伊勢田哲治「科学的合理性と二つの「社会」概念」におけるエスノメソドロジー研究の位置:その1
- contractio
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@contractio @frroots やはりANTの近くに位置づけることになりそうな気がする。Pickering 1992でも、Lynch論文のあとのEpistemological Chicken論争の構図はSSKの相対主義vs.相対主義も相対化するANT派だった。
2011-06-12 02:51:00@contractio @frroots Lynch 1993でANTにふれてる部分を見ると(pp. 107-113) 原理的な部分で批判しているというより、研究の焦点のあてかたが批判されているように見える。
2011-06-12 02:56:59@contractio @frroots では、Lynchにとって、「「科学は社会的だ」というのは合理主義的科学観に対して深い洞察を何も付け加えない、表面的なスローガンになってしまう」(http://t.co/022is36 4-4節) のが困るかどうかという問題だが。
2011-06-12 03:00:08@contractio @frroots Lynchが、合理主義的科学観の前提となる、科学全体に共通する認識論的特質がある、という考え方に何らかのレベルで反対しているのは間違いない。ただし、対象レベルではなく研究手法レベルで反対しているのだと思われる。
2011-06-12 03:02:55@contractio @frroots つまり、科学に共通するなんらかの合理性があるということ自体に反対するのではなく、それを研究対象とすることに反対しているようである。それも、EMは万人むけじゃない(p.307)と言ってるので、自分はやらない、というだけか。
2011-06-12 03:08:36@contractio @frroots しかしまあ、合理主義的科学観が無理なく成立すると思っていたら「認識論を忘れろ」みたいなラディカルな方法論を提唱する必要はないわけで、やはり単純な合理主義とは距離をとっているのではないか。
2011-06-12 03:12:58@contractio @frroots Lynchに対して、「あなたが挙げる観察やら記述やら測定やらの「ばらばら」の事例は合理主義の観点から全部統一的に説明できますよ」と言ったらどう答えるだろうか。「できるはずがない」と言うのか、「できたとしても興味ない」と言うのか。
2011-06-12 03:18:14@contractio @frroots 答えが前者なら、合理主義に対抗するという動機はLynchも共有していることになり、わたしの論文での扱いはそれほどアンフェアではなかったことになるだろう。後者なら関心ない論争にまきこんで悪かったということになるが、
2011-06-12 03:23:35@contractio @frroots そう答えるような認識論に関心のない人がこれだけ熱く懐疑主義や科学主義を批判する本を書くだろうかという疑問はある。
2011-06-12 03:24:39科学社会学におけるreflexivityの問題は自己言及のパラドックスの一形態なので、嘘つきパラドックスのさまざまな解法を翻訳して当てはめることができるかもしれない。Michael Lynchのいう方法論の未発達なprimitive natural scienceをやろうという
2011-06-12 03:41:32よびかけは、研究の科学性をおとすことでreflexivityを回避しているとも解釈できるが、それは「この研究の方法論は信用できない」という自己言及的結論の真偽をあいまいにすることでうそつきパラドックスにおける三値論理みたいな効果をねらっているのか。
2011-06-12 03:48:01@contractio このネタじっくり話したいところですが僕は今日懇親会に行けないので、前田さんとか来たらじっくり感想問い詰めてくださいw
2011-06-12 10:51:51どうもありがとうございます。一読したところでは、ちょっとまだ、問われている問題が何であるのかわかっておりません。ちょっと考えてからお返事します。 RT @tiseda: @frroots 以上でLynchに関する連続ツイート一応終了します。
2011-06-12 12:46:43@medicineman @tiseda @frroots 伊勢田哲治「科学的合理性と二つの「社会」概念」におけるエスノメソドロジー研究の位置」をトゲりました。 http://togetter.com/li/148357
2011-06-13 01:50:51@medicineman @tiseda @frroots これを再読しつつ http://ow.ly/5fSrL 以降あたりで述べたこと以上のことが何か言えないかどうかを考えてみますが…(いまのところあまりなんか思いつく感じがしない予感………)
2011-06-13 01:51:21あらら。トゲッタの仕様変更のせいでページ内リンクが死んでますね。 http://ow.ly/5fSD2 以降のあたりです。 RT @medicineman @tiseda @frroots これを再読しつつ…以降あたりで述べたこと以上のことが何か言えないかどうかを考えてみます
2011-06-13 02:01:42@contractio @medicineman @frroots どうもまとめていただいてありがとうございます。けっこう関連ツイート見落としていました。
2011-06-13 14:26:02@medicineman ひょっとしたら これはちょっと簡単に考えすぎではありますまいか。<「ひとはどんなふうに仕事をしているか」についての研究は当人にとっては「ああ、それそれ」以上のことにならない。当人がその仕事についての知識を持っているのが当然だから。(大意)
2011-06-13 12:18:05@medicineman (たとえば「実験室の生活」や「原子力発電所における下層労働者の労働事情」についての知見は、当人たちにとって当たり前だったとしても、それ以外のほとんどの人たちは知らないのですから、価値があります。)
2011-06-13 12:19:55@medicineman それにそもそも、研究というものは、研究対象に向けて行われているのではなくて、まずはなにより同僚に向けて行われるものですし。
2011-06-13 12:20:08@medicineman さらに。社会学が獲得した知見が、研究対象にとって「ああ、それそれ」と受け止められることは、研究にとって「まずは」よいことでありうるはずです。そう受け止められた知見は正しい可能性が高いでしょうから。
2011-06-13 12:20:22