「分かれ道」 ジュディス・バトラー

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GMBO2008 @GMBO2008

ジュディス・バトラーの「分かれ道」に手をつけてみたが、"はじめに"から50ページ以上あって気が重くなりページが進まない 世界をユダヤ性と非ユダヤ性で構成することは、男性と非男性で構成することと相似ではないか、などという言葉遊びに気を巡らせてしまう それは二項対立なんだろうかと

2020-03-05 22:55:15
GMBO2008 @GMBO2008

もちろん語りかけの構造は、その運動の軌跡のなかで主体として確立されたかもしれない者たちを見失うこともありうる。ときには、全然、呼びかけられないとか、一連の確立した呼びかけの周辺領域において排泄物のごとく定義されるような「者たち」がいるだろう。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-05 23:37:13
GMBO2008 @GMBO2008

そう、人は語りかけられないことがある。しかし、そのことに不平を漏らすためには、人は、自身の語りかけられる可能性についてなんらかの了解をしていなければならない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-05 23:37:16
GMBO2008 @GMBO2008

人は語りかけられうる。もし、語りかけの様式がただひたすら、その人ではなくその人のいる方向へと発せられるものであるなら。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-05 23:37:17
GMBO2008 @GMBO2008

あるいは言い方なり叙述が、こちらにさしむけられていても、そららがなんとなく「宛先違い」である場合でも、しかし人は自分自身を見出すのだ、偽りと化す呼びかけと、宛先違いであることの感覚のずれのなかにーーたしかにこれは、隙間にあることの苦境である。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-05 23:37:17
GMBO2008 @GMBO2008

もし非ユダヤ人とどう関係するかという倫理的な問いかけそのものが、ユダヤ的であることの定義の一部分となっているとしても、私たちは、この関係においてユダヤ的であるものを捕捉もできないし強固にすることもできない。関係性が存在にとってかわる。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-06 00:21:58
GMBO2008 @GMBO2008

それは、よいことだろう。問題はユダヤ人あるいはユダヤ性の存在を安定化することではなく、むしろ他者性との関係の倫理的・政治的含意を理解することであり、この他者性との関係は変更できない確定的なものであり、 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-06 00:22:01
GMBO2008 @GMBO2008

この関係なくして私たちは、平等や正義といった根源的な用語を意味づけることはできない。このような他者との関係ーーたしかにこれは単一のものではないがーーこそ、定義となる枠組としてのアイデンティティやネイションを超えて進むべき道程であろう。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-06 00:22:02
GMBO2008 @GMBO2008

他者との関係を、アイデンティティの構成要素として樹立すること、とはつまり、他者性との関係が、アイデンティティを妨害するということであり、この妨害こそが、倫理的関係性の条件なのである。これはユダヤ的概念なのか。答えはイエスでもありノーでもある。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-06 00:22:03
GMBO2008 @GMBO2008

普遍化のプロセスに対して特殊な、あるいは外的なと思われるものが、「普遍的」性格に疑問をつきつけるのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-13 23:45:34
GMBO2008 @GMBO2008

もし普遍化のプロセスが、個々の特殊な言説群を、確立された体制に同化吸収するプロセスとなるのなら、その体制のもっている個別特殊性が普遍的という地位に格上げされ、その体制のもつヘゲモニー的権力が実質的に覆い隠されることになる。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-13 23:45:39
GMBO2008 @GMBO2008

そうした権力の体制をもっとも効果的にくつがえすような普遍化の様式というのは、「同化吸収できないinassimilable」ものを、現在の普遍化の様式の前提条件であると暴きたて、同化吸収できないものの名において、普遍化のプロセスを解体し再公式化することを要求する様式となろう。 「分かれ道」

2020-03-13 23:45:40
GMBO2008 @GMBO2008

肝要なのは、同化吸収できないものを同化吸収できるものに転換することではなく、同化吸収を規範として求めるような体制のありように挑戦することなのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-13 23:45:41
GMBO2008 @GMBO2008

そのような規範が解体するときにはじめて、普遍化は、ラデイカルに民主的なプロジェクトのなかで、みずからを刷新する機会を手にすることになる。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-13 23:45:43
GMBO2008 @GMBO2008

アーレントが正しかったこと、それは、アイヒマンが地上で誰と共生するかを選択できると考えていたことを論じた点にある。彼女の観点では、共生は選択ではなく、私たちの政治生活の条件である。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-03-13 23:49:18
GMBO2008 @GMBO2008

ウイルスも同化吸収できないけれど共生していかざるを得ないもののひとつなのだろう

2020-03-13 23:56:02
GMBO2008 @GMBO2008

細胞の中にまで侵入してくる異物としてのウイルスはアイデンティティとは何かを揺さぶる存在だ

2020-03-14 23:56:20
GMBO2008 @GMBO2008

〈他者〉は、もろく、そして私の殺したいという欲望は、そのもろさに直面して出現するということか。あるいは私は自分自身のもろさを、そこにみて、それに耐えられないということか。あるいは加害者になりうる私の能力を自覚して、私がそれに耐えられないということか。 「分かれ道」 バトラー

2020-04-12 23:25:22
GMBO2008 @GMBO2008

レヴィナスが次のように書くとき、そこにある明晰さに1点の曇りもない--「そのあやうさと無防備さにおいて他者の顔は、私には、殺したいという誘惑と同時に平和への呼びかけ、「汝、殺すなかれ」でもある。」 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:25:23
GMBO2008 @GMBO2008

自分自身との暴力と闘争は、そうなると、〈他者〉顔との関係の中で起こるのである。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:25:24
GMBO2008 @GMBO2008

もしヤコブがエサウを殺してはならないのなら、ヤコブは、殺したいという彼の欲望--死の恐怖と内的につながっている欲望--を処理する何か別のものを見つけなければならない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:48
GMBO2008 @GMBO2008

二人が争うことのない唯一の方法とは、彼らふたりがみずからと葛藤すること、そしてふたりが戒律と葛藤状態になることだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:50
GMBO2008 @GMBO2008

したがってもし非暴力が出現するなら、それは別の戦い=葛藤の帰結であり、その別の戦い=葛藤とは、人がもっている殺害衝動が、その衝動の実現を禁ずる命令とまっこうからぶつかるという戦い=葛藤なのだ。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:51
GMBO2008 @GMBO2008

したがって非暴力はレヴィナスにとって平和から生まれるのではなく、むしろ暴力を受ける恐怖と暴力を行使する恐怖との永続的な葛藤から生まれるのである。平和とは、暴力との積極的な闘争であり、平和は、それが抑止しようとする暴力なくしては存在しえない。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:51
GMBO2008 @GMBO2008

平和は、この緊張の謂なのだ。なにしろ平和は、不可避的に、ある程度は、暴力的プロセスであり、しかもそれは、非暴力の名の下に行使される暴力の一種なのだから。 「分かれ道」 ジュディス・バトラー

2020-04-12 23:55:52
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