMBO2008 @GMBO2008

さらにいえば、ここでユダヤの神と結びつけられている戒律は、罪には抵抗し、罪の滅却さえ求めるものである。ベンヤミンにとってこの罪は、神話的・ヘレニズム的伝統の特異な継承物である。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:10:26
GMBO2008 @GMBO2008

(中略)強制的で罪悪感を誘う法という概念を超え、そしてそれに対抗して、ベンヤミンは戒律を、伝達される倫理的命題と個人とが格闘することしか要請しないものとして喚起するのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:10:27
GMBO2008 @GMBO2008

この戒律は命ずるのではなく、その運用可能性や解釈可能性ーーさらにはみずからが拒否される諸条件ーーをオープンのままにするのである。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:10:27
GMBO2008 @GMBO2008

言い換えるならば、ニオベーの物語は、神が、生じた損害に対して法の措定によって応えるものだあり、それゆえに法措定的暴力の例証となっている。損害は、最初、法への侵害として経験されるわけではなく、むしろ法が措定される条件なのである。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:22
GMBO2008 @GMBO2008

法とはつまり、損害に対する憤怒の行為に固有の結果なのである。だがその損害も憤怒も法によって前もって制限されているわけではない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:24
GMBO2008 @GMBO2008

その怒りは行為遂行的に、ニオベーを特徴付け変身させる。彼女を罪深き主体として確立し、石化させ岩としてのかたちをとらせるのだ。かくして法は主体を石化させ、生を有罪性の瞬間のなかに閉じ込めてしまう。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:26
GMBO2008 @GMBO2008

そしてニオベーその人は生きてはいても、彼女の生のなかで麻痺状態にある。彼女は永遠の有罪性そのものとなり、この有罪性は、それを背負う主体を岩にかえる。神々が彼女になした報復は、終わりがないようにみえる。彼女の罪の償いも終わりがないように。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:27
GMBO2008 @GMBO2008

ある意味でニオベーは、ベンヤミンが別のところで神話の領域に属すると主張した、無限の懲罰と償いの摂理を体現している。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:28
GMBO2008 @GMBO2008

(中略)同時に彼女は悲しみに満ち、その石化した泉からはとめどなく涙が流れ出る。(中略」もしあの悲しみが、涙がなかったら、彼女は罪によって完全に消滅させられていただろう。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:28
GMBO2008 @GMBO2008

だからこそベンヤミンが有罪性の償いをとおして解放されるものについて考えるときその涙に立ち戻るのは、何か意味があるのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-26 14:43:29
GMBO2008 @GMBO2008

ベンヤミンにとって、不滅性が対応するのは「永遠の没落へと向かう現世的な原状回帰」であり、「そしてこの永遠に刹那的な現世的存在、その総体において、その空間的のみならず時間的な総体においても刹那的な存在のリズム、メシア的な自然のこのリズムこそ、幸福なのである」 「分かれ道」 バトラー

2020-05-03 22:04:37
GMBO2008 @GMBO2008

(中略)もしもメシア的なもののリズムが幸福であり、そしてそのリズムは、すべてのものは消え去る運命にあり、没落を経験する運命にあるという了解のなかに存するものだとすれば 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-05-03 22:04:41
GMBO2008 @GMBO2008

このリズム、刹那的なものリズムは、永遠であり、そしてこのリズムこそまさしく人の内的な生を、苦難する人を、永遠なるものと結びつけるのである。これは戒律によって喚起される生の限定的な意味を説明するように思える。それは「たんなる生」反対にあるものではない。 「分かれ道」 バトラー

2020-05-03 22:04:42
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