ティム・インゴルド『人類学とは何か』(奥野克己・宮崎幸子訳 亜紀書房)を+Mさんが読むスレッド

+Mさんが読むスレッドシリーズ(?)【20200403追加→】ティム・インゴルド『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』(筧菜奈子・島村幸忠・宇佐見達朗訳 フィルムアート社)スレッド、ならびに関連ツイートリンクとして、エマヌーレ・コッチャ『植物の生の哲学 混合の形而上学』(嶋崎正樹訳 山内志朗解説 勁草書房)、古川不可知『「シェルパと道の人類学』(亜紀書房)
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+M laboratory @freakscafe

さて、この一連のツイートは、私が強い興味をもつテーマに沿って切り出した一つの<系>であって、全体のレジュメではない。 この本は本文が150ページほどのコンパクトなもので、1~2時間で読める。さらに訳者奥野克巳による詳細な概要も付されているので、ぜひ実物を手に取ることをお勧めします。

2020-04-02 21:47:23
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ティム・インゴルド『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』(筧菜奈子・島村幸忠・宇佐美達朗訳 フィルムアート社)。 pic.twitter.com/QEwTpCLTTB

2020-04-03 10:56:14
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+M laboratory @freakscafe

冒頭、「わたしたち生物はあてどなく漂っている。歴史への潮流へと放たれたがために、わたしたちは何かにしがみつかざるを得ない。触れることで生じる摩擦の力が、時の流れをどうにか和らげはしないかと願うからだ。さもなければ時の流れは、わたしたちを忘却の彼方へと追いやるだろう。」

2020-04-03 10:58:49
+M laboratory @freakscafe

インゴルドの言う「線」とは、生成の流れであり、その流れが他の流れと干渉しあい、絡み合い、千切れて線分となり、また別の流れと結び合う、そうした様相のことを指して言っているようだ。「線」は、内発的なダイナミクスとして、存在論的なステータスを問わず、ある種の無償性のうちに引かれていく。

2020-04-03 11:03:52
+M laboratory @freakscafe

「しがみつくことは、幼児の頃にわたしたちがまず初めにしたことである。生まれたばかりの子どもの手や指の強さは目覚しいものではないだろうか?それらはしがみつくようにデザインされているのだ。」 人や物や概念に「しがみつく」この運動こそがつまり生成が「線」として現れる様相である。

2020-04-03 11:07:24
+M laboratory @freakscafe

インゴルドは、「線(ライン)」の対比的な概念として「ブロブ(小さな塊)」を提示する。通常、社会学や生態学では、アクターの単位として、ブロブが想定されているとする。 ー「ブロブには内側と外側があり、それらはブロブの表面で分かれている。→

2020-04-03 11:11:24
+M laboratory @freakscafe

→ブロブは膨張したり収縮したり、侵食したりされたりする。ブロブは場所を占める、あるいは、(…)領土化の原理を成り立たせる。ブロブは互いにぶつかり合って合体する。さらには水面にこぼれた油滴のように、より大きなブロブの中に溶け込むことさえあるだろう。」

2020-04-03 11:14:11
+M laboratory @freakscafe

つまり、ブロブとは、我々が通例「個体」と考える一切の存在物のことである。インゴルドは、だがブロブは「互いにしがみつくことができない」と論じるー「少なくとも、密接に抱き合う中でそれぞれの個別性を失うことなくしがみつくことはできない」。

2020-04-03 11:16:57
+M laboratory @freakscafe

存在するものは構造即機能として存在する。インゴルドは近代人は、事物を捉えるとき、或いは何かしらの概念をもって思考するとき、その構造的な側面(つまり、ブロブ)のみを照明することに慣れてしまっているが、そうではなく、構造即機能として捉えることができるのではないか、と説いているようだ。

2020-04-03 11:29:22
+M laboratory @freakscafe

ところで、構造即機能というときの機能とは、機械論的ー目的論的に捉えられるものではなく、むしろ「他者へ向けての無償の<しがみつき>」であると捉えた方がよい。機能とは、本質的に脱領域化する生命のダイナミクスそのものなのである。

2020-04-03 11:32:35
+M laboratory @freakscafe

「ブロブには量感、質感、密度がある。それゆえブロブはわたしたちに物質を与える。ラインはこのいずれも持っていない。ラインにはあって、ブロブにはないもの、それはねじれ、屈曲、活発さである。ラインは私たちに生命を与える。」

2020-04-03 11:32:53
+M laboratory @freakscafe

この本では、「密接に抱き合う中でそれぞれの個別性を失うことなくしがみつくこと」、その「捻れ、屈曲、活発さ」の諸相が描出されていくことになる。 そのことを通して、個体は、内も外もない、既に常に線の多様体であり、実在するのは線同士が離接するダイナミクスのみであることが説かれていく。

2020-04-03 11:40:54
+M laboratory @freakscafe

以下、私がとりわけ示唆が豊かだと感じた「場面」を引用する。

2020-04-03 11:45:05
+M laboratory @freakscafe

「物はただ単に存在しているわけではない。もしそうであったなら、確かに物は対象であろう。しかし諸々の物についての問題は、物が生じることーすなわち、物がそのラインに従って存続していることーである。→

2020-04-03 11:49:07
+M laboratory @freakscafe

→ このことは物を名詞としてではなく動詞として、つまり進行中のものとして世界に算入させることである。それは物に生命を与えることである。」 物のなかに生命があるのではなく、生命のなかに物がある世界ーアニミズムとはそうした「対象のない世界」のことである。

2020-04-03 11:51:56
+M laboratory @freakscafe

対象のない世界、それは、存在が、陽射しや風や海流といった一刻も止まらない気象状況のなかで、音楽やダンスの線の絡み合いのように、言わば情動のフィギュールとして現れ、感じとられる世界のことである。

2020-04-03 11:58:18
+M laboratory @freakscafe

対象のない世界において、構造は、構築されるのではなく、線同士が結ばれることによって現れる。 ー「それでは、組み立てられたり、鎖でつながれたり、包含されたりするのではなく、結ばれている世界とはどのようなものだろうか?」

2020-04-03 12:04:56
+M laboratory @freakscafe

インゴルドは、結び目は、例えば音楽として知覚される、と言う。 ー「演奏の身振りのシナジーや空気の流れ、コードの振動、そして感情の琴線に触れるような調和した音ではないなら、なぜ音楽なのだろう?(…)→

2020-04-03 12:09:42
+M laboratory @freakscafe

→ 音や感情ー経験の質とみなされるものーはあちこちへと向かうものではなく、合唱のポリフォニーやロンデル・ダンスのラインと同様に、互いに絡まったり巻きついたりするものである。→

2020-04-03 12:11:56
+M laboratory @freakscafe

→ そして、音楽とダンスの形式が音や感情の結び目であるとするならば、なぜ私たちは建築を光の結び目とみなさないのであろうか?」

2020-04-03 12:12:05
+M laboratory @freakscafe

構造を、対象同士の外在的な関係性の構築とみなすと、そこでは、個別、異質な対象間の「接合」「調停」が主要な問題となるが、線同士の結び合いと見なすことで、問題は、その内発的な「結び合い」、「調和感」の調整として考えられることとなる。 つまり「如何に呼吸を合わせるか」という問題である。

2020-04-03 12:18:37
+M laboratory @freakscafe

「呼吸はブロックでも、チェーンでも、コンテナでもない。呼吸は構造の中に組み込まれることも、つなぎ合わされることもない。呼吸とは外的な接合を通じてというよりも、共感という関係の中で、諸事物を内側で接ぐ内在秩序を構成する瞬間である。」

2020-04-03 12:21:48
+M laboratory @freakscafe

呼吸するには、空気が必要となる。線はすべて、気候ー雰囲気(atmosphere)に浸るようにして存在している。音楽もダンスも、あらゆる情動もまた、言わば地水火風の揺らぎや強度、流れのなかで、その結び目として現れ、解けて、そうして多様な線を混合させる。

2020-04-03 12:28:29
+M laboratory @freakscafe

「天候の経験は、空気という媒体とその中で生活する感情的な生物を一つにまとめ上げる。要するに、空気という媒体の中に浸されているので、私たちはハイブリッドではなく節度のある(temperate)(そして気まぐれな(temperamental))存在なのである。」

2020-04-03 12:31:56
+M laboratory @freakscafe

「ラインは情動的なものと宇宙的なものとの融合から生じる。タウシグは「色は歩く。そして、色が歩くと、色は変化する」と記している。それゆえ色は、外観に与える、あるいは外形を埋めるための単なる装飾ではなく、まさに着想の源となる媒体なのだ。」

2020-04-03 12:34:24