「春樹は父について語ることで、戦争について語ること、記憶を継承することの隘路の突破を試みている」村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』熱海いかほさんの考察。

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熱海いかほ @atamiikaho

村上春樹の「猫を棄てる」を読んだ。 春樹はこれまで自分の家族についてほとんど語ってこなかった。それは春樹が父について語ることは戦争の記憶をどう継承していくかという問題に直結するからなのだと思う。

2020-04-25 09:14:14
リンク 文藝春秋BOOKS 『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹 | 単行本 村上作品の原風景がここにある 村上春樹が初めて自らのルーツを綴ったノンフィクション。中国で戦争を経験した父親の記憶を引き継いだ作家が父子の歴史と向き合う。 1 user 159
熱海いかほ @atamiikaho

この点は司馬遼太郎がノモンハンについて書こうとしながら結局書けなかった事実と符合する部分がある。司馬遼の俯瞰的な叙述は「歴史」を描くには向いているのかもしれないが、ノモンハンは司馬にとってそもそも「歴史」ではなさすぎた。

2020-04-25 09:21:30
熱海いかほ @atamiikaho

「歴史」として整理してしまえば、当然そこから零れ落ちていくものがある。しかしその零れ落ちていくものこそが重要なのであり、司馬遼はたぶんそこに自覚的だったからこそ、書くことができなかったのだと思う。

2020-04-25 09:25:53
熱海いかほ @atamiikaho

その一方で戦争の記憶を「歴史」として一般化する方向に突き進んだ作家として思い浮かぶのが百田尚樹。「永遠の0」は特攻隊員として死んだ祖父の実像を追って祖父を知る人たちに話を聞きまわるという物語だと記憶している。

2020-04-25 09:30:57
熱海いかほ @atamiikaho

毀誉褒貶激しい祖父の実像は様々な人の証言から次第に立体的に浮かび上がっていく。百田は意外にも先の戦争を美化したりはしていない(いなかったように思う)。が、あまりにも整理されすぎていると思う。

2020-04-25 09:42:21
熱海いかほ @atamiikaho

整理してしまえば、それは過去の「歴史」に矮小化されてしまう。いたみや罪を引き受けること、記憶を継承していくことではなく、「過去に起きた出来事」になる。

2020-04-25 09:49:59
熱海いかほ @atamiikaho

春樹は父について語ることで、戦争について語ること、記憶を継承することの隘路の突破を試みている。その方法は、簡単に言えば、父に関する記憶をどんな物語にも接続させないことなのだと思う。

2020-04-25 09:58:32
熱海いかほ @atamiikaho

だから、春樹の父に関する記憶は断片的であり、事実の誤認があり、互いに関連性が薄い。その断片を補完するようにのちに調べたのであろう事実が文章中には配されているが、返って事実と記憶の齟齬が浮き彫りになり、物語としての統一性を拒んでいるように見える。

2020-04-25 10:07:08
熱海いかほ @atamiikaho

ある大きな物語の一部として位置付けられたり、この短い文章をもって彼の作品を解釈したりするその力学から逃れるために、この文章はこの短さにも関わらず単独の冊子として発行されたのではないかと思う。

2020-04-25 10:17:58
熱海いかほ @atamiikaho

春樹はよくデタッチメントからコミットメントに移行していった作家と解釈されるが、父との紐帯を回復するために、ここで試みられているのは、「父を理解しようとしない」というデタッチメントの手法であるように見える。

2020-04-25 10:28:29
熱海いかほ @atamiikaho

中学校教員(国語)